第12話 純喫茶にて
少しして、景子が足を止めたのは、枯木色の喫茶店の前だった。
周囲に色とりどりの現代的な店舗が立ち並ぶ中、そこだけ切り取ったかのように色あせて見える。店内をのぞけるはずのガラスは曇っていて、中の黄色い灯りがぼんやりと浮かんでいる。
「ここでいい?」
その言葉に光秀はただうなずいて答える。
その行動を受けて、景子はためらいなく彫の多い扉を開く。カラン、と来訪者の存在を告げるベルの音が鳴ると同時に、
「いらっしゃいませ」
店内から現れたのは初老すぎの男性だった。よく折り目のつけられた制服を身につけ頭髪は後ろへと固められている。
店の外観とは打って変わって清潔感のある店員の姿に、光秀は身が引き締まる思いを抱いていた。店内はしっとりと落ち着いた雰囲気で、いかにも高そうな絵画や調度品などが点々と置かれている。
男性が席に案内します、と進んでいく様子を見ながら二人は後をついていく。三時頃というのに空席が目立ち、客は他に一組しかいない。
「こちらへどうぞ」
向い合せになるよう二人掛けのソファーが、その間に木製のテーブルがある。表面はよく磨かれていて水滴の一つもない。入り口から遠いほうにすっと座る景子をみて、光秀は向かい合うように席に着いた。ぽふっ、と身体を包み込むようにほどよくソファーが沈む。体重のかからなくなった足からじんわりと血流が流れていくのが心地よい。
「お決まりのころに伺います」
男性はメニューの冊子をテーブルに置くと、見た目よりも年を感じさせる低い声を響かせて、深々と一礼をする。そしてカウンターのほうへと向かっていく。
光秀はピンと伸びた彼の背を目で追っていると、布のカバーがかけられた冊子を手に取る景子の姿が目に入る。彼女は最初のページからさっと最後のページまで一読すると、また最初のページをゆっくり眺めた後、
「私はコーヒーにするわ」
そう言って、冊子を差し出す。光秀はそれを受け取り開くと、
……やっぱり高いな。
ただのコーヒーですら紙幣一枚では足りない。
今時コンビニでワンコイン、ファミレスならば数百円でフリードリンクの時代に、提示されている金額に強い抵抗を覚える。
光秀は景子と同じように端から端までを流し見して、一番安いコーヒーを選ぶことにした。
「ご注文はお決まりですか?」
丁度良いタイミングで男性が現れ、注文を聞いていく。
「水出しコーヒーを一つ」
「俺も同じものを」
光秀の声を聴き終えると、男性は、
「ご一緒に甘いものか軽食などはいかかでしょうか?」
そういって、微笑みを浮かべていた。
いや、大丈夫です、と口から出る前に、
「いいですね。ケーキを二つ、お勧めでお願いします」
いくらかもわからないそれらを景子は注文していた。
大丈夫か、と光秀は思うがそれを声に出すことはなかった。けち臭いと思われるを嫌ったからだ。
注文を受けた男性はまた深く一礼して、冊子を回収すると立ち去る。
手元に何もなくなった光秀は、手持ち無沙汰になっていた。店内をきょろきょろとするのははしたないと、景子を見るしかない。ただ自分から切り出す話題もなくて、
……慣れないな。
喫茶店、カフェでお茶をする経験など人生で数えるほどしかない光秀にとって、ちゃんとした空間での過ごし方がわからないでいた。客が少なく、自分の声がよく届いてしまうこともあって、ペラペラとおしゃべりして場違いに思われないだろうか、という不安もあった。
「今日はありがとね」
だから話のきっかけを作ったのは景子からだった。
「どうしたんですか?」
「付き合わせちゃったからね。聡はあんまりこういうの好きじゃないから」
……それを言うなら、と、のどまで出かかった言葉を飲み込む。
だから、
「まぁ……楽しかったですよ」
「無理しなくていいよ」
景子は笑っていた。
「みっちーは何でルームシェアに参加したの?」
その質問が、単純な意味で聞いているわけではなさそうだと思い、光秀は小さく唸ってから、
「……さみしかった、んですかね? 仲間外れになるのが怖くて。子供っぽいですよね」
「いいんじゃないかな。私も大して変わらないから」
そうだろうか。
景子の性格とは似つかわしくない弱気な同意に光秀は疑問を覚える。さみしいというのならなおのことルームシェアなんぞしないで、聡と二人暮らしをするほうがよかったのではないか。
それが表情に現れていたのか、景子は、
「聡とずっと一緒っていうのはちょっと考えられなくてね。彼氏にするには楽しいんだけど、彼の子供はちょっと……」
「あー……」
なるほど、と光秀はうなずく。友達としてはい奴だけど父親としての聡を想像ができない。もちろん勝手な想像なのだが、うまくやるだろうという楽観視が出来なかった。
が、それがどう関係しているのかは話がつながっていない。
「それでルームシェア?」
えぇ、と短い返答の後、
「知らない人との生活で気づくこともあるかなって。このまま付き合い続けるにしても別れるにしても、いい経験になるんじゃないかなと思うから」
その言葉の後、もう一つ、と区切って、
「私、小学生くらいまで自分のこと男の子だとおもってたのよ」
自嘲気味に笑う景子に、ただ聞いていただけだった光秀は深く頷いていた。今の景子を見ていても体形を除けば時折男なのではないかと思うほどなのだから。
光秀の行動を見ていた景子は、唇を小さくまげて、
「んー、やっぱりみんな頷くのよねぇ」
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