役者転生
@ohmeet
第〇話「これは俺の物語じゃない」
これは、俺の物語じゃない。
◻️◻️◻️ 、四十七歳。
髪型、白髪混じりの短髪。
体型、痩せ型。
職業──、自称:役者。
家は都内にある家賃六万、自分より一つ年下なボロアパートの一室。
部屋には舞台小道具や稽古用の衣装、そして食い散らかしたカップ麺や弁当のガラなどのゴミとバイト終わりにそのまま脱ぎ捨てられた服達。
このゴミ溜め六畳一間が俺の城だ。
芸能活動、というか、初めてお金をもらって舞台に立ったのは大学の殺陣サークルだった。
そこで一年、舞台としては二本立たせてもらったのだが、その後調子に乗って自分で劇団を立ち上げたりもした。
まぁそっちは二年と経たずに解散したが。
どうも俺は指導者としてのカリスマは無かったらしい。
俺の数少ない友人の一人に言わせれば、「お前には華がない」だそうだ。
うるせぇ。
そんなの自分が一番わかってるっつの。
その後はオーディションを受けて舞台に立ったり、知り合いの演出家から現場を回してもらったりもすれば、昔共演した役者仲間と小劇場で、と。
それなりの数の舞台に出演してきたつもりだ。
しかし事務所にはついぞ縁が無く、そして当然の如く、フリーランスの役者にはそれなりの配役しか回ってこない。
貰えたとしてもギャラは雀の涙というやつで、稽古に向かう交通費と飲み会でとんとん、となれば結構もらえた方だと言える。
なので稽古がない間に複数のバイトを掛け持ちしてなんとか食い繋いでいる状態だ。
勘違いして欲しくないのは、現場を紹介してくれる知人たちには、今ではとても感謝しているということだ。
顔も良くない、背も平均、アクロバットができるわけでも無く、声が特段いいわけでもない。
そんな平凡で目立たない、いわゆる落ちこぼれな役者生活を送っている自分に、お芝居ができる場所を紹介してくれているのだ。
感謝こそすれ、恨むことなどできようはずもないだろう。
そりゃあ若いうちは、妬み嫉みが無かったとは言わないさ。
数年前共演した仲間が、大物演出家の元で主役を張っただの、有名漫画のテンゴで主演だのという話を聞くことは何度かあった。
舞台以外では雑誌のモデルにテレビドラマに映画にと、彼らはそれはそれは満ち足りた役者生活を送っていたわけだ。
対して俺は、キャパ五十から百の小屋で、楽屋は廊下。
前日から仕込みの手伝いと、舞台に出て一言二言ご忠臣して、あとはクライマックスで大袈裟に切られる。
それを六回だか十回だかやって、もらえる金は家賃よりも少ないときた。
たまの休みが被って、荻窪のダイニングバーなんかに連れて行ってもらったこともあった。
行きつけなんだ、とか言ってこっそり奥の個室に通してもらった時は少しワクワクした覚えがある。
そこでは映画撮影はどう大変だったとか、熱狂的なファンが何人もいて、普通の居酒屋で呑むなんてとてもじゃないが考えられなくて寂しい、だとか。
出される料理も小洒落たものばかりで腹の足しにもならないし、年代モノのワインなんか価値も美味しさも全くわからなかった。
俺はというと、舞台終演後に差し入れで余ったビールを持ち帰っては冷蔵庫に詰め込んで、一晩一晩ちびちびと呑むのがささやかな楽しみだったというのに。
その夜、一人電気の付かない部屋でやけ酒を煽りながらそいつの映画を見て、へたくそ、なんてなじることくらいは多めに見てほしい。
俺が彼らと違う点、それは──、彼らは成功して、俺は成功しなかった、それだけだ。
彼らは何処かで縁を掴んだ。
相当な努力も苦労もしたはずだ。
そして何よりも、運が味方したのだろう。
俺は人付き合いが得意な方ではなかった。
口下手だし、性格はお世辞にも良いとは言えない。
若いうちは芝居で俺より上手いやつなんていない、と天狗になっていた時期もあった。
だからこそ、研鑽を怠った。
そんな俺に味方してくれる運などあろうはずもなかったのだ。
それでも醜く役者業にしがみついて、様々な現場で様々な理不尽を受けたこともあったが、決して役者だけは辞めなかった。
辞めたくなかった、夢があったから。
そうして役者を始めてから、気づけば四半世紀にもなろうと言ったところか。
今では三月にいっぺんあるかないか、というアンサンブルの案件で、新人の役者にアドバイスしたり、たまにご飯を奢ってやったりしている、何処にでもいる木端役者の仲間入りだ。
────────────────────────
だが今回はいつもと少し違う。
知り合いの演出家も、長くやっているだけあって、実力もコネも十分に掴み、業界の上澄みに名を連ねるようになっていた。
その彼が、作・演出でそれなりに大きい舞台を打つことになった。
そんなニュースがネットに上がる数日前、バイト終わりにいつものようにコンビニ飯ちビールをかっくらっていた俺に、突然電話がかかってきた。
お互いに久しく会話をしていなかったので、近況報告や昔話に花を咲かせるものだと俺は思っていた。
だがその電話で俺に告げられたのは、彼が今度打つ舞台へのオファーだった。
キャパは一千人ほどの大劇場、公演期間は二週間で、当社比ちょいロング公演といったところか。
主演陣はプロデューサー肝入りの新進気鋭のお芝居お化けな若手俳優、ヒロインには国民的テレビ小説で主演を果たしたフレッシュな新人女優を使うのだとか。
その他看板どころにいつか共演した大物俳優や、テンゴで大活躍の衣装、小道具さんの名前も上がった。
そしてギャラも普段の五倍はある。
先払いで半分、残りは終演後、という今まで受けたことのない好待遇に身震いするほどだった。
俺は二つ返事で了解し、すぐにバイトなどの調整を進めて、貰った台本を穴が開くほど熟読した。
とうとう日の目を浴びられる、と期待に胸を膨らませ、稽古に臨み、座組みの雰囲気も順調そのもの。
主演陣や新人の子からも一目置かれ、自分史上最高に充実した稽古期間を終え、あっという間に本番前日を迎えた。
「──母さんが?」
そんな有頂天の男をどん底に叩き落としたのは、またしても一本の電話だった。
数ヶ月前から入院中の母の容体が急変したと、兄から連絡があったのだ。
男は舞台への責任感と、今までまともな孝行もできなかった親への罪悪感で今にも倒れそうだった。
ここでこの舞台を逃せば、もう二度と俺は良い舞台を踏めない気がする。
大丈夫、母は強い人だ。
何しろ女手一つで男三兄弟を育て上げたのだから。
入院したと言っても、きっと公演期間が終わる頃にはころっと体調も快復して、見に行けなくて悪かったね、なんて意地悪な言葉を俺に浴びせてくるはずだ。
だから俺は──。
俺は、会いに行かなかった。
そしてその事を、俺はすぐに後悔することになる。
舞台は大盛況のままに終わりを告げ、誰一人欠けることなくその幕を閉じた。
舞台が終わるまで、兄達からは全く連絡が来なかった。
便りの無いのは良い知らせ、なんていう諺もある。
やっぱりそこまでひどい病状じゃなかったのだろう。
そんな風に心を落ち着けながらも、貰ったギャラをそのままタクシーの運ちゃんに渡し、終演後、急いでそのまま病院へ向かった。
間に合わなかった。
男が病室へ辿り着くと、兄はポツリとそう呟いた。
母は、つい数分前に息を引き取ったという。
役者は親の死に目にも逢えない。
誰がはじめに言ったというわけでも無く、世間一般ではそう言われている。
度々ニュースで騒がれるその美談は、お茶の間の大衆の慰みの物語としてしばしば消費されるエンターテイメントの一つだ。
これは、そんなものじゃあないだろ。
────────────────────────
母の死後から二週間ほど、法事や手続きはほぼ全て兄達がやってくれていた。
葬儀と相続関連は母が生前から遺言書を残してくれていたので滞りなく済んだ。
俺は舞台のギャラが入っていたこともあり、バイト先も短期を切り、いつも行く一店にのみ絞って週二日。
そうしてしばらく実家で親戚たちの相手をして気を紛らわした。
話はお前の得意技だろ、と、兄たちから申し付けられたのもあるが。
次の舞台が決まっているわけでも無く、バイト先も通えない距離ではなかったので、可能な限り母を偲ぶことにしたのだ。
そんな無気力な男の元に三度、聞き慣れた電話の音が鳴り響いた。
俺はあれ以来、すっかりこの音が怖くなっていた。
一度目は吉報ではあったものの、あの舞台が無ければ、と考えなかったわけではない。
二度目が決定的だった。
希望を持って臨む、俺のささやかな一夜城を幾千の兵が大挙して攻め込んできたような。
さらには欲しい時に鳴らなかった電話。
かかってくれば恐怖するくせに、かかってこないことでさらに疑心を募らせる。
そして今回──。
俺の日常を揺らそうと電話をかけてきた主は、先日の舞台の演出家だった。
男は一瞬にして様々な悲報を想像した。
その全てを呑み込む覚悟をきめ、とうとう電話をとることにした。
しかしその電話は何のことはない、舞台の成功を祝っての打ち上げをしようという提案だった。
こんなご時世のため、終演後そのままというわけには行かないので後日改めて、と話がまとまっていた。
俺は気分転換と次の仕事につながるきっかけを求めて、その打ち上げ会場に向かうことにした。
演出家の知り合いが経営しているという大衆居酒屋を貸し切っての打ち上げだったが、座組みから参加した人数は結構なもので、そのうち七割が参加、という近年稀に見る参加率の良さだったと思う。
やっぱりみんな対面で呑みたかったんだなぁ。
そんな事を考えながら、共演者たちと楽しく会話して過ごすうちに、久しぶりの酒にすっかり酔いが回っていた。
親の死を看取れなかった罪悪感から解き放たれたかったのか、ただ他人に赦しを乞いたかったのか。
俺はこの一ヶ月程でこの身に起きた出来事を、母の死を、他人に溢してしまった。
祝いの席でなぜこんな話を、という理性が確かに存在したが、久しく忘れていた酩酊から来る解放感の前には無力だった。
しかし暗い話で場を盛り下げるのも野暮だという認識だけは残っていたので、有体に言えば美談風にすこしだけ話を盛った。
果たしてその場の判断として正しかったのかは俺にはわからないのだけれど。
そうか、こういうことだったのか。
口から出てくる思ってもいなかった言葉を紡ぎながら俺は、テレビの向こうで毅然とした表情のまま、大切な人間の死よりも仕事を優先するのが役者だと語る俳優達の気持ちを理解した気がした。
そうして話す事で、誰かが『辛かったね』だとか『立派』だ、とか月並みな言葉で俺を慰めてくれると思ったのかもしれない。
俺は、俺のこの愚かさを、誰かに赦して欲しかったのかもしれない。
しかし、現実はそう思い通りにいかなかった。
「行けばよかったのに」
少しだけ心の軽くなった俺に対して、話を聞いていた俳優の中の一人が鋭い矢を放ってきた。
「お前が抜けてもその穴くらい埋められたし、さも美談風に語ったところで打ち上げで親が死んだ話とか雰囲気ぶち壊しなんだよなー」
その言葉に俺は、ただ笑って誤魔化すことしかできなかった自分を更に恨んだ。
一発でも殴り返してやれば、俺の名誉も少しは浮かばれるというものだろう。
しかし現実はざんこくだ。
俺にそんな度胸の一欠片でもあれば、今こういう状況にはなっていなかっただろう。
悔やんでも、悔やみきれない。
その後も男の説教は続き、とうとう俺は打ち上げ終了の時間まで男の話を聞き続ける羽目になった。
その頃には俺の心はすっかりボロボロになっていて、声は掠れ返事もままならないまま、貼り付けた笑顔と辛うじて動く首をただ上下に動かして、その場をやり過ごした。
その後は有志で二次会に行く流れになったが、行ける様なメンタルは持ち合わせてはいないので、金だけ幹事に渡し、ひっそりと一人、店を後にした。
終電はまだあったので帰ろうと思えば帰れたのだが、まだ頭がくらくらする気がした。
酔い覚ましだと自分に言い聞かせ、気づけば俺はただあても無くそこらをフラフラと歩き始めていた。
気づけばどんよりとした雲が、大空を我が物顔で覆っていた。
歩き始めて数十分なのか数時間なのか、はたまた数分だったのかはわからない。
いつの間にか頬を伝う冷たい水の感触に、俺は、あぁ雨が降ってきたんだな、なんて考えながらふと空を見上げた。
見ているだけで吸い込まれるような巨大な暗雲の下、思い出したくもないのにさっきの男の話が耳にこびりついて離れない。
「お前の代わりなんていくらでもいる」
「客が見にきてるのはお前じゃないんだから」
「お前みたいな独りよがりな役者は一生売れないよ」
「いけばよかったのに」
胃液が逆流する。
さっきまで食べていた料理や酒がその場にぶち撒けられる。
膝をつき四つん這いの姿勢になって、俺は俺の中身をすべて吐き出してしまおうとした。
道路の脇にへたり込んでしまった男は、いつの間にか本降りになっていた大雨の中、言葉にならない言葉を吐き出すことでただ哭くことしかできなかった。
20にして大学を中退、親の脛を齧りながらなんとか舞台業界にへばりついてきた。
何度も何度も親から金を借り、返せたことなど指で数えられる程度。
さらに親の死に水もとれず、年下の俳優からは謂れもない説教を受け、稽古のない間は昼に夜にバイト三昧か。
生まれてこの方異性との交際経験も一切なく、口下手に、むしろ口が動きすぎて誤解を招く、とは友人の談だが。
その昔からの交友関係すらも十に満たない程の小世界だ。
肝心の本業と呼ぶ役者業はと言えば、本番期間中は水道や電気が止まることすらある程の薄給。
地震が起こるたびに壁のヒビを広げる築四十年強のボロアパート。
その六畳一間でただ寝て起きてを繰り返すだけ。
それが俺の、◻️◻️◻️の、人生。
なぁ──────。
「お前の人生、なんか意味あったか?」
それは水溜りに映るもう一人の自分か、それともその情けない顔を見た自分が発した言葉だったか。
「……おっ、おぶぇあ、あぁぁぁあ!!がふっ!ごぁ…っ!………お、おばえ…が…!がはっ…かひゅ……ふ、ぐぅ……うっ……うぁぁ…あぁぁぁ………」
男は全てを喪った。
自負を。
──志を。
動機を。
──夢を。
母を。
──心を。
────生きる理由を。
「お前が──、◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️──」
────────────────────────
頬を伝う水がもはや先から際限なく降り頻る雨なのか、はたまた涙なのかもわからないほどに時間が経っていた。
男が失ったものは母だけではなかった。
年下の俳優に自尊心を殺され。
自分の指標を破壊され。
もはや男には死ねない理由は無かった。
それでも足に力を入れ、立ち上がるための理由としたのは。
「…バイト……いかなきゃ」
ボロボロに壊れた心で選択したのは、他人のためだったのか、自分の評価を守るためだったのか。
棒のように固まった足をなんとか動かし、男はポツポツと歩き出した。
どこへ向かっているのかもわからないまま。
どれだけの間を歩いていたのかはわからないが、立ち上がった膝にやはり力が入らなくなり、歩き疲れて今にも倒れそうな男。
背中越しに自らの影を延ばす眩い光に振り返った時にはもう──。
間に合わなかった。
眼前に迫っていたのは、どうしようもなく巨大な、ただの鉄塊だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます