fleurs en rêve 〜夢見る花たち〜

月城美伶

第1話

 昔々ある時あるところ、深い森と山に囲まれた自然豊かな小さな国がありました。

その国は色とりどりのたくさんの花が年中咲き乱れる、とても美しい国でした。

その王国の名前は『ローザタニア』。


そしてさまざまに咲き誇る花々に囲まれるようにそびえ立つ白い大きなお城には、若くして国王となった聰明で清廉な青年のウィリアム国王陛下と、その妹で光り輝く宝石のように美しく可憐と評判のプリンセス、シャルロット様のご兄弟が住んでおりました。

さて今日もお城は穏やかに時が流れて行っております。どこからともなく優雅なピアノの旋律が奏でられ、木々にとまる小鳥は朗らかに囀り、ポカポカと暖かな午後の日差しは庭でお昼寝をしている猫に優しく降り注いでおりました。


 そんな優雅な午後の昼下がりでしたが、何やらバタバタと一人の女性がお城の中を駆け回っております。白髪頭の髪を結い上げて帽子の中に詰め込み、眼鏡が曇るくらいの勢いで走り回り誰かを探している様子です。廊下ですれ違う人に会うたび何かを聞いておりましたが皆首を左右に振り、そのたびにその老女はがっくりと肩を落としておりました。

探し疲れた老女が壁に手をついて溜息をついていると、そこに真っ白な制服に身を包んだ一人の青年と出くわしました。ことの経緯を説明するとその青年は眉間に思いっきり皺を寄せ、腕組みをして大きな溜息をつきだしました。

しかしふと何か思い出され、その老女に告げると老女は青年の手を握り感謝を述べてまたバタバタと走り出しました。青年はやれやれ…と息を大きく吐かれると老女の後を追って歩き出しました。


 今日も大変賑やかなローザタニア王国―――…さぁ少し一緒に覗いてみましょう。


……………………………………………………


 「シャルロット様!やはりここにおいででしたかッ!!」


柔らかい日差しが降り注ぐ穏やかな午後の昼下がりのことです。ここローザタニア王国の王都・パラディスにあります、たくさんの美しい花が咲き乱れるお城の中庭にはシャルロット姫のばあやの声が今日も響き渡っておりました。


「あら、ばあや!何でここが分かったの?」


顔中に青筋を立てハァハァと息を切らしながら、ばあやは自分の身体よりもはるかに大きい古びた納屋の扉を力いっぱい開きました。

シャルロット様、と呼ばれた美しい少女―――彼女はこのローザタニア王国のウィリアム国王陛下の妹で、この国一番の美しさを持つと称えられる姫君であります。

黄金の絹の糸のように美しく柔らかくウェーブを描く金髪に、まるでエメラルドのようにキラキラと輝くクリクリとした大きな緑色の瞳。

陶器のように滑らかで美しい白い肌に少し紅を引いたかのように色づいている艶やかで瑞々しい唇。誰が見てもドキッと一目惹かれるほどの美少女なのであります。

そんな光り輝くような姫様に似つかわしくない暗くて古びた納屋の奥に置かれている、これまた古くて幾年もの埃を吸っていそうなソファーにシャルロット様はダラッと寝っころがるように腰かけておいででした。


「ヴィンセント様が、シャルロット様は絶対この納屋に隠れているだろうと教えてくださったのですよ!」

「んもぉ…ヴィーったらいっつも余計なことするんだから!」

「ほら早く!エスパルニア語の先生とピアノの先生がお待ちですよ!早くお部屋にお戻りくださいっ!」


シャルロット様の腕を取ろうと皺皺のばあやの手が勢いよく伸びてきました。

しかしシャルロット様は猫のようにスッと身をかわし、ばあやに捕まるまいとしてその可憐な容姿とはウラハラ、ちょこまかとすばしっこく逃げ回ります。


「…私エスパルニア語もピアノの授業も嫌いよ」

「姫様!」

「エスパルニア語なんて昔の言葉もう使わないじゃない。それにピアノだって…全自動のピアノだってあるし、ウチにはお抱えの音楽家だっているし私がピアノをする必要ってある?」

「姫様ぁ!そんなこと仰らずにお勉強なさってください~」

「嫌よ!だって興味が無いから面白くないんだもの」

「姫様ぁ~…お願いですからばあやの言うことを聞いてくださいましぃ~」


ばあやは頭を抱えながらわーっとその場に泣き崩れてしまいました。

しかしシャルロット様はそんなばあやの姿を見てため息をつくと、腕組みをしながらツンッと突っぱねます。


「泣き脅しには屈しないわよ、ばあや!もうその泣き脅しの手は5000回以上使っているんだから!!」

「…そこをなんとかッ!」

「興味の無い無駄なお勉強するくらいだったら、私ここで本を読んでいるわ。ヴィーと先生方には、シャルロットは古い本を読んで文学を勉強をしていると伝えてちょうだい、ばあや!」


古い納屋は掃除が行き届いていないのでありましょう、シャルロット様は先ほどまで読まれておりましたばあやとのやり取りで床に落ちてしまった本に付いてしまった埃を掃いながら再びソファーに腰掛けられました。それはいかにも年季が入っているかのような深いこげ茶色の重々しい表紙、そして金の糸を細かく張り巡らしたのような装丁が施された分厚い本でございました。


「ねぇばあや見て。この本とっても面白いの!伝説のアレクサンドル王の話が書いてあるのよ」

「あら、もしかしてそれは200年前に書かれたバロビニサ王国の歴史本じゃありませんか?」


眼鏡の端をクイッと上げながら、先程まで泣き崩れていたはずのばあやはシャルロット様の本を覗き込みました。

ポケットからは目薬の容器が顔を出しております。それに気が付かれたシャルロット様はやはりばあやの泣き脅しは嘘じゃない、と言ってばあやを肘で優しく小突かれました。


「ばあや知ってるの?」

「えぇ…ばあやがまだ女学生だったころに王都にございます中央図書館でその本を読んだことがありますよ」

「まぁ。そうなのね。アレクサンドル王ってとても素敵な方だったのね」

「人望厚く誠実でとても強くて優れた王であったようですねぇ」

「そのようね。今ね、アレクサンドル王が村人を食い殺す邪悪で凶暴でとーっても大きな竜を退治する話を読んでいるの!」

「アレクサンドル王が修行の旅の途中、村を襲いすべてを奪い去ってく竜に悩んでいた村人たちから相談されてこの邪悪な竜を退治する話ですね!アレクサンドル王のご活躍のお蔭で、この村は平和になったんですよね。そしてこの村って、実はローザタニアの近くにあった村と言われておりますよ」

「へぇ…そうなのね」

「懐かしいですねぇ~!ばあやも昔よくこの本を読んでおりました」

「黒檀のように艶やかな黒い髪に日に焼けた浅黒い肌に、鍛え上げられた鋼のように立派な筋肉の鎧をまとった体躯に、意志の強そうな立派な眉毛に鋭くも聡明さが隠せない全てを見据える大きな黒い瞳!それにまるで神話の神様を讃えた彫刻のように端正なお顔!性格も素直で優しく、強くて賢い男性だったって書いてあるわ!」

「…おやおや?そんな表現ありましたかね?」

「えぇ、ほら、ここにそう書いてあるわ!」

「おかしいですねぇ。この本…そのようなことは書いていなかったはずです」

「そうなの?」

「おや?よーく見ると…ばあやが知っている本とは似ているけれどちょっと違いますねぇ」

「まぁ!」

「ちょっと姫様、失礼…っ!」


ばあやはシャルロット様の手からその本をパッと取り、パラパラとページをめくり始めました。どれどれ…と老眼が進んでいるばあやは眼鏡を上げ下げしたり、本を遠くにやったり近くにやったりと色々試行錯誤しながら小さい文字を見つめています。

眼鏡を通して、ばあやの目が大きくなったり小さくなったりしているのを見て思わずシャルロット様はプッと笑いを吹いてしまいました。そんなこともお構いなしにばあやは本を字のごとく目を凝らして本を読んでおります。


「どれどれ…『ジェーニャよ…愛しい私のジェーニャよ。どうかこの私の身体から溢れる出る貴女への熱い思いを受け止めてくれないか。美しい貴女のその髪に触れる度に私の心は…心の奥はまるで灼熱の太陽に焦がされているかのようにかのように熱くなるんだ。今日も貴女のことを思うと夜が寂しい。この昂った熱をどうか貴女の奥に届けたい…』そうアレクサンドル青年はジェーニャの耳元で甘く囁いた…ってなんですか、この本ッ!」

「えー?さっきばあや言ってたじゃない。バロビニサ王国の歴史本でしょ?」


ばあやはキャーッと叫び、顔を真っ赤にしながら照れ隠しのように本を床に投げ捨てました。


「ここここ…こんなシーン、ございませんでしたよ!!ばあやが覚えている本の内容では、確かお二人の出会いのシーンなんてものの一行でしたよ!」

「えー?」

「…まぁっ!!なんと…これは官能小説並みの続き…っ!この本異本でしょうかしらっ!?」

「えー、もっと読みたいわ!」


床に落ちている本を拾い上げようとシャルロット様が手を伸ばしましたが、これは大変と、ばあやは老人とは思えぬ素早さでパパッと動き、シャルロット様よりも先に本を取り上げました。


「なりません!姫様にはまだ早すぎますッ!」

「いいじゃない。これも勉強の一つよ!」

「駄目です!まだ嫁入り前の女性が読むものではございません!この本はばあやが預かっておきます!」

「もしかしたらお兄様やヴィーの本かもよ?」

「…その場合はまぁなんと申しますか…。それはそれでこのような本を隠し持ってこっそり読んでいるなど…。殿方はもっと堂々として置いてもらわないとっ!!」

「ねぇ、この本がお兄様のなのかヴィーのなのか、直接聞いてみましょうよ!」

「だだだだだ駄目です姫様!殿方には殿方の、女性には触れさせない秘密の花園というものがあるのですよ!」

「?言っている意味が分からないわ、ばあや!」

「とにかく、この本はばあやが預かっておきますから!姫様は早くエスパルニア語とピアノのご指導を受けてきてくださいましな」

「えー嫌よぉ!」

「姫様!」


小脇に抱えている本を取ろうとシャルロット様は何度もばあやの脇腹を狙います。

しかしばあやは素早く身をかわし、シャルロット様にこの本を奪われまいと必死に逃げ惑います。

床の埃が一気に舞い上がりました。

窓から差し込む光に照らされて浮かび上がる無数の埃を吸いこんだばあやがくしゃみを我慢しきれず、一瞬身を屈めました。その隙をついてキラリンッと目を光らせたシャルロット様はその凄い速さでばあやから本を奪い取りました。


「あッ!」

「この本はいただくわ!きっとエスパルニア語やピアノよりもきっと勉強になるはずよ!」

「姫様~!まだ姫様には刺激が強すぎるから駄目です!」

「そう駄目と言われると余計に興味があって読んでみたくなるものなのよ!」


勝ち誇ったようにそう言い放ちながらシャルロット様は外に思いきり走り出しましたその時―――…


「きゃ…ッ!!」


突然シャルロット様の視界が真っ白に塞がれました。

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