第35話 始まりの物語

 そこには食事を取る小夏達が映し出されていた。


『マジ?あれ本当に旨いの?』 


 小夏達がおいしそうに芋虫を頬張る姿に誠は背筋が寒くなる。


「じゃあ行って来るね!」 


 普段の食事の時と変わらず一番多い量を真っ先に食べ終えた小夏が椅子にかけてあった学生かばんを手に走り出す。


 そのまま誠はカメラを移動させて小夏を映す画面を見続けた。


『私の名は南條小夏。遼東学園中等部2年生。どこにでもいる普通の中学生だったんだ』 


 小夏の声で流れるモノローグ。小夏は陸上選手のようなスマートな走り方ではなく、あきらかにアニメヒロインのような内またの乙女チックな走り方をする。誠は笑いをこらえながら走っている小夏を映し出す画面を見つめていた。


「おはよう!」 


 バス停のようなところで小夏を待つ中学生達。見たことが無い顔なのでおそらくは新藤の作ったモブキャラなのだろう。そこで誠は周りの景色を確認した。どう見ても豊川市の郊外のような風景。住宅と田んぼが交じり合う風景は見慣れたもので、その細かな背景へのこだわりに新藤のやる気を強く感じる。


『はい、カット!』 


 アメリアの声で画面が消える。バイザーを外す誠の前で小夏達は起き上がった。


「兄貴、なんで食べないの?あれおいしいんだよ!」 


 小夏は開口一番そう言って拗ねる。だが、誠はただ愛想笑いを浮かべるだけだった。小夏は芋虫を食べるポーズをする。その手つきに先ほどの芋虫の姿を重ねて誠は胃の中がぐるぐると混ぜられるような感覚がして口に手を回した。


「あのさあ、俺もう良いかな?」 


「ああ、お疲れ様です。しばらく出番はなさそうですから」 


 アメリアにそう言われて嵯峨はカプセルから立ち上がる。


「レンジャー資格は取っといた方が後々楽だぞ……資格手当も付くし」 


 嵯峨はそれだけ言って誠の肩を叩くと部屋を出て行った。


「しばらくは小夏ちゃんだけのシーンなんだけど……」 


「僕はちょっと……気分を変えたいんで」 


 誠は自分の顔が青ざめていることを自覚しながらアメリアに声をかける。


「そんなに嫌な顔しないでよ。良いわ。これからランちゃんとかえでちゃん達のシーンを取るから呼んできてよ」 


「おい、上官にちゃん付けは無いんじゃないの?」 


 新藤はずっとバイザーをつけたままだった。首の辺りに何本ものコードをつないだ状態で口だけがにやけたように笑っている。


「はい、それじゃあ呼んで来ます」 


 誠はそう言ってよろよろとカプセルだらけの部屋を出た。


 アメリアに言われるままに倉庫を飛び出すとそのまま駆け足で法術特捜の分室や冷蔵庫と呼ばれるコンピュータルームを通り過ぎて機動部隊の部屋に戻る。そのあわただしい様子にランやかえではものめずらしそうな顔をしていた。


「クバルカ中佐!日野少佐!渡辺大尉!出番ですよ」 


 誠は机に向かって事務仕事をしているランに声をかけた。


「面倒くせーな。ったく……」 


 そう言いながらランは椅子から降りる。彼女の幼児のような体型では当然足が届かず、ぴょいと飛び降りるように席を立つ。


「なんだ?神前。文句でもあるのかよ」 


 ランが不思議そうに誠をにらむ。実際何度見てもそんな態度のランのかわいさに抱きしめたくなるのは仕方の無いことで両手がふるふると震えた。そんな誠の様子を見て噴出しそうになる渡辺の口をかえでが押さえている。その様がこっけいに見えたらしく噴出したアンをさらにランがにらみつける。


「そう言うわけでは無いんですけど……」 


 口を濁す誠を慣れているとでも言うようにランは右手を振りながら扉に向かう。その後ろをかえでとリンが静かについて行きドアを閉める直前でじっと大きめに見える目で部屋をくまなく眺めた後戸を閉めて姿を消した。


「神前先輩、どうでした撮影は」 


 自分の椅子に腰掛ける誠に手にコーヒーを持ったアンが擦り寄る。


「ああ、俺が出る幕も無かったよ」 


「おう、神前。アンに対するときは俺でアタシ等には僕か。微妙な言い回し……もしかして……」 


 それまで呆然と目の前のモニターを眺めているように見えたかなめがにやけながら二人を見つめる。そこにアメリアのような腐った妄想が広がっているのがわかってさすがの誠も動揺した。


「何を言うんですか!西園寺さん」 


 タレ目を見開いているかなめに、誠は思わずそう叫んでいた。


「そうですよね。僕は……」 


 いじけるアンの後ろから鋭く光るかえでと渡辺の視線が誠に突き刺さる。


 あえてかなめにかかわるのを避けるように誠は端末を起動させる。誠はとりあえず先日砲術特捜からの依頼を受けた仕事の続きをすることにした。法術との関係が疑われる事故や犯罪のプロファイリング。写っているのは不審火の現場。これ以外にも三件あった。


 法術特捜の主席捜査官の嵯峨茜の誠達へ出されたこうした宿題は分量的にはたいしたものでは無かったが、その意味するところは実戦を経験してきた誠にも深刻であることが理解できた。無許可の法術使用、特に炎熱系のスキルを使用したと思われる事件の資料。無残に焦げ付いた発火した人々の遺体ははじめは誠には目を向けることもできないほど無残なものだった。


 そんな事件のファイルを見ながら誠は鑑識のデータを拾い報告書の作成を始める。だが、すでに提出を終えているかなめは暇そうに部屋を見回して誰かに絡もうとしていた。


「西園寺さん、コーヒー飲みます?」 


 手持無沙汰の誠はそうかなめに声をかけた。


「別にいらねえよ……、神前。そこの資料は同盟司法局のデータよりも厚生局の資料を見てから書いたほうが正確になるぞ」 


 かなめの言葉に誠はそのまま厚生局の法術事故の資料のフォルダーを開いた。


「ありがとうございます……ああ、あそこは法術犯罪のケースのまとめ方がうまいですね。参考になります」 


 そう言いながら誠は資料に目を通す。そんな彼の横から明らかに敵意をむき出しにしたかえでの視線が突き刺さる。


「ったく暇でしょうがねえな。こういう時に限って司法警察の連中の下請け仕事も無いと来てる」 


 かなめは退屈そうにくるくると椅子を回転させる。


 そして沈黙が部屋を支配することになった。ただキーボードを叩く音、画面が切り替わるときの動作音、そして端末の放熱ファンの音だけが響いていた。

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