第65話 勉強会の提案

「そう言えば来週からテストだな」


 十二月も第二週が終わるという金曜日。最近では珍しく蓮と二人だけで昼飯を摂っていると、蓮がぼそりと呟いた。


「テストなんてなければいいのにな……」


 学生の本分が勉強である事など分かっている。しかし、テストを望む人はそういないはずだ。

 少なくとも悠斗にとっては、勉強の機会が増える憂鬱ゆううつな期間でしかない。

 重い溜息を吐き出しながら愚痴を零すと、蓮に苦笑された。


「俺だってバレー出来ねえし、親にいろいろ言われるしで気持ちは分かるがな。でも、テストが終われば後少しで冬休みなんだから、まだいいじゃねえか」

「それはそうだけどな。まあ、今回も程々にやるさ」


 決してサボるつもりはないがやる気も出ないので、今回もある程度の勉強で済ませるだろう。

 少なくとも、悠斗のテストへの姿勢は以前と変わっていない。


「それなら俺と一緒に勉強を――と思ったが、今回はやめとくか」

「蓮がそう言うとは思わなかったな」


 蓮の気持ちは嬉しいが、前回と同じように断ろうと思っていた。

 その矢先に蓮が自ら提案を取り下げたので、驚きに目を見開く。

 そんな悠斗に、にやりと意地の悪い笑みが向けられる。


「そりゃあ今の悠にはあの人がいるからな。俺は馬に蹴られたくない」

「……馬に蹴られるのは置いておいて、どうして俺があいつと一緒に勉強すると思ったんだ?」


 美羽と相談している訳ではないが、おそらく今回も一緒に勉強するはずだ。

 なぜ確信しているのかと尋ねれば、蓮が全て分かっていると言わんばかりに目を細める。


「あの人の悠への態度から予想しただけだ。というか、前回のテストの際もしてたんだろ?」

「そうだけど、何でバレたんだ……」


 蓮には前回の勉強会の事など話していない。

 にも関わらず正確に状況を把握されて、思わず顔をしかめる。

 そんなに分かりやすいのだろうかと肩を落とすと、蓮がけたけたと愉快そうに笑った。


「前回のテストで悠の順位が上がったのは不思議に思ってたんだ。けど、あの人と一緒に勉強する事で時間が取れるなら辻褄が合うだろ」

「……正解だ。ほとんど俺が頼ってたけどな」


 ここまでバレているのなら、ムキになって否定する必要もない。

 情けない事だが正直に告げれば、蓮の瞳が驚きに見開かれた。


「へえ、品行方正だとは思ってたけど、あの人はそんなに頭がいいんだな」

「ああ、俺が逆立ちしたって敵わないな」


 悠斗の成績が多少上がったとはいえ、美羽や蓮の足元にも及ばない。

 そんな頭が良い二人が、悠斗の勉強を見ると言ってくれているのだ。

 感謝はしているが同時に申し訳なく思っていると、ふと悠斗の頭に一つの案が閃いた。


「断ろうとした俺が言うのも何だが、今回は一緒に勉強するか?」

「悠から提案してくるのは珍しいな。どうしたんだよ」

「頭が良い人同士で勉強すると、はかどるんじゃないかと思ってな」


 残念ながら、悠斗では美羽の力になるのは無理だ。

 けれど蓮と勉強する事で、お互いに高め合う事が出来るかもしれない。

 その結果美羽の成績が上がるのなら、既に自由になっていても自信へと繋がるはずだ。

 良い案だと思ったのだが、蓮が眉を寄せて悩ましそうな顔になる。


「……いや、やめとこうかな」

「何でだ? 蓮にも得があるだろ」

「多少の得の代わりに責められちゃあたまらねえよ。とはいえ、あの人がそれでもいいって言うなら歓迎するぜ」

「責められる事なんてないと思うけどなぁ……。まあいいや、聞いてみるよ」


 自分の成績向上に繋がるのだから、美羽ならば喜んで誘いに乗るだろう。

 悠斗ではなく蓮を頼りにする美羽を想像すると少しだけ胸が痛むが、悠斗に口を挟む権利はない。

 胸の痛みを押し殺し、蓮に笑みを向けるのだった。



 

 

「なあ美羽、来週からテストだろ。勉強はどうするんだ?」


 晩飯を摂っている最中、早速美羽に聞いてみると、美羽から珍しくと言わんばかりの目線をいただいた。


「悠くんから言うなんてどうしたの? 勉強が好きになったとかじゃないよね?」

「勉強が好きになる事なんてないと思うぞ。……というか、俺の事はいいんだよ」


 美羽の言いたい事は分かるので、苦笑いしか返せない。

 悠斗の勉強嫌いは脇に置いて欲しいとお願いすると、美羽が顔にほんのりと不安を浮かべて悠斗を見つめた。


「今回もここで一緒に勉強したいなって思うんだけど、駄目かな?」

「一緒に勉強するのは構わないけど、もっと良い案があるんだ」

「良い案?」

「そうだ。蓮って上位十名に入るくらい頭が良いんだよ。それで、蓮と一緒に勉強すれば、美羽の勉強も捗るんじゃないかと思うんだ」

「ふうん……」


 てっきり乗ってくると思ったのだが、悠斗の予想に反して美羽が顎に手を当てて考え込む。

 先日蓮とは普通に会話していたので、蓮を警戒してはいないはずだ。


「……ううん、元宮君には悪いけど止めとく」

「本当にいいのか? 上位十名に入れるかもしれないんだぞ?」


 美羽が話を断るとは思わず、瞠目どうもくしてしまった。

 どうして魅力的な提案を蹴るのかと尋ねれば、美羽がそっと苦笑を浮かべる。


「いいよ。多分、悠くんは私がお母さんの期待に応えられなかった事を気にしてるんだよね?」

「……そうだな。だから、これで美羽の順位が上がればいいなと思ったんだ」


 あっさりと悠斗の魂胆を見抜かれてしまい、気まずさで頬を掻く。

 そこまで分かっておきながら、悠斗の案に乗らないのには違和感を覚えた。

 本当にいいのかと綺麗な顔を覗き込むと、美羽が柔らかく目を細める。


「ありがとう、でもいいの。もう一位は目指してないから」

「今まであんなに頑張ってたのに、どうしてだ?」


 美羽が勤勉なのは十分に理解している。けれど、順位に関しては諦めがちになっていた。

 実際のところ、一位を取るというのは想像以上に苦痛なのだろう。

 頑張れなどと気軽に言えはしないし、諦めたとしても怒るつもりはない。

 それでも理由が気になったので真意を尋ねれば、美羽が穏やかに笑んだ。


「単に、もう一位にこだわる理由が無いの。もちろん成績の維持の為に頑張りはするけどね」

「分かった。もし美羽の成績が上がったなら、何かご褒美でもあげようかと思ったんだがな。まあいいか」


 悠斗のご褒美が美羽の原動力になるのかは分からない。

 それでも美羽のやる気が出るのなら、何かしたいと思っていた。

 しかし、今の美羽には余計なお世話だったようだ。

 そもそも以前断られているので、当たり前な気もする。

 特に深く考えず声を発した瞬間、美羽の箸が止まった。


「……え? 悠くんのご褒美?」

「忘れてくれ。美羽を勉強に縛りたくはないし、無しにするよ」


 美羽の望まない事を悠斗が行わせる訳にはいかない。

 自由になったのなら、上を目指すのかどうかは美羽が決めるべきだ。

 この話は終わりだと首を振っても、美羽の恐ろしい程の真剣な瞳が悠斗かられない。


「私が頑張るなら、ご褒美をくれるんだよね?」

「あくまで美羽が上を目指したいならだ。別に一位じゃなくてもいいし、無理する必要はないんだぞ?」


 自分の意志を曲げないで欲しいと懇願するのだが、美羽の瞳に炎が灯った気がした。


「……私、頑張る。順位を上げて、悠くんご褒美をもらうんだ!」

「えぇ、何で急にやる気を出すんだよ……」


 今まで見た事がないくらいのやる気をみなぎらせる美羽に、がっくりと肩を落とす。

 訳が分からないと首を振ると、体の前でぐっと拳を握った美羽が鼻息を荒くした。


「やる気を出すに決まってるよ! 正直、今までで一番頑張れる気がする!」

「そこまでか……。ちなみに、どんなご褒美を要求するつもりだ?」


 ここまで火が着くほどのご褒美など、用意出来る気がしない。

 身の丈を超えられては堪らないと確認すれば、にんまりとした笑顔を返された。


「ないしょ」

「ご褒美なんだから、準備しないといけないだろうが」

「大丈夫大丈夫、準備なんて要らないから」

「はぁ……。それなら蓮と一緒に勉強するか?」


 あまりに美羽の心が分からなさすぎて、頭を抱えたくなる。

 けれど、上を目指すと決めたのなら出来る限りの事をしてあげたい。

 話を振り出しに戻すが、美羽が淡い栗色の髪をなびかせて首を振った。


「今回は元宮くんの力を借りずにやってみる。多分、一番いい点が取れると思うからね。それに――」


 言葉を途切れさせた美羽が、甘さを帯びた笑顔になる。


「悠くんと二人で勉強したいなって」


 少し弾んだ声に、心臓が突然跳ねてしまった。

 嬉しさが湧き上がってきて、悠斗の頬をじわじわと熱くしていく。


「……美羽がそう言うなら、前と同じようにやるか」

「うん!」


 動揺を押し殺して告げた言葉に、美羽は花が咲くような笑顔を浮かべるのだった。

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