第32話 潰れた人と
繁華街に突然現れたと言うような空き地を利用した駐車場だった。銀色のカウラのハコスカが一際目に付く。
「西園寺さん?」
「なんでもねえよ!……すぐ来るって話だったけど遅いな!」
間が持たないというように腕の時計をにらみながらかなめがそう言ったところで運転代行の白いセダンが駐車場の入り口に止まった。
「神前、そいつから鍵を取り上げろ」
かなめの言葉に従って、歩道との境目に生えた枯れ草を引き抜いているカウラに誠は近づいていった。カウラはじっとしゃがみこんで雑草を抜いてはそれを観察している。そんな彼女に鍵を渡してくれと頼もうと近づく誠が彼女の手が口に伸びるのを見つけた。
「カウラさん!そんなの食べないでください!」
そのまま駆け寄ってカウラの手にあるぺんぺん草を叩き落す。突然の行為にびっくりしたように誠を見つけたカウラはそのまま誠の胸に抱きついた。
「しんぜんー!しんぜんー」
カウラは叫びながら強く誠を抱きしめる。まるでサバ折りを食らったように背骨を締め上げるカウラの抱擁に誠は息もからがら、代行業者の金髪の青年と並んでやってきたかなめに助けを求めるように見上げた。
「いいご身分だな、神前」
そう言って笑うと、かなめはカウラを止めもせずにカウラのジャケットのポケットに手を突っ込んで車の鍵を探り当てる。
「じゃあ、オメエ等そこでいちゃついてろ。アタシは帰るから」
そのままかなめは立ち去ろうとする。彼女なら本当にこのまま帰りかねないと知った誠はしがみつくカウラを引き剥がそうとした。
「いやなのら!はなれないのら!」
カウラが持てる力を振り絞って暴れる。彼女が今のように本当に酔っ払うと幼児退行することは知っていたが、今日のそれは一段とひどいと思いながら誠はなだめにかかる。
「おい!乗るのか乗らないのかはっきりしろよ!」
カウラのハコスカの助手席からかなめが顔を出す。
「そんなこと言って……」
その一言を最後に急にカウラの抱擁の力が抜けていく。見下ろす誠の腕の中でカウラは寝息を立てていた。
「ったく便利な奴だ。神前、とりあえず運んで来い」
苦笑いを浮かべるかなめに言われて誠はカウラを抱き上げた。細身の彼女を抱えてそのまま車の助手席に向かう。
「本当に寝てるな、こいつ」
渋い表情のかなめが助手席のシートを持ち上げて後部座席に眠るカウラを運び込んだ。
「お前が隣にいてやれよ」
そう言ってかなめは誠も後部座席に押し込んだ。そしてそのままかなめは有無を言わせず助手席に座る。
「運ちゃん頼むわ」
そう言って金髪の青年に声をかける。その声が沈うつな調子なのが気になる誠だがどうすることもできなかった。カウラは寝息を立てている。引き締まった太ももが誠の足に押し付けられる。助手席で外を見つめているかなめの横顔が誠にも見えた。時々、彼女が見せる憂鬱そうな面差し。何も言えずに誠はそれを見つめていた。
「大丈夫なんですか、あの方は?」
さすがに気になったのか金髪の運転手が誠に尋ねてくる。
「ええ、いつもこうですから……」
そう答える誠にあわせるようにかなめがうなづく。だが、いつもならここでマシンガントークでカウラをこき下ろすかなめがそのまま外を流れていく町並みに目を向けて黙り込んでしまう。気まずい雰囲気に金髪の運転手の顔に不安が見て取れて誠はひたすら申し訳ないような気持ちで早く寮に着くことだけを祈っていた。
豊川駅の繁華街から住宅街へと走る車。つかまった信号が変わるのを見ると金髪の運転手は右折して見慣れた寮の前の通りに入り込む。
「ちょっとその建物の入り口のところで止めてくれるか?」
かなめはそう言うと寮の門柱のところで車を止めさせる。そしてそのままドアを開くと降り立って座席を前に倒した。
「おい、神前。そいつ連れてけ」
表情を押し殺したような調子でかなめが誠に告げる。
「カウラさん、着きましたよ」
そう耳元で告げてみてもカウラはただ寝息を立てるだけだった。誠は彼女の脇に手を入れて車から引きずり出す。
「ったく幸せそうな寝顔しやがって」
呆れたような表情でかなめはそう言ってそのまま車に乗り込む。隣の駐車場にゆっくりとカウラの銀のハコスカが進んでいく。誠はそれを見送るとカウラを背負って寮の入り口の階段を上る。
考えてみれば時間が悪かった。カウラの自爆で『月島屋』をさっさと引き払った時間は9時前。煌々と玄関を照らす光の奥では談笑する男性隊員の声が響いてくる。足を忍ばせて玄関に入り、床にカウラを座らせて靴を脱ぐ。カウラを萌えの対象としてあがめる『ヒンヌー教徒』に見つかればリンチに会うというリスクを犯しながら自分のスニーカーを脱ぎ、カウラのブーツに手をかけた時だった。
「おっと、神前さんがお帰りだ。やっぱり相手はベルガー大尉ですか、隅に置けないですね」
突然の口に歯ブラシを突っ込んだ技術部の伍長の声に誠は振り向いた。いつの間にか食堂から野次馬が集まり始めている。その中に菰田の部下である管理部の主計下士官達も混じっていた。
『ヒンヌー教』の開祖菰田邦弘主計曹長に見つかれば立場が無いのは分かっている誠はカウラのブーツに手をかけたまま凍りついた。
「オメエ等!そんなにこいつが珍しいか!」
そう怒鳴ったのは駐車場から戻ってきたかなめだった。入り口のドアに手をかけ仁王立ちして寮の男性隊員達をにらみつける。助かったと言うように誠はカウラのブーツを脱がしにかかる。
「なんだ、西園寺さんもいたんじゃないですか……」
眼鏡の管理部の伍長の言葉を聴くとかなめは土足でその伍長のところまで行き襟首をつかんで引き寄せる。
「おい、なにか文句があるのか?え?」
すごむかなめを見て野次馬達は散っていく。首を振る伍長を解放したかなめがそのままカウラのブーツの置くところを探している誠の手からそれを奪い取る。
「ああ、こいつの下駄箱はここだ」
そう言って脇にある大きめの下足入れにブーツを押し込んだ。
「神前、そいつを担げ」
そのまま自分のブーツを素早く脱いで片付けようとするかなめの言葉に従ってカウラを背負う。
「別に落としても良いけどな」
スリッパを履いて振り向いたかなめを見つめた後、そのまま誠は階段に向かう。
食堂で騒いでいる隊員達の声を聞きながら誠はかなめについて階段を上った。そのまま二階のカウラの部屋を目指す誠の前に会いたくない菰田が立っていた。
「これは……」
何か言いたげに菰田は誠の背中で寝入っているカウラを指差す。
「なんだ?下らねえ話なら後にしろ」
かなめの高圧的な調子の言葉に菰田は思わず目を反らすとそのまま自分の部屋のある西棟に消えていく。かなめは自分の部屋の隣のカウラの部屋の前に立つ。
「これか、鍵は」
そう言うと車の鍵の束につけられた寮の鍵を使ってカウラの部屋の扉を開いた。
閑散とした部屋だった。電気がつくとさらにその部屋の寂しさが分かってきて誠は入り口で立ち尽くした。机の上には数個の野球のボール。中のいくつかには指を当てる線が引いてあるのは変化球の握りを練習しているのだろう。それ以外のものは見当たらなかった。だが、それだけにきれいに掃除されていて清潔なイメージが誠に好感を与えた。ある意味カウラらしい部屋だった。
「布団出すからそのまま待ってろ」
そう言ってかなめは慣れた調子で押入れから布団を運び出す。これも明らかに安物の布団に質素な枕。誠は改めてカウラが戦うために造られた人間であることを思い出していた。
「ここに寝せろ……」
かなめの言うことにしたがって誠はカウラを敷布団の上に置いた。
「なあ、オメエもこいつのこと好きなのか?」
掛け布団をカウラにかぶせながらかなめは何気なく聞いてくる。その質問の唐突さに誠は驚いたようにかなめを見上げた。
「嫌いなわけないじゃないですか、仲間ですし、いろいろ教えてくれていますし……」
かなめが聞いているのはそんなことでは無いと分かりながらも、誠にはそう答えるしかなかった。
「まあ、いいや。実は飲み足りなくてな……付き合えよ」
そう言うとかなめは立ち上がる。誠も穏やかな寝顔のカウラを見て安心するとかなめの後に続いた。カウラの部屋の隣。さらに奥のアメリアの部屋はしんと静まり返っている。かなめも鍵を取り出すとそのまま自分の部屋に入った。
こちらも質素な部屋だった。机といくつかの情報端末と野球のスコアーをつけているノート。あえて違いをあげるとすれば、転がる酒瓶はカウラの部屋には無かった。
「実はスコッチの良いのが手に入ったんだぜ。アイラのシングルモルトの12年ものだ」
そう言ってかなめは笑う。そのまま彼女は机の脇に手を伸ばし、高級そうな瓶を取り出す。そしてなぜか机の引き出しを開け、そこからこの寮の厨房からちょろまかしただろう湯飲みを二つ取り出した。
「まあ、夜はまだまだあるからな」
そう言ってかなめはタレ目で誠を見つめる。彼女の肩に届かない長さで切りそろえられた黒髪をなびかせながらウィスキーをそれぞれ湯飲みに注ぎ、誠に差し出す。
「良い夜に乾杯!」
そう言ってかなめは笑顔で酒をあおる。誠は彼女のそう言う飲み方が好きだった。
「お前も配属になってもう半年か。どうだ?」
珍しくかなめが仕事の話を振ってくるのに違和感を感じながら誠は頭をひねる。
「そうですね、とりあえず仕事にも慣れてきましたし……と言うかうちってこんなに遊んでばかりで良いんですかね」
誠の皮肉ににやりと笑いながらかなめは二口目のウィスキーを口に運ぶ。
「まあ、それは叔父貴の心配するところなんじゃねえの?でもまあこれまでよりは仕事はしてるんだぜ。近藤事件やバルキスタン紛争なんかはようやく隊が軌道に乗ったからできる仕事ではあるけどな」
そう言って笑うかなめが革ジャンを脱ぎ捨てる。その下にはいつものように黒いぴっちりと体に張り付くようなタンクトップを着ていた。張りのある背中のラインに下着の線は見えなかった。
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