10
「あっ」
──ガシャン
陶器の割れる音がして、悠仁は驚いて振り返った。
「悪い、ヒサ」
「大丈夫か、海斗? って、お前それ……」
「ああ……エミルに怒られるな」
屈んだ海斗の足元に割れて落ちていたのは、エミルが店を訪れた時に彼女に出す用のティーカップだった。
表情は全く変わらないが、海斗の様子を見るに随分落ち込んでいる。大事な大事な妹分のお気に入りを割ってしまった。
だがエミルはそんな事で怒りはしないのを二人ともよく分かっている。だから悠仁にとって気がかりなのは、ティーカップが割れたことそのものではなかった。
いつも海斗は店のものを丁寧に扱う。商品だろうと備品だろうとだ。その海斗が、ティーカップを割った? それもエミルのものを? 普段ならば考えられないことだ。
ざわりと、胸の奥がざわついた。そう言えばここ数日エミルの姿を見ていない。最後に情報収集の依頼が来たのは、確か五日ほど前だ。それ以降、店側からも裏からも姿を見せない。
もしも、何かが起こった時。何か困った時、エミルが一番に頼るのは聖だろう。話の内容によっては海斗はおろか悠仁にも届かない。
気を付けて片付けるよう海斗には言って、一旦バックヤードに入る。それから悠仁は携帯を取り出した。
ほんの数回のコール音の後、相手はすぐに電話に出る。
「聖さん、聞きたいんですけど」
身体の横に降ろしたままの手に、緊張で力が入った。
「今、姫さんってどうしてます?」
『……』
「……聖さん?」
沈黙はやめて欲しい。ただでさえ不安な時なのだから。何かあったと思う他なくなる。
しばらくの間の後ようやく届いた聖の声は、いつもより少し低かった。
『恐らく、生きてはいる。上手くやってくれていればだが……』
「は……? お、恐らくって、どういうことですか? 上手くって何が? 誰が!」
あの、まだ幼い少女の命を、誰かに預けたとでも言うのか。
以前彼からエミルの本名だけを一言教えられた時、「内側」に入れてもらえたと思った。彼女を守る者の一人に加えてくれたと思った。
それなのに、その自分を飛ばして誰に任せたと言うのか。
「聖さん!」
『自分の目で見て、話して、決めた。後はあの子自身がどうするかで結果は変わる』
「……!」
かつて、人類最強とすら言われた『殺し屋殺し』、誰よりも本当の「孤高」の中で金にもならない仕事をしていた人。元の彼がどんな人間かは知らないが、エミルと海斗を拾ったことで少なからず変わったのであろうことは想像がつく。
数年前、悠仁の情報収集力を買って引き抜いたのも、元々は聖だ。その前にエミルの「教育者」としてその当時の鬼灯朔羽を選んだのもまた同様に聖だったという。
「孤高」だった彼の周りに、結果的に集まった人々。自分も含めてと自負しているが、実際聖には人を見る目がある。そんな聖が頼った相手なのだから問題は無いと思いたいが、自分が知らないのでは判断もしきれない。
「もし生きていたとして! 姫さんが『あの一族』の生き残りだとバレたらどうするんです! もしフランシカに送り返されたら! 国は姫さんを抱え込もうとする!」
『送り返されることは無い。無いが……どういうことだ? 国? いくら国家政府だろうと王家だろうと、フレスティアだからと言って縛ることは出来ない筈だが』
「! まさか、知らないんですか……?」
感情的になってしまったのも、聖の静かな声で引き戻される。彼の淡々とした声と口調はこういう時に助かるものだ。
だがまさか、エミルのことで聖の知らないことがあるとは。とは言え確かに『この情報』はエミルの本名を聞いた後に悠仁が調べ上げ、その後誰にも話してはいないことだ。
ただ一人、『おんじ』を除いては。
コソリと店側を見て、海斗が離れた場所に居るのを確認する。このバックヤード自体は基本的に防音仕様だ。しっかりと扉を閉めて、一応声を潜めた。
「姫さんは、現フランシカ国王がフレスティアの女に産ませた子です」
十年前のフレスティア家惨殺事件とちょうど同じ頃、フランシカ王家でも不審死が続く事件が起きていた。原因はまだ分かっていない。そしてその時に死んだ王子を最後に、王家でたった二人の生き残りだった現国王と王妃の間には、子供が出来ていない。
つまり、現状で王位継承権を持っている子供は『セレン・フレスティア』ただ一人ということになる。
「姫さん」と、悠仁がエミルを呼ぶようになったのは、それが分かってからだ。エミル・クロードに『氷の刃』アイス、そしてセレン・フレスティア……三つの名と顔を持つ彼女は、結局一人の少女に過ぎないのだと、自分に言い聞かせる為。
『……無駄だ』
「え?」
『そこまで調べられたお前なら、あの子の
変わらず静かなままの聖の声が、焦る悠仁を落ち着かせる。
確かに、
『不老長寿が
「は? ……──! まさか!」
『あの子は正にその状況なんだ。例え連れ戻されたところで、後継者にはなり得ない』
鈍器で頭を殴られたような衝撃とは、こういうことか。
あまりに酷い話に、悠仁はそんな場違いなことを考えた。
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