12
朝起きると、ちょうど桂十郎が部屋を覗きに来た所だった。いつ寝たのかすら覚えていないが、ベッドに寝かされていて。
扉の向こうから様子を窺う桂十郎にエミルは駆け寄る。
「身体はどうだ?」
「どうもないよ」
「そっか、良かった。じゃあ俺、とりあえず仕事行くから」
伸びてきた手が、くしゃりとエミルの頭を撫でた。
「帰ったら、改めてゆっくり話をしような。なるべく早く戻る」
「……行ってらっしゃい」
「行ってきます」
言葉を交わして、桂十郎の背を見送って。
まるで、一緒に住んでるみたいな会話。
そう思っては、顔に熱が集まるのが自分で分かった。フルフルと首を振って、思考を切り替える。
話さなければいけないことがある。今後のことを決めなければいけない。恐らく夕方、また彼と会う前に、自分が彼と話したいことを整理しておかなければ。彼が話したいことは何だろう。それも聞かないと。
ああ、それより先に、聖に顔を見せに行かないと。無断外泊なんて初めてだ。怒られるだろうか。
着替えてもいなかった和装の袖で、ゴシゴシと乱暴に顔を擦る。濃い色のファンデーションが白い袖を汚した。
和装を脱いで襟巻きを仕舞えば、ミニ丈のワンピースにズボンというスタイルだ。正直ダサいが、エミル自身にその自覚は無い。そもそも昔から服には無頓着で、平日でも休日でも寝巻きと「仕事」以外は常に制服で過ごしている。
あまりのセンスの無さに、昔は海斗が服を選んでそれを着ていた。子供服がよく分からなかった聖も、その面では頼りにならなかったからだ。だけどそれも「お金の無駄」だとしてエミルが止めたのだ。
休日に一緒に出かける友達も作るつもりは無いし、制服と寝巻き、そして仕事着があれば十分だからと。
そんなダサい格好を見下ろし、ほつれ等が無いことだけを確認しては、うん、と頷く。
ついさっき仕事に出た桂十郎が帰って来る前に「この場所」に居れば大丈夫だろう。そう思って、エミルは一度その家を出た。
中々の大屋敷、背の高い門の横にあった表札には「華山」と書かれていて彼の自宅であることが確認は出来たが、屋敷の中には他に人の気配が無かった。
こんなお屋敷なのに使用人の一人も居ないのか。
なんて考えるエミルは、少なからずフレスティアで過ごした頃の影響が残っていると言えるだろうか。
現在地が分からず、うーん、と悩む。門を出て見えるのは、見覚えの無い土地だ。これでは帰ろうにも帰れない。
携帯を取り出し、電話をかけた。すぐに出た聖は、いつも通り冷静な声だ。今自分が居る場所が分からないと言えば、すぐに迎えに行くという彼の言葉の後に電話は切られた。
「エミル!」
間も無くやって来たタクシーを降りた聖が、まっすぐエミルに駆け寄って抱き締める。普段はほとんど表情を変えない彼が、何故だか泣きそうになっているように見えた。
「……心配した」
「ご、ごめんなさい……」
「無事で良かった」
人類最強、『殺し屋殺し』の異名を持ち、『氷の刃』の師としても、「父親」としても、常に冷静で隙の無かった聖が。時折エミルや海斗に優しさを見せる以外には、いつだって淡々として感情を見せることの無かった聖が。
あの崖下での様子といい、今日といい、珍しいことが続くものだ。
身体を離し、エミルの顔を、身体を確認して再度何事も無いことを確かめる。ホッと息をついた彼は、ここでようやく顔を上げ屋敷を見上げた。
「ここは?」
「桂十郎さんのお家」
「ああ……なるほど」
「こんなに広いのに、使用人の一人も居ないみたい。泊まらせてくれたお部屋からここに出て来るまでだけでも、管理が行き届いてない所があった」
「……」
使用人。と聖が呟いたのに、エミルは小首を傾げた。何かおかしかっただろうか。
確かに皇でも、使用人というべき役職はあるのだろう。だが大抵使われる言葉は「家政婦」または「家政夫」だ。高貴な身の上の名残りをこんな所で見るとは、と聖は真顔になる。
どちらかと言うと、世間知らず、という方が正解だろうか。学業と「仕事」に関することは教えていたが、一般教養は不足していたかも知れないと彼は反省した。
もう一度、エミルは屋敷を見る。確かに管理が行き届いてはいなかった。だが家とは人が住まなければすぐに脆くなるものだ。崩れていたり廃れていたりということが無い様子から、恐らく時々は誰かが手をかけているのだろう。
誰かに相手をしてもらえることが少なかった幼少期、母の執務室で屋敷の管理や使用人に関する記述を絵本代わりのように読んでいた。当時はよく分からず見ていただけの内容も、今なら理解出来る。この規模の屋敷ならば、管理をするのに最低限でも何人かの使用人は必要だ。
「……エミル」
「はい」
「帰ろう」
「……はい」
これからのことを、桂十郎とは勿論、聖とも話をしなければ。
家に帰って話をした中で、エミルは衝撃的なことを聞いた。聖がエミルの
その上で、もう一度考える。自分がどうするべきか。
まずは、桂十郎と想いを伝え合ったことを話した。これは最低限必要なことだろう。
「世界大総統夫人か……。せめて最低限のマナーは必要だな」
「ふ、夫人はまだ気が早いよ……」
「だが後々必要にはなるだろう?」
「う、ん……」
自分の元々の身分もある。高貴な者に近しくあるには、それ相応の気品が必要だと分かる。だがそれにしても、確かにこの国では女性は十六で結婚出来るが、エミルにはまだそれが叶わない理由がある。
そう言えば、桂十郎はその点を知っているのだろうか。本名と
『エミル・クロード』とは別の、『セレン・フレスティア』としての実年齢について。
今夜話す時にでも確認してみよう。
その後も、いくつか話し合いをした。考えることは意外と多く、二人での話はそれなりに時間がかかった。まだ子供のエミルだけでは考え付かなかったようなことも、大人の聖に指摘されて気付く。
一通り話し終えたところで、聖はようやく別のことを口にした。
「海斗も悠仁も心配してたぞ」
「……二人には、明日話しに行く。今日はまだ桂十郎さんとも話さなきゃいけないから。空目と悠仁には、それが済んでから話したいの」
「そうか」
落ち着いた様子の聖は、もういつも通りだ。こっちの方が安心する。
二人には声をかけておく、と聖が言って、エミルはまた自宅を出た。桂十郎の家へ戻るまでの間、歩きながら何を話すか考えよう。距離があるから、着くのが遅くなりそうなら途中でタクシーを拾えば良い。その分の小遣いは聖から受け取った。
……今度は、「おかえり」を言うのか。
浮かれているのが自分でも分かって照れくさかったが、悪い気はしなかった。
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