異世界のいやし
近松 叡
懐かしのふるさとへ
宇津保 聰〈うつぼ さとし〉は都会での生活に疲れ果て、半ばドロップアウトのような形で故郷への帰路に着いていた。
もう駄目かもしれない…。頭の中はそんなことばかりで埋め尽くされているようだった。何が駄目なんだと言われれば、これといった原因が思い当たらないため、事態はより深刻なのかもしれなかった。
「これからどうしようかな…。」
聰は誰に話すでもなく、ポツリと呟く。言葉は空に吸い込まれ、どこかへと消える。
その行為を良しとしたのは自分を慰めることに繋がるからだろうか。
今の自分は実感の伴わない行為に身を委ねるしか無いのだ。
そんなことを繰り返しても状況は変わらない。少しでも気分を変えようと聰は違うことを考えようと努力した。
「そろそろ着くかな」
後、10分もすれば実家の最寄り駅だ。しばらく帰っていなかったのだが、親から駅のことについて聞いていた。
今度、町おこし事業の一環として駅舎を新築するらしい。その話を聞いた時は今の時代に豪勢なことだなと感心したのを覚えている。
今はまだ旧駅舎のままだが、いずれ新しい駅舎となり様々な人生と関わっていくのだろう。
俺は関わることが出来るだろうか…。そんなことを真っ先に考えつくほどには病んでいると言っていい状態だった。
「よくないよくない!」
そんな考えを振り切るように声に出すのが、近頃の口癖になってしまっていた。
葛藤を繰り返している内に聰を乗せた電車は最寄り駅へと、その足を停めた。
「やれやれ…。どうにか着いた」
必要最低限の物だけを入れたスカスカのボストンバッグを手にホームへと降りた。
辺りを見回してみる。新駅舎の工事はまだ始まっていないようだ。
時間はお昼を過ぎたところで、人はまばらだった。この利用者の数も慣れ親しんだ風景とよく重なった。
「帰ってきちまったなぁ」
聰は都会暮らしが長く、自動車免許の必要性を感じなかったため、免許を取得していない。今日は聰の父、徹が迎えに来てくれる手筈になっている。
父はスマホ全盛のこの時代に携帯電話すら所持していない。携帯が出たばかりの頃、流行り物に流されたくないと言う理由から今の今に至るまで購入していないのだ。そのせいで父と話す時は専ら家の電話だった。今日も電車が着く時間は伝えていたものの若干の不安があった。
「ちゃんと来てくれてるかな?」
実はこのことで職場の同僚にも若干迷惑を掛けているらしいと、聰は母の小百合から聞いていた。父はというと、どこ吹く風と言わんばかりで気にも留めていないとのことだった。
「聰、せっかく帰ってくるんならあなたから携帯を持ってくれるようにってお父さんを説得してみてくれない?」
母がそんなことを言っていたことを思い出して、聰は少しおかしくなった。
「ハハ、こっちは平和で良いよな」
「まぁ大した仕事でもないし、しばらく厄介になるんならそれくらいは解決してやるか」
そう言いながらホームを降りて改札に向かった。
帰郷した時には父は決まって駅の北口のロータリーに車を停める。そちらへ向かって歩みを進めるのだが、何だかこういう時は妙に緊張してしまう。今日は普段の帰郷とは若干意味合いが違うので余計な意識をしてしまっているかもしれない。
駅舎を出て目的のロータリーを見る。帰っていない間に車を買い替えていなければすぐに見つかるはずだが。…あった。
トヨタのカローラ。父は昔から決まってこの車種にしか乗らない。古くなった車を買い替える時も次に乗る車は、やはりカローラだった。
どうやら買い替えてはいないようだった。待たせても良くないと足早に車に向かう。
父を確認すると、車の後部座席に乗り込んで
「ただいま。迎えありがとう。」
と、声を掛けた。
父は
「長旅ご苦労さん」
と返してくれた。
直接話すのは久しぶりなこともあって、何だかこそばゆい気持ちになる。
続けて父が言った。
「どこか寄るところあるか?」
「いや、特に無いよ。飲み物とかは家にあるでしょ?」
「どうだったかな…。まぁ何かしらはあるだろう。」
「それならまっすぐ帰って貰って良いよ。俺の用事で連れ回すのも悪いしね」
「迎えに寄越させてるだけで十分手間は発生してるぞ」
「ごめんごめん」
「そうじゃなくて父さんが言いたいのは、子供はそんなことを気にしなくても良いってことだ。…まぁ良い。なら帰るか。」
「…うん」
ロータリーから出た車は見慣れた風景を辿っていく。実家は最寄りから山を一つ越えたところだが、車であればそれほど遠くはない。
久しぶりの風景は、以前帰った時と比べても目新しい建物は無く、それほど変わらないように見えた。
「前に帰って来た時とあんまり変わらないね。何年ぶりだっけ?」
「そうだな。特別新しいものは無いな。お前は仕事でしばらく帰れなかったから5年以上前じゃないか?」
「え、そんなに経つ?」
「確かお前の友達が同窓会を企画したとかで帰ってきたっきりだったろう」
なるほど。確かに同窓会に出席した覚えがある。しかし、それがまさか5年以上も前のことだとは…。聰の感覚ではまだ2年か3年のつもりでいたのだが、どうやらそうでは無いらしい。
「マジかぁ…」
自分と世界の時間の進み方に違いがあるのでは無いかと思わせられるほどで、何だか罪悪感にも似た気持ちを覚えた。
「聰、時間なんてのは人生に付いてくるオマケみたいなもんだ。それを忘れられるってことは一生懸命に生きてるってことだぞ。あまり気にするな」
「あぁ…うん。そうだね」
心の内を表に出したつもりは無かったが、父に見透かされたようで少しドキッとした。
車は峠へと差し掛かる。これから山を越えるのだ。
山を越えるとはいえ、この道路は出勤や通学、生活道路として使われているため車通りはそれなりにあった。しかし、今の時間は二人が乗ったこの車だけがこの道を進んでいる。
「珍しく車通り無いね」
「うん、そうだな」
時刻はお昼の12時半を回ったところだったが、この時間に後続車も対向車もいないことはあまり経験したことがない。
聰は珍しいことがあるもんだ、と思ったものの特別気には留めなかった。
考えている間にも車は進み、トンネルへと差し掛かった。このトンネルは聰が地元にいた頃、10年以上前に完成したトンネルだ。
学生時代は自転車通学をしていたので、ここを毎日くぐっていた。
「懐かしいな…」
と、呟いた次の瞬間。ふと眠りに落ちるような感覚に陥った。しかし、トンネルを抜けたら実家はすぐだ。自分を揺り戻すように慌てて頭を振る。
「移動で疲れちゃったかな」
どうせなら帰ってから寝たいなどと考えている内に車がトンネルを抜ける。
そこには昔見た風景が広がっていた。青々とした山々、木々を揺らす風が、おかえりと言ってくれているような気持ちになった。
ふと、あのことを思い出した。母から父に携帯電話を持つように説得してくれという話だ。
あぁ、それがあった。どうやって言いくるめたものかと思案を始めたのだが、向けた視線の先に何やら違和感があった。
助手席にスマートフォンが置いてあるのだ。
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