16

 休日をもぎ取った、と言った桂十郎に、一緒に出掛けようと誘われた。要するにデートだ。

 私服らしい私服を一着も持っていないセレンは、いつも通り学校の制服を着て待ち合わせ場所へ来ていた。流石に聖も何かを言おうとしていたが、無い物はどうしようもないと判断したのか結局は押し黙った。

 出かける前には会わなかったので、海斗はデートのことすら知らない。知っていれば先に買い物だの何だのと口うるさくなっていたかもしれないなとセレンは思う。

 気が急いたのか早く着きすぎたが、待ち時間も案外苦ではないかも、なんて思い始めていた頃。


「げっ」

「あ、ひわ君だぁ! こんにちは!」


 ばっちりと目が合うなり心底嫌そうな表情を浮かべたひわに、セレンはお構いなしに元気よく挨拶をする。が、すぐ後、顔をしかめたままのひわは歩み寄ってきた。

 声をかけたからと、セレンだって彼に好かれていないことくらいは分かっている。会うたびに、極力関わりたくないとその目が訴えかけているほどだ。そのひわが自ら近付いて来るとはどういうことだろうか。


「女の子が休日に制服ってどういうこと!? 服は!?」

「え? 持ってない。別に必要なこと無かったし」

「ありえない……しかも今日デートでしょ? 制服とかほんとありえない! ちょっと来て!」


 勢い任せに手を引かれるまま戸惑いながらも付いて行くと、ブティックへと入っていった。

 ささっといくつか品定めをした後、「これとこれ着てきて」と商品を持たされ試着室へと押し込まれる。少しの間呆然と立ち尽くした後、握らされた服を見て、鏡を見て、それから着替えた。

 可愛らしくはあるが、動くのを邪魔しない軽いスタイル。服飾に疎いセレンには分からなかったが、それなりに名が知れ値の張るブランドの服だった。


「あの……着たよ?」

「んー……うん、今日はそれで良いね。他のやつは発送しとく。送り先は金井家で良いでしょ。コーデが分かりやすいようにセット梱包しとくから」

「? う、うん」

「じゃ、支払いはカードで」


 試着室から顔を出すと、一通り上から下まで確認した後にひわは頷く。それから早口に言って、サッと黒いカードを店員に向けて差し出した。着ている間に他の服も選んでいたらしい。

 ブラックカードなんて通常彼のような少年が持っているものではないが、勿論そんなこともセレンは知らない。逆に店員は慣れているのか、「ご精算しますね」と通常営業だ。

 翌日、自宅に届いたダンボールの中身に絶句したのは海斗一人だった。送られてきた服の量も然ることながら、そのブランドとセンスには閉口するしかなかったという。

 着て来ていた制服は紙袋に入れられ渡される。そのまま今の服を着て行け、となかなかに強い圧を感じた。

 そして何事も無かったかのように、ひわは去って行ってしまった。彼には珍しく、嵐のようだった……なんて思いながら、セレンは待ち合わせ場所へと戻る。時間は少し過ぎてしまっていた。


「桂十郎さん! ごめんね、お待たせ」

「ああ、大丈夫……って、セレン、そんな服持ってたのか」


 毎回会う度に制服だったことに、彼も気付いていたのだろう。少し驚いたようにしたが、すぐに「かわいい」と笑う。


「さっきひわ君に偶然会って、制服しか持ってないって言ったら買ってくれたの」

「マジか……先越された……」

「桂十郎さんもその格好だと普通の人みたいだね。カッコ良さが際立ってる」


 端的に説明すれば不満気な様子になったが、それ以上は言わなかった。何も言わないので、またセレンはにっこりと笑いかける。

 今日の桂十郎はいつものアロハシャツに短パンとサンダルではなく、小綺麗な格好をしていた。ありがとう、と笑った後、それよりも、と声を潜める。


「お忍びだから、出来れば『桂十郎さん』は止めてくれるか」

「そっか。何て呼べばいい?」

「大抵の奴は『けい』って呼ぶな」

「じゃあ、桂さん。あたしもあんまりそのまま呼ばれるのは良くないみたい」

「ん?」


 せっかくの休みなのに、正体がバレるとデートどころではなくなるかも知れない。確かに彼ほどの立場なら有り得ることだ。

 一方のセレンもまた、情報屋界隈では有名人だ。確かにセレンという名は数多居れど、フレスティアの生き残りとなれば話は別。

 金髪、とも言われる髪は少し茶味がかっていて、瞳は澄んだアクアマリン。出身はフランシカ。となると、分かる者には分かるのだと悠仁は言った。


「そうそうすぐバレるってことは無いだろうけど、正式に公表するまでは用心しとけって言われてるの」

「そうか。じゃあ……エミル、の方が良いか?」

「うーん……」


 少し、考える。その方が人に知られている名ではあるし、何の問題も無い。だけどそれは元々だ。


「……セル」

「セル?」

マモンママが時々あたしをそう呼んでたの。それが良いな」

「分かった、セルな」


 母は、厳しかった。だけどそれは、当主という立場故の、次期当主となるセレンを想っての事だと、今なら分かる。

 それに、優しいこともあった。日々の厳しい訓練の後は、「よく頑張ったわね」と抱きしめてくれた。その時に「Ma chérie Sell.私の可愛いセル」と呼んでくれたのを、よく覚えている。

 当時から今も、母と叔父以外誰にも呼ばれたことの無い、大切な呼び名だ。その名を、桂十郎にも呼んでもらいたかった。


「じゃあ、行こうか、セル」

「はい、桂さん」


 手を繋いで、歩き出す。渡したいものがあると言うので、初めに公園のベンチに並んで腰掛けた。

 プレゼント包装されていたそれを開けてみると、一対のピアス。キラキラと輝く、可愛らしいデザインのもの。普段付けていたものを外して付け替えると、今着ている服にもよく合っていた。

 外したピアスはそっと手の中に握り締める。そろそろしても良いのかも知れない。


「これね、マモンママとパパが片耳ずつ付けてたものなの。制御石のネックレスは、自分のは壊れちゃったから、これはアトリちゃんのもの」


 十年前、聖に無理を言って空けてもらったピアス穴。当時はピアスが重くて時々バランスを崩したものだ。

 ネックレスも十年前、あの日の直前にセレンのものは壊れてしまっていた。新しいものが早急に必要だったところで事件が起こったのだ。

 三人の形見として、あの日起こったことを決して忘れないように、ずっと身に付けていた。だけどもう、過去ばかり振り返るのは止めても良いのかも知れない。すぐには無理だろうけども、桂十郎と居る時くらいは、過去を忘れはせず、「過去」としても良いのかも、と思った。

 握り込むと、ピアスが手に吸い込まれるようにして消える。失くさないように、忘れないように、いつでも取り出せるように。

 それから、今付けたピアスに触れて、にっこりと笑った。


「大事にするね」

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