不良牢番と処刑待ちの聖女

亜逸

第1話

 大陸でも有数の国力を有するゲルーダ帝国。

 その首都にある皇城の地下を目指して、一人の青年兵士が面倒くさそうな足取りで階段を下りていく。


 鳶色の髪と同色の目つきがいやに凶悪な青年兵士の名は、グラン・エドル。

 職務中に酒は呑むわ、賭け事はするわ、なんだったら職務そのものをサボるわで知られる、見た目どおりの不良兵士だった。


 そんなグランが向かっている場所は、大罪人をとらえるために設けられた牢部屋。

 そこの牢番の仕事を回されたがために、牢部屋へ向かっているわけだが、


(ったく、


 心の中で吐き捨てる。


 現在牢部屋には、一週間後にギロチン刑に処される、一人の少女が囚えられていた。

 名は、メリア・ルクス・ペリシェム。

 当代の聖女にして、ゲルーダ帝国の皇帝を殺めた紛うことなき大罪人である。


 そしてグランは、皇帝の暗殺を目論んでいた反帝国組織レジスタンスの一員だった。


 聖女に殺された皇帝は、ゲルーダ帝国史上でも類を見ないほどの俊英であると同時に、帝国史上でも類を見ないほどの外道だった。


 民に重税を強いるのは朝飯前。

 それによって上がった不満の声を封殺するために、週に一度程度の頻度で、見せしめのために無辜むこの民の首をギロチンで刎ね飛ばした。

 おもねる者たちには、甘い汁を吸わせることで己の忠実な手足に仕立て上げた。


 そうして得た富と地盤を元に他国を侵略し、奪い取った国の民も、自国の民と同様の目に遭わせる。


 国の内外問わずに及ぶ横暴を前に、大陸の諸国は立ち上がろうとするも、皇帝が放った間者の工作のせいで、同盟は遅々として進まない。

 その間にも民の首は飛び、侵略は進んでいく。


 それほどまでの惨状を前に、帝国内でレジスタンスを組織する者たちが現れるのは当然の帰結だった。


 だが、レジスタンスが事を起こす前に、帝国を訪れた聖女の手で皇帝が殺されたのは想定外もいいところだった。


 その聖女が囚われている牢の番を、レジスタンスの一員であり、皇帝暗殺の実行部隊に選ばれていたグランが任命された。

 本当に、「なんつう巡り合わせだ」としか言いようがなかった。


(まぁいい。俺たちの獲物を奪いやがった聖女様のツラでも拝んでやるとするか)


 そんなことを考えながらも、グランはうんざりするほどに長い階段を下りていき……終着点となる鉄扉を開き、床も壁も天井も石でできた牢部屋に辿り着く。


 言うまでもない話だが、一人の人間が二四時間牢番をするわけにはいかないので、当然交代制になっている。

 ゆえに牢部屋には、グランの前に牢番についていた兵士がいるわけだが、


「おうおう。爆睡してやがんな」

 

 入口傍にある、事務手続き用の机に突っ伏して眠っている兵士を見て、グランはカラカラと笑った。が、さすがにこのまま眠りこけられても困るので、兵士の頭を軽くはたく。


「交代の時間だ。さっさと起きやがれ」

「ぁ……?」


 牢番の兵士は、寝ぼけまなこをそのままに上体を起こし、数瞬グランの顔を見つめ……ここでようやく状況を把握したのか、慌てて言い訳をし始めた。


「ねねね寝てたわけじゃねえぞ! ちょっと考え事をしていただけだ!」

「別に上に密告チクったりなんかしねぇから、そんな慌てんなよ。つうか、密告チクられたら困るの俺の方だし」


 グランはニッカリと笑いながら、懐に忍ばせていた、ウイスキーの入った小瓶をチラッと見せる。

 自分よりもダメ人間を目の当たりにしたせいか、兵士は安堵の吐息をついた。


「つうか、どうせ寝るなら見張り相手のいる奥でしろよ」

「いや、聖女様の前で居眠りなんて恐れ多くてよ……」


 なんともズレたことをのたまう兵士に、グランは呆れた吐息をついた。


「まぁいい。あんたはもう、さっさと上がれ。地上階うえで見張ってる連中はバリバリの皇帝派だからな。あんまりチンタラしてると、どんな難癖つけられるかわかったもんじゃねぇぞ」

「おっと、そうだったな」


 兵士は立ち上がると、そそくさと牢部屋から出ていった。


 階段を駆け上がる音が遠くなったところで、グランは牢部屋の奥を目指して歩き出す。

 大罪人用だからか、この牢部屋には訪れた人間の名を記録する――見てのとおり今は形骸化しているが――事務手続き用の玄関広間エントランスが設けられており、牢があるのは、玄関広間奥に見える、無駄に長く無駄に狭い廊下を進んだ先だった。


 ただでさえ長ったらしい階段を下りてきたばかりのグランは、心底うんざりしながらも廊下を歩き……ようやく、牢がある部屋に到着する。


(さて、聖女様はいったいどんなツラを――……)


 と思いながらも、牢に囚えられている少女を目の当たりにした瞬間、グランは不覚にも心を奪われてしまう。


 腰に届くほどにまでに長い髪は、神聖さすら覚えるほどに美しい銀色。

 瞳も負けず劣らず美しく、まるで蒼玉サファイアのようだった。

 一五歳にしては大人びて見えるが、年相応の愛らしさもチラホラと残っている無垢なる美貌。


 その身に纏った罪人用の着衣すらも絵になる、この美少女こそが、当代の聖女にして、ゲルーダ帝国の皇帝を殺めた張本人――メリア・ルクス・ペリシェムその人だった。


 我に返ったグランは、バツが悪そうにボリボリと頭を掻く。

 どれほど美しかろうが、六歳も年下の小娘に見とれてしまうなど、本当に不覚としか言いようがなかった。


 気を取り直して、グランは部屋の隅にあった牢番用の椅子を引きずり、鉄格子の前に置く。

 背もたれに体の前面を預ける形で椅子に座ると、気安い調子でメリアに話しかけた。


「よう、聖女様。良い子はもう寝る時間だぜ」


 その言葉どおり、今は深夜。

 日付はすでに変わっており、だからこそ先程交代した兵士は睡魔に負けて居眠りしてしまったわけだが……しっかりとまなこを開き、静かに椅子に座っているメリアを見ていると、今が本当に深夜なのか段々自信が持てなくなってきそうだった。

 夜遊びや、レジスタンスとしての活動によって昼夜が逆転しがちなグランは、なおさらに。


 メリアはゆっくりと二つの蒼玉をこちらに向けると、淡々とした物言いでグランに応じた。


「お構いなく。敵地の中枢で眠りにつく気にはなれませんので」

「敵地って……やっぱあんた、最初はなからうちの皇帝をるつもりで来てたってわけか」

「…………」


 やはりというべきか、返ってきたのは沈黙だった。

 一言だけ言葉を返したのも、あくまでも自分が帝国にとっての敵だという意思を伝えるためだったようだ。


(さて、どうしたもんかねぇ)


 獲物を横取りされた手前、なんで彼女がわざわざ命を捨ててまで皇帝を殺したのかを確かめたかったところだが、


(「俺はレジスタンスでーす。だからなんであんたが皇帝を殺したのか聞かせてくださーい」なんて、言うわけにもいかねぇしなぁ)


 実のところ、聖女が皇帝を殺した件については、レジスタンスの間では反応が真っ二つに割れていた。

 皇帝を殺してくれたことを素直に喜ぶ者と、余所者よそものの手ではなく帝国人じぶんたちの手で皇帝を殺したかったのに余計なことをしやがってと憤る者の二つに。


 その中にあって、メリアが皇帝を殺したことに対するグランの反応は、その半々だった。


 実働部隊に選ばれ、こうして兵士として内偵している身だからこそ、皇帝の暗殺がどれほど困難であるのかを、グランは誰よりも深く理解している。

 それを成し遂げたメリアには、称賛の一つや二つ送ってやりたいところだが……やはり、この手で殺したかったという思いも捨てきれなかった。

 なぜならグランは、見せしめのギロチンのせいで両親を亡くしていたから……。


(聖女様の扱いは、レジスタンスでもまだ決めあぐねている。一週間後にギロチンにかけられることを考えると、そのうち結論は出るだろうから、俺がレジスタンスであることを明かすかどうかは結論それ待ちでいいだろ。まぁさすがに、見捨てるなんて胸くそわりぃ結論は出ねぇだろうけど)


 そんなことを考えながらも、極々自然に懐の酒瓶に手を伸ばし、コルクを抜いて一口あおる。

 途端、凜々しかったメリアの双眸が、じっとりと据わった。


「……貴方、牢番としてここにやってきたんですよね?」

「それ以外に、こんな薄暗いとこに来る理由なんてねぇだろ」


 と答えながらも、もう一口呷る。

 それを見て、メリアの双眸がますます据わった。


「職務中に飲酒なんて……貴方はいったい何を考えてるんですか?」


 あ。この聖女様、クソ真面目なタイプだ――そう確信すると同時に、レジスタンスであることを明かすことなく、メリアから話を聞き出すことができる糸口を見つめる。


「生憎俺は、地上階うえ


 皇帝派とは、その名のとおり、メリアに殺された皇帝を信奉している者たちを指した言葉だった。

 そして、皇帝を信奉しているからこそ、皇帝派の兵士が牢番を任されることはなかった。


 聖女といえども、偉大なる皇帝陛下を殺した輩は衆人環視のもとギロチンで首を刎ねて然るべき――という、大臣どもの取り決めによって、メリアはギロチン刑に処される。

 皇帝派の兵士たちは、その決定を頭では受け入れていても、いざ聖女を前にした場合、憎しみに駆られてその場で殺してしまう危険性が多分にある。

 だから、グランや先程居眠りしていた兵士のように、皇帝への忠誠心が低そうな輩が聖女の牢番に選ばれたのだ。


 同時にそれは、皇帝派の者たちが、いまだレジスタンスの存在に気づいていない証左でもあった。

 気づいているならば、聖女とレジスタンスが手を組むことを避けるために、処刑日前に殺してしまう危険リスクを承知した上で、皇帝派の兵士にメリアの牢番をさせていたはずだ。

 狡猾な皇帝を確実に殺すために雌伏に徹していたレジスタンスの忍耐が、思わぬところで活きた形になっていた。


(まぁ、囚われの聖女様と手を組んだところで、レジスタンスにはたいしたメリットはねぇけどな)


 などという、グランの独白はさておき。


 皇帝派の人間は、自分たちのことを皇帝派とは呼ばない。

 グランはあえてその呼称を使った上で皇帝派ではないことを明言することで、少なくとも敵ではないことをメリアにアピールしたのだ。


 どうやら彼女も、こちらのアピールには気づいたようだが、


「……不真面目な人と話すことなんて、何もありません」


 にべもなかった。

 どうにも職務中に飲酒という行為は、聖女様には許されざるものだったようだ。


(にしても、そんな風に断れるとよぉ……)


 真面目な聖女様を、不良こちら側に引きずり込みたくなる――そんな欲求が湧き上がったグランは、明日は酒とは別の物を懐に忍ばせることに決めた。




 ◇ ◇ ◇




 翌夜。


 昼の内に首都まちにおりて〝ある物〟を購入したグランは、酒の代わりにその〝ある物〟を懐に忍ばせ、例によって居眠りしていた兵士と牢番を交代する。


 昨夜以上に椅子を鉄格子に近づけ、ふんぞり返るように座ると、昨夜以上に気安い調子でメリアに話しかけた。


「よう、メリア。人に不真面目って言う割りには、今日も夜更かしする気マンマンじゃねぇか」

「この場合はむしろ、眠ってしまう方が不真面目だと思いますが。あと気安く名前ファーストネームで呼ばないでください」


 最悪沈黙が返ってくることを覚悟していたが、色々と聞き捨てならなかったのか、昨夜よりも反応が早いくらいだった。

 なんだったら、ちょっとムキになっているくらいだった。


「そいつは悪かったなメリア・ルクス・ペリシェム様。まぁでも確かに、敵地のド真ん中でグースカ寝てる方が、メリア・ルクス・ペリシェム様の言うとおり不真面目かもしんねぇな」

「……貴方、性格が悪いって人から言われませんか?」

「性格はおろか、素行も悪いってよく言われるぜ。メリア・ルクス・ペリシェム様」

「……もういいです。貴方の好きなように呼んでください」

「初めからそう言やいいんだよ、メリア・ルクス・ペリシェム様」

「貴方本当に性格悪いですね!?」


 思わず声を大きくするメリアに、グランはカラカラと笑う。


「わりぃわりぃ。ちょっと悪ふざけが過ぎた。まぁ、本当の悪ふざけはこれからなんだけどな」

「どういう宣言ですか!?」

「それはそうと、あんたのことはメリアって呼ばせてもらうぜ。俺のことはグランって呼んでいいからよ」

「当たり前のように話を進めてますけど、貴方が私に名乗ったのは、今この時が初めてですからね」

「ん? そうだったか? まぁ、昨日は酒入ってたしなぁ」


 昨夜に引き続き、メリアの双眸がじっとりと据わる。


「まさかとは思いますが、今日も持って来てるだなんて言いませんよね?」

「いやいや。さすがに俺も、聖女様に怒られた昨日の今日で酒を持って来るほど豪胆じゃねぇよ」

「などと言いながら、懐から取り出したその包みはなんですか!?」


 メリアの指摘ツッコみどおり、グランは懐から油紙の包みを取り出していた。

 包みを膝の上に置くと、彼女に見せつけるようにして拡げる。

 中に入っていたのは、卵を加えた生地に蜂蜜を詰め込んで揚げたお菓子――ベニエだった。


 次の瞬間、じっとりと据わっていたはずのメリアの瞳に、稚気ちきにも似た輝きがまたたいたのをグランは見逃さなかった。


「なんですかも何も、見てのとおりお菓子だよ、お・菓・子。ちょいと小腹が空いたから、腹拵えに買ってきたんだよ」


 言いながら、ベリエの一つを口に放り込むと、メリアの口から「ぁ……」と物欲しそうな声が漏れた。


「こういう甘いのも、たまには良いよなぁ」


「甘い」という一言を無駄に声をでかくして言ってみると、メリアは何かを我慢するように頬を紅潮させ、プルプルと震えだした。


(あれくらいの小娘ガキなら、甘い物は効くんじゃねぇかって思ったが、こりゃ大当たりだな)


 さらに言えば、大罪人ゆえに、メリアの食事は日に一度支給される麦粥のみとなっている。

 甘味と空腹のダブルパンチは、さしもの聖女様もこたえるものがあるようだ。


「お? どうした? 昨日みてぇに『職務中にお菓子なんて……』とかなんとか言って、注意しねぇのかよ?」


 思い出したように、メリアはハッとした表情を浮かべる。


「そ、そうです! 職務中にお菓子を食べるなんて、貴方はいったい何を考えてるんですか!」


 狙いどおりの言葉を引き出せたことに、グランはあくどいを笑みを浮かべた。


「そうだよなぁ。お仕事中にお菓子を食べるのは駄目だよなぁ。あんたにも分けてやろうと思ってたんだけどなぁ。他でもないあんたが駄目って言うならしょうがねぇよなぁ」


 言いながら、ベリエを油紙に包み直すと、メリアの口から「ぁぁ……っ」と悲壮感すら漂う声が漏れた。


「なんだよ?」

「べ、別に……何でもないです……」


 何でもないとは思えないほどに、声音は悄然しょうぜんとしていた。


「そうか。何でもないか。まぁ、お菓子は仕事上がりのお楽しみってことにしとくか。聖女様に分けなかったぶん、いっぱい食えるわけだし……なぁ!?」


 思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう。


 いつの間にか、メリアが涙目になっていたのだ。

 それも、ガチ泣き一歩手前だった。


 さすがにここまでの反応を示すとは思わなかったグランは、少しばかり罪悪感を覚えながらも彼女に訊ねる。


「そんなに食いたかったのかよ?」

「別に……そんなことないもん……。職務中に……お菓子を食べるなんて……ダメだもん……」


 涙をこらえるのに必死なのか、大人びてすらいた言葉遣いは、年相応を通り越して子供じみたものになっていた。


 居たたまれなくなったグランは、ベリエの包みを丸ごとメリアに渡す。

 

「牢に閉じ込められてるあんたに、職務もへったくれもねぇだろうが。好きなだけ食いな」


 おっかなびっくり包みを受け取りながらも、メリアは涙に滲んだ目を丸くした。


「……いいの?」

「いんだよ。もともとその菓子は、あんたを揺さぶるために買ってきたもんだからな」

「じゃ、じゃあ……」


 という控えめな返答とは裏腹に、爛々と目を輝かせながらも包みを拡げ、ベリエの一つを口に運んだ。

 瞬間、さらなる輝きが涙に滲んでいた双眸に瞬き、メリアの口から「ん~~~~っ」と歓喜を押し殺した声が漏れる。

 頬は今にも緩みそうな案配だったが、グランの手前か、囚われの身である手前か、ひくつかせながらもかろうじて口角を保っていた。


 それから、メリアは一つ一つ噛み締めるようにベリエを堪能し、全て平らげると、


「揺さぶるって、どうしてそんなイジワルするんですか?」


 グランですらも唖然とするほどに遅すぎるタイミングで、先の「もともとその菓子は、あんたを揺さぶるために買ってきたもんだからな」という言葉に文句をつけてくる。

 今までのことは全てなかったと言わんばかりに毅然としているものだから、苦笑を噛み殺すにはかなりの努力を要した。


 内心ではそのことをからかい倒したところだったが、そんなことをしてまたメリアが涙目になったらそれはそれでしんどいので、真面目に答えることにする。


「余所者のあんたが、どうして命を賭けてまで皇帝を殺したのか聞きたくてな。昨日はそっち方面の話題を振ったらだんまり決め込まれたから、搦め手でいってみたってわけよ」

「……私の態度がかたくなだったことは認めますが、それでも、貴方のやったことはイジワルが過ぎると思います」


 批難するように、じっとりとした視線を向けてくる。

 罪悪感を覚えていた手前、ちょっと耐えきれなかったグランは、


「その節はすんませんした」


 素直に頭を下げた。

 言葉遣いはともかく、心から謝罪したことが伝わったのか、メリアは一つ息をついてから、皇帝を殺した理由について語り始める。


「死者に鞭打つことを承知の上で言わせてもらいますが、ゲルーダ帝国の皇帝は存在そのものが災厄です。の者があのまま生き続けていれば、いずれは大陸全土が血の海に沈んでいたと断言できるほどに」

「帝国人の俺が言うのも何だが、絵に描いたような外道だったからな。あれで無能だったらまだマシだったんだろうが、よりにもよってゲルーダ帝国史上でも類を見ないほどに有能ときている」

「事実、大陸諸国の為政者たちは、最後まで彼の者に翻弄されていましたからね」

「だから、見かねて殺したってわけか」


 メリアは、コクリと首肯を返す。


「彼の者が、人命の救済を使命とする聖女を取り込むことで、己の非道を正当化しようと画策していたことは存じていました。同時に、その使命のおかげで、狡猾な彼の者といえども、聖女が自分の命を狙う刺客だとは夢にも思わないことも、わかっていました。だから……私はそれを利用して……隠し持っていたナイフで……」


 言いながらも、メリアは自身の体を掻き抱く。

 人命救済を使命としている聖女でありながら人の命を奪ったことに罪悪感を抱いたのか、それとも皇帝を刺し殺した際の感触を思い出してしまったのか、彼女の体は小刻みに震えていた。


 そんな彼女を見て、刺すような痛みを心に覚えたグランは、誤魔化ごまかすように舌打ちしてから彼女に訊ねる。


「つまりは、あんたが皇帝を殺したのは、皇帝の行いによる惨状を見かねたっつう理由と、『聖女という立場を利用すれば高い確率で皇帝をれる』っつう打算があっての行動だったってわけか」


 打算という言葉に後ろめたさでも覚えたのか、返ってきた首肯をぎこちなかった。


「ったく、最悪その場で斬り殺されてたかもしれねぇってのに、よくやるよ」

「実際、一度はその場で近衛兵の方々に斬り殺されかけましたけどね」


 弱々しく笑いながら答えるメリアに、思わず「マジか!?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。


「本当です。ですが、聖女の奇跡ならば、意識さえ保っていれば致命傷でも完治させることができますので。……結局、皇帝を崇敬していた大臣の方々が、皇帝をしいした者はギロチンにかけて然るべきだという決定をその場で下したため、こうして少しだけ生き長らえることができたわけですが」


 聖女の奇跡は、外傷を治す治癒の奇跡、身体能力の強化や様々な魔法耐性を自他に付与することができる祝福の奇跡、物理、魔法問わずあらゆる攻撃を防ぐ結界の奇跡、毒や瘴気のみならず悪霊さえも滅する浄化の奇跡――この四つからなっているという話は、グランも小耳に挟んだことがある。


 攻撃的な力がほとんどない上に、メリア自身そう荒事慣れしているようには見えない以上、大勢の兵士が相手では為す術もなかっただろうとグランは思う。


「つうか、肝心なところがまだ聞けてねぇな」

「肝心なところとは?」

「『どうして命を賭けてまで皇帝を殺したのか』ってところだよ」

「それは……」


 なぜか困ったような顔をするメリアに、グランは眉をひそめる。


「まさかとぁ思うが、この国で皇帝を殺して、生きて帰れるなんてぬりぃこと考えてたんじゃねぇだろうな?」

「さ、さすがにそんな都合の良いことは考えてませんよっ。ただ……上手く言語化できないんです。正直に言えば、私だって死ぬのは恐いです……けど……なんというか……それ以上に、この大陸……ううん……この世界に生きる人々が死んでいくことの方が……恐いというか……耐えられないというか……」


 彼女の言わんとしていることを察したグランは、しょうがねぇなと言わんばかりに代弁する。


「要するに、居ても立ってもいられなかったってわけか」

「えと……要約すれば……そういうことになりますね」


 思わず、ため息をついてしまう。


(そういや、聖女は神様に選ばれてなるもんだとかなんとか聞いたような気がするが……案外、こういう損な性格をしてっから、聖女に選ばれたのかもしれねぇな。メリアは)


 そして困ったことに、グランはそういう損な性格をしている人間のことが嫌いじゃない。

 もともと年端も行かぬ女の子をギロチンにかけるという凶行を見逃すつもりはなかったが、それ以上に、彼女のことを見捨てられなくなったことを自覚する。


(俺たちレジスタンスの目的は、今の帝国をぶっ潰し、平和だった帝国を取り戻すことにある。そして最大の標的である皇帝亡き今、皇帝派の中核を担う大臣どもをぶっ殺すことが、レジスタンスの最優先事項。なんだが……)


 このままでは、メリアのことを優先しかねない自分がいることにも気づいていたので。


 レジスタンスの活動に支障が出ねぇよう気をつけねぇな――と、自戒するグランだった。

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