第21話

 五月に入って数日。ゴールデンウィークの休みも残り一日となった頃、光秀は自室で寝転がっていた。

 長いようで短い休み、どこか出かけるにしても金銭的な余裕もなく相手もおらず。結局一人で部屋にこもっていることが多かった。

 同じように暇をしている住人も多く、ではみんなで何かするかというほどやる気には満ちていない。

 例外として、景子と聡は旅行へと行っていた。景子が親から借りた車で出かけるとのことで、その帰ってくる日は今日となっている。

 ……はぁあ。

 光秀は思わず大きな欠伸をしていた。窓から春眠を誘う陽の香りが漂ってきているせいだ。

 暇だな、と思う。たまにはこんなのも悪くない、とも。

 朝食と洗濯を済ませ、午後に取り込みまですべきことはない。何をしてもいい時間にそれを無駄に過ごす、そんな贅沢に浸っていた。

 まどろみ、意識が薄れていく。このまままた眠ってしまうのだろうとうつらうつらと考えていた時だった。

 コンコン。

 木をたたいた時の乾いた音に、光秀は閉じていた目をうっすらと開ける。

 ……

 つい先ほどまで深層まで落ちていた意識はすぐには上がってこない。

 ――コンコン!

 次第に大きくなる音に、ドアの向こうの人の感情が乗っているようだ。


「……はぁい」


 光秀は声を上げるとともに、上体を軽く起こす。

 ……ったく。

 人が気持ちよく寝ているときに、と独り言ちるとドアが開き、


「やなっち」


 そこには詩折が立っていた。

 その顔を見て、すぐに思い浮かんだのが、

 ……由希恵のことかな。

 先日の話し合いの後に景子から言われたことだった。

 未だにタイミング悪くちゃんと話ができていない。表面上は落ち着いているようだったので甘えがあったのも否定ができない。

 だからわざわざ詩折が部屋まで来たのは、景子が気を利かせたのだろう、と思い、


「由希恵のこと?」


 そう、尋ねていた。

 詩折はその言葉に、ゆっくりとうなずく。

 そして、


「今日時間あるっすか?」


「あぁ」


 詩折はそれを聞いて、小さく笑みをこぼし、


「ユキも今晩時間があるみたいなんで、飲み行きたいっす!」


「了解……ありがとな」


「いいんすよ。ユキは友達だし、うちも気にしてたっすから」


 そういって、詩折はスマホの画面を前にかざす。


「サク姉から連絡あって場所用意してあげてって。言ってくれたらいいのに、水臭いっすよ」


「そうだな……ごめん」


 光秀は起き上がり、そして頭を下げる。

 景子から話を聞いた後、すぐに詩折に頼むつもりではあった。ただそれをしてしまったら人に頼っている気がして、

 ……我ながら安っぽいプライドだなぁ。

 景子からお願いされたことを一人で完遂してみせようと思っていたのに、結果として後輩に先手を打たれてしまう。こんなことならば素直にお願いしていたほうが幾分も簡単に事を済ませることができただろうと考えると、恥ずかしくてたまらない。

 朱のさした頬を気づかれたくなくて、光秀は詩折に背を向ける。


「あの……」


 その背中めがけて声が刺さる。


「由希恵のこと、よろしく頼むっす」


「頑張るよ」


 最低限それくらいはしなくちゃな、と思いながら光秀は言う。

 じゃあまた夜に、とすぐに詩折は退出していた。

 光秀は情けなさをぬぐうように一度大きく自分の頬を叩いていた。




 午後七時過ぎ、光秀は家から近くの居酒屋で席についていた。

 正面には由希恵が、そしてその隣には詩折が座っている。

 

「今日はすみません。詩折から話は聞いています。その……よろしくお願いします」


 そう話し始めたのは由希恵だった。

 まだ店内についてすぐ、席に座っておしぼりも届いていない。そんななかでかしこまられて光秀は困惑していた。


「まあまあ、そんなに気を張らなくていいから。話だったらいつでも聞くし、ある程度協力できるところはしていきたいと思ってるし――」


 それに、と光秀は続けて言う。


「――ごめん、景子さんからフォロー頼まれてたのにここまで遅くなっちゃって」


 由希恵よりも深く頭を下げる。

 これくらいしなきゃなぁ。

 それは由希恵に対しての、そして景子に対しての謝罪だった。

 それを見て慌てる由希恵に、


「わはは、やなっちもユキもそこまでにしないと店員さん困っちゃうっすよ」


 ぽんぽんと、周りに迷惑にならない程度の音で手を叩く詩折がいた。

 彼女の言葉通り、テーブルの横には店員がいて、手に持ったおしぼりが行き場をなくしている。


「あ、すみません!」


 光秀は急いで受け取ろうとしたが、店員にやんわりと断られる。

 そして丸まったおしぼりを一人一人に広げて渡しまわる。それが終わるとファーストオーダーの確認を始めていた


「――とりあえず生、三つでいい?」


「あっ――」


「お願いするっす!」


 光秀の提案に、一瞬声を上げた由希恵にかぶるように詩折が話始める。

 それをいぶかしむ様子もなく店員はオーダーを受けて去っていく。

 今年大学一年になったばかりの二人は、まだ二十歳を超えていないため飲酒はできない。近くに大学があることもあって、駅周辺にある居酒屋は年齢確認をしているところが多い。

 が、抜け道もあって、年齢確認が甘い店も中にはある。それはだいたいの学生に共有されていて、ここもその一つだ。

 とはいえ無理強いするつもりも光秀にはない。だから、


「飲まないなら飲まないでかまわないからさ。とりあえず堂々としていれば大丈夫だから」


 周りには聞こえないように少しだけボリュームを落として話す。

 由希恵の視線は、下を向いている。

 その様子は一見すると、罪の意識と葛藤しているようにも見えるが、

 ……前に普通に飲んでたしなぁ。

 光秀が思い出していたのは、共同生活が始まってからのことだった。景子を筆頭にシェアメンバーに酒好きは多い。積極的に飲まない顕志朗ですら、誰かの晩酌に付き合うことがよくあるほどだ。そのためキッチンには箱単位で発泡酒やチューハイが置かれ、各種蒸留酒も多数そろえられている。そんな中で二人だけ飲まないでいるということもなく、はにかみながら付き合う姿も当たり前になっていた。

 だから飲酒について忌避感はないことはわかっている。だからこの場合は、周りの目が気になっているのだろうということも。

 それにしても、と光秀は詩折へと目を向ける。

 丁度運ばれてきたジョッキを、彼女は手慣れた様子で配膳する。

 それをみて、

 ……少しは周りの目を気にしようよ。

 物怖じしない詩折にそんなことを思っていた。

 本当に正反対な二人だな、と光秀は思う。だからいいのかもな、とも。

 三人はずっしりと重いジョッキを持つと、乾杯とそれを打ち付ける。

 そして、


「――っくぅ」


 一気に半分以上飲み干した詩折がそう叫ぶ。

 その姿に由希恵が呆れた表情を浮かべて、


「詩折、ちょっとは女の子らしくしたら?」


 丁度光秀が思っていたことを代弁していた。

 その言葉に、


「うちはうち、よそはよそっす」


 そう反論して相手にしない。

 それ以上言うつもりがないのか由希恵はただ長く、そしてわざとらしくため息をついてジョッキを傾ける。

 ただその視線は横へ向けられたままだ。

 詩折はそのすべてを無視してメニュー表を開いている。

 気づいていないのか、それとも気づいていての行動かは光秀にはわからない。だが、由希恵は一瞥した後、光秀のほうへと視線を向けていた。


「梁瀬さん」


「ん?」


 由希恵はジョッキを置いていた。そして両手も膝の上にのせている。

 その様子に光秀も気を引き締める。

 そして、彼女が口を開く


「目安箱に書いたの、私なんです」

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