秘密のdiary【兄と僕の嘘】

三愛紫月

50日目の朝

タータタン、タタン 


優雅な眠りを生ぬるく流れるBGMが起こした。


「はい」


九你臣くにおみ、今どこなん?』


「えっ?家やけど」


『何してんねん?』


「何って?」


『片付け』


「あー。行きます。行きます」


プー、プー


僕は、飛び起きてベッドから落ちてしまった。


昨日、兄の49日で親戚にしこたま飲まされた。


「いタタタ」


お尻を擦りながら、起き上がった。


半年前、兄は突然の末期がん宣告を受けた。


一緒に来ていた僕の隣で、堂々と先生に告げられたのだった。


「余命1ヶ月です。治療しますか?それとも家で、残りの時間を過ごしますか?」


「えっと…」


「まあ、治療しても、まず助からないですけど…。」


この関西の小さな田舎街で、やぶ医者だと有名だった先生は、兄に躊躇いもなくそう告げた。


僕も兄も、涙のなの字も出なかった。


ただ、重い体を引きずって二人で歩いたのだ。


家に帰った兄が、母親に告げると母は看護婦の叔母に電話をかけた。


そして、有名な癌の専門病院に兄は入院した。


「あそこの先生の言うことは、聞いたアカンよ。たっちゃんは、助かるからね。大丈夫やからね」


叔母さんは、お見舞いにくる度に兄を励ました。


兄は、その度に空っぽの目を向けて「ありがとう」と繰り返すのだった。


僕は、その目が大嫌いだった。


「なぁー。きゅう。俺、死ぬん怖ないのに、何でみんな励ますんかな?」


僕は、幼なじみからきゅうと呼ばれていた。


兄も時々、僕をきゅうと呼ぶのだ。


そう呼ぶ時は、大抵お願い事がある時か嘘をついている時だと知っていた。


今は、確実に後者だ。


「昔、読んだ本に書いてたで。長く生きたかってより、どう生きたかやって。だから、兄ちゃんも、最後まで生きたらいいねん。僕が、見ててあげるから」


「死んだら、自叙伝にでもして出してくれるんか?」


「ネット小説でぐらいなら、書いたんで」


「下らんことばっか言うなよ。九你臣くにおみ


そう言って笑った顔は、空っぽの目ではなかった。


感傷に浸っている場合じゃない。


今は、アパートの片付けだ。


ヤバい、母さんに起こられる。


僕は、急いで服を着替える。


家を出て、自転車を漕いで兄の住んでいたアパートについた。


きゅう、遅いで」


母親が、僕をきゅうと呼ぶ時は、怒っている時だけだった。


「ごめん」


「お父さんが、さっきまで来てて、ほとんど片付いてしもたから。」


「ごめん」


僕は、アパートにはいる。


「その机の上だけまだやから」


母親は、水を渡してくれる。


「ありがとう」


「うん」


ゴクゴク飲んだ僕は、兄の机の上を片付ける。


「なあー。きゅう。赤い分厚い日記帳。渡してくれへん?」


「はあ?誰にやねん」


「一ページ目に、名前書いてるわ。やけど、探すんはきゅうやで」


「アホやろ?」


「小さい街やから見つかるよ」


「小さいゆうたって、人口100人やないんやで。どんだけかかる思ってんねん」


きゅうが、死ぬまでに見つけろよ。そうやなかったら、呪い殺したるからな」


「恐ろしい事、言うなや」


兄は、アホな僕とは違って優秀だった。


そしてもうすぐ、結婚する予定だった。


兄の彼女の和沙かずささんは、兄の病気が発覚してすぐに新しい男を作り、兄とは別れた。




「なんやのそれ?」


真っ赤な日記帳を手に取った僕に、母が話しかけた。


「日記帳、兄ちゃんから渡してって頼まれてるやつ」


「へー。あっ、お母ちゃんな。これ、どうしたらいいか困ってんねんけど?」


そう言って見せられたのは、60サイズの段ボール箱に、パンパンに入れられた和沙さんの荷物だった。


「捨てたらいいんちゃう?」


「アカンやろ、あんたが返してきて」


「はあ?何でやねん」


「遅れてきた罰や。はい。行く行く」


「人使い荒いな。何でいななった女の荷物持って行かなアカンねん」


「何か言うたか?」


「いえ、なんもあらへん」


僕は、母から段ボールを受け取ると下に降りた。


自転車の前カゴにどうにか乗せて押す。


段ボールの中に、一時的に日記帳をしまった。

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