籠の鳥たちは陽だまりを見る

第1話 振られて 前編

『ごめん、別れる』


 スマホに表示されている文字を見ながら梁瀬ヤナセ 光秀ミツヒデはベッドに仰向けで寝転がっていた。

 天井の照明が眩しく感じて、それを遮るようにスマホを移動する。

 画面にはいくつかのやり取りの跡があった。上にスクロールをすれば男女二人が写る画像もあるだろう。言い争った履歴もなく、一つ前のコメントにはまたね、と前日の夜の時間と既読の文字がある。

 最後のコメントは三十分ほど前に届いていた。光秀の利き手の親指はフリック式の文字入力の上をくるくるとさまよい、時折短い文章を書いては消していく。

 何度も何度も繰り返して、ようやくせわしなく動く親指が止まる。一度大きく光秀の胸が膨らむと、息を吐くのに合わせて両腕を大きく広げていた。

 ……何やってんだろ。

 視線は虚ろに、目標もなく天を見ていた。

 胸中には何も無かった。その不思議と落ち着いている自分の姿に、

 薄情者だなぁ。

 そんな言葉が思い浮かんだ。

 チャットの相手、植木ウエキ 杏子キョウコとは二ヶ月前に交際を始めた相手だ。以前から何かと接点があり、お互い好意がある仲ではあった。サークルの暑気払いの後に告白し、了承を得たあともそれなりに上手くやっていたと思っていた。

 光秀は付き合ってからの日々を思い返していた。世間のイベント時には慣れないながらも計画を立ててエスコートし、そこで特に失敗をした記憶もない。だと言うのに今日になっていきなり別れ話をされた。しかも、直接顔を合わせてではなくネットワーク上でだ。

 実は嫌われてたのか、それとも何か別の理由があるのか。答えの出ない疑問が光秀の胸中で浮かんでは消えていく。いっそのこと目の前で逆上気味に絶縁状を叩きつけられたほうが悩みが少なかっただろう。

 返信はしようとは思っていた。ただなんと書いて送ればいいかがわからない。別れたくないというのは簡単だけれど、彼女の自由意志を阻害する権利などない。そして別れ話の理由を聞く気にもなれなかった。

 いっそ子供のようにいやだいやだと簡単に言ってしまったほうがよかったのだろうか。行動に起こすのは簡単だ、チャットでそのままを送って明日詳しく話を聞けばいい。でもそれをしないのは、

 ……楽、なんだよなぁ。

 光秀が思い浮かべるのは、一生懸命だった頃。

 他人と何かするという経験が乏しいせいで、それでも彼女に飽きられないようにとネットや雑誌などで情報を集め、時には贈り物やサプライズを用意し、顔色をうかがうことが多かった。好きなブランドが多数入っているショッピングセンターで、興味のない服を買う様子を後ろであくびを噛み殺しながら見つめ続けることもあった。

 いまだに好意はある。不満も特にない。それとは別にめんどくさいと思うことがあっただけの話だった。

 光秀は目を閉じて彼女の笑顔を思い浮かべていた。何がいけなかったのか、どこが悪かったのか。結局何もわからないまま意識はゆっくりと底のほうへと沈んでいった。




 チャイムの音が鳴る。

 教壇に立つ講師は簡単に連絡事項を伝えると講義室から足早に去っていく。それに合わせて大半の生徒も各々のタイミングでその場を後にしていた。一人、もしくは複数人で談笑しながらとその様子は様々だ。

 その中で光秀はいまだ席から立たずにいた。他に二人の男子がいて、一人は光秀の隣に、もう一人は光秀の前で背もたれに腹をつけるように振り返っていた。

 三人ともノートを開いたままだが、誰一人ペンを持っていない。その視線は光秀へと向けられていた。


「え、別れたん?」


「まぁ」


 前の席に座る男子、相原アイハラ サトシの問いに光秀は短く答えていた。


「なんで? はやくね?」


 かもな、と応対しつつ光秀はノートの片付けをする。

 結局、あのチャットでの別れ話の後、一日が経っても光秀は何も返信が出来ていなかった。また、彼女からの連絡もない。大学に行けばどこかで顔を合わせる機会もあるかと思っていたがまだその姿をとらえてはいなかった。会ってしまったところでなんて言えばいいか決まってすらいないけれど。

 別れないでくれ、って言えればいいのになぁ。

 ドラマのように背を向ける彼女の手を取って思いのたけをぶつける姿を想像してみても、何か引っかかるものを感じてしまう。それを明言化できないために悩み、友達に相談をしていた。

 何かのきっかけにでもなれば、と光秀は思っていたが、話を聞いた聡は、


「そっかぁ、じゃあ切り替えて次探すしかないな」


「なんでさ」


 予期せぬ応答に光秀の手が止まる。声の主へと視線を向けると感情の薄い表情があった。

 他人事だと思って、と考えた光秀は軽く睨むように強く見つめると、聡は少し笑みを浮かべて、


「男の恋愛相談なんぞ興味無いからな」


 短くそう言い放った。

 なんて酷いやつだろう。

 そうは思わないか、と光秀が顔を横に向けると、


「あはは、まぁ言い方はどうかと思うけど僕も賛成かな」


 その言葉に光秀は驚きを隠せないという表情を浮かべる。

 川村カワムラ 信一シンイチ。背が低く童顔で穏和な雰囲気を持つ彼は、そのイメージ通り本心は別として人を貶したり否定するようなことをあまり言わない。くだらない相談事にも親身になって聞くほうだった。

 まじか……

 光秀は信一のを見て固まっていた。聡ならいざ知れず、信一までそういうとは思っていなかったからだ。よほどの理由があるのだろうか、と不安になる。

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