第11話「本音」
何も言えなかった。「頑張れ」も「行かないで」も、口にできるほどの勇気が出なかった。
「勝手に決めてごめんね。でも、これは私の人生だからさ、私がやりたいことをやりたい」
儚く、けれど真っ直ぐに彼女は笑っていた。香純の笑顔を見る度に、心が締め付けられる。また、俺は香純から目を背けてしまった。
「直樹」
優しく香純は声をかける。その声に顔を向けることはできなかった。
「今まで一緒にいてくれてありがとう。直樹は、私にとって、いっちばんの大切な存在だよ。だから、勝手だけどさ、直樹には応援してほしいな」
そう言われて素直に応援できるほどできた人間じゃない。ぎゅーっと、胸の奥が苦しくなる。
「出来るわけないだろ、応援なんて」
自分でも情けない声だった。途端に恥ずかしくなる。振り絞るようなさっきの声にも、今の自分の姿にも。
今にも海に身を投げ捨ててやりたい気分だった。いっそ身投げでもしてやろうか、と身体が動き出そうとしている瞬間、香純はぴったりと俺を抱きしめてきた。
「ごめんね。自分勝手でごめんね。わがままでごめんね。直樹が怒っていてもしょうがないと思う。だけど、私でも輝ける場所があるなら、僅かでも可能性があるなら、私はそれに賭けてみたい」
どこまでも、香純は意地悪だ。
「…………そんなこと言われたら、お前を応援する以外なくなるだろ?」
「えへへ、そう言ってもらえるの、嬉しい」
そうやって俺の胸の中で笑う彼女はいつもの香純だった。にへへ、と綺麗な白い歯が見えるのがズルい。
「やっぱお前、最高に可愛いわ」
心の中で呟いたつもりだったが、声にしてしまった。そのことに俺が気付いたのは、香純が顔を真っ赤にしているのを見てからだった。
「な、なななななな何言ってんの直樹。そんな、可愛いとか、恥ずかしい……」
思い返してみれば、俺が香純にこうやって直接気持ちを伝えたことはなかった。そんなに意識しなかった、ということもあるが、単に俺が恥ずかしかった、というのがあるだろう。言葉にしてみるのもいいもんだな。あたふたと踊る香純を見れる。
「なんだよ、モデル始めたらずっと言われるんだぞ?」
「でも、でも……直樹に言われたことなかったから、なんか、照れくさくって……えへへ」
はにかんだ表情もたまらなく可愛かった。俺の脳内はどうやら深刻なエラーを起こしてしまったらしい。言葉が「かわいい」しか出てこない。
思わず俺も香純を抱きしめる。自分から仕掛けたくせに、想定していなかったのかまた変な声が聞こえた。
「ちょっと、直樹、今日いろいろ変だよ?」
「かもな」
「もう、恥ずかしいったら……」
ブレーキが壊れた俺は止まらない。さらに力強く香純を抱きしめた。腕の中の香純は想像以上に華奢で、細くて、これ以上力を入れたら潰れてしまうんじゃないか。そんな気がした。
「痛い」
自分でも力を抑えていたつもりだったけれど、それでも香純には苦しかったらしい。すこしゆとりを持たせ、力を緩めた。
ずっとこうしていたい。このまま2人だけの世界に浸って、そのまま終わりたい。でもそういうわけにもいかないことを俺も、そして香純もわかっている。
「俺、会いに行くから」
抱きしめながら俺は言った。
「たとえ香純がどこにいても、絶対会いに行く。だから香純も、辛くなったらいつでも戻って来い。いつでも待ってるから」
香純の方を見ると、彼女は少しの間ぽけーっとしていたが、俺の顔を見るなりまたプッと吹き出した。
「……なんだよ」
「いや、なんかキモイ」
自覚はある。だからそれ以上言うな。俺は香純の頭をポカポカと二回叩いた。痛い痛い、と香純は笑う。
昔に巻き戻ったようだ。幼くて、何も知らなくて、無邪気で無垢だったあの頃。だけどそんな日々はもう二度と来ないかもしれない。俺達は変わっていく。俺も、香純も、変わってしまう。
だけど、変わらないものがもしあるとするならば…………。
「あのさ、香純」
心臓が今までで一番高鳴っているのがわかる。香純にもこの鼓動の音が聞こえてしまっているだろうか。もしそうだとしたらかなり恥ずかしい。
気持ちを落ち着かせるように一度深呼吸した。しかし緊張は増すばかりだ。おまけに香純の不信感も募ってしまった。
「どうしたの? 気分悪い?」
「いや、そんなんじゃない」
緊張と恥ずかしさで上手く言葉が出てこない。もうすぐそこまで言葉は出かかっているのに。
「その、俺……」
言いかけて、飲みこんで、また言い直して、その繰り返しだ。どうしよう、勇気が出ない。俺は自分が思っていた以上にチキンだった。
ふと俺は視線を下に向ける。香純は俺の方をじっと覗き込んで、俺の言葉を待っていた。馬鹿にするでも期待するでもなく、ただ待っていた。
何やってんだ、俺。
肩の荷がスッと下りた。少しばかりリラックスできたかもしれない。俺はふう、と一呼吸置いて、想いを伝えた。
「好きだ、香純」
不思議と言葉にした瞬間は緊張感はなく、自然と口にすることができた。しかし魔法はあっというものに解け、途端に羞恥心が全身を駆け巡る。身体中がむず痒くて仕方がない。
返事が聞きたい、でも怖い。そんな思いの中もう一度香純に目を向ける。彼女はは瞳を潤わせ、プルプルと口元を震わせている。
「嬉しい」
ただそれだけ呟くと、香純は俺の腕の中を離れ、一目散に逃げていった。言葉と行動が一致していない気がするのだが。
くるりと振り向くと、そこには笑顔の素敵な絶世の美少女が佇んでいた。
「私も、大好きだよ!」
彼女がそう言った途端、俺の瞼からも涙が溢れ出す。嬉しかった。ただ想いを伝えあっただけなのに、こんなに嬉しいことなんてあるか。
俺は香純の元へ駆け寄り、もう一度抱きしめた。香純も俺に触発されたのか、それとも我慢していたのに耐えきれなくなったのか、ボロボロと大粒の涙を零していた。
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