第7話 フィルの思い
(……フレキも歳か)
フレキは二百歳近いらしい。
狼に比べてはるかに寿命の長い魔狼としても高齢だ。
普通の魔狼は五十年から八十年ぐらいで死を迎えるという。
俺の母は三十三歳と聞いた。弟妹は母が十八歳のときに生まれた子だ。
それが魔狼にとって一般的な初産の年齢らしい。
だが、母は、フレキが百五十を越えてから生まれた娘だ。
以前、フレキに母以外に子供はいるのかと尋ねたことがある。
すると、フレキはにこりと笑って、『ずっと使徒様にお仕えしてきたからな』と答えた。
成狼になってから、ずっと使徒に仕え、使徒が亡くなってからこの森に来て、伴侶を見つけ、はじめて子を作ったらしい。
その伴侶は母を産んで数年後に死んでしまったという。
それから、フレキは母を一頭で育てたのだ。
『だから、わしの子供はあやつと、そなただけじゃ』
そういって、フレキは笑っていた。
俺は森の中を、全力で、馬よりも速く走りながら考える。
(……あんなフレキを置いていけないよな)
フレキには神託がくだされないからと巣立ちはまだ早いと言った。
だが、俺が巣立ちできない本当の理由は神託の有無ではない。
俺が巣立てば、誰がフレキの食事を用意し、世話をするのか。
二年前の弟妹の巣立ちのときならば、何の躊躇いもなく出て行けただろう。
フレキは元気で、あと百年は優に生きそうに思えたからだ。
だが、今のフレキは今年中、いや数日中に死んでもおかしくないように見える。
フレキは気付かれないようにしているが、もう右目がほとんど見えていないようだ。
(魔狼は、人と違って死の直前に急に衰えるのかもな)
野生の動物や魔獣の場合、衰えたら、縄張りを守れなくなり、獲物を捕れなくなる。
つまり、衰えは、そのまま死なのだ。
人間のように、緩やかに衰えていったのでは、野生では長生きできないだろう。
「フレキが死んだら、この森はどうなるんだろう」
フレキが死んだら、そう呟いたとき涙が出そうになった。
頭ではわかっている。
親は子より先に死ぬのが自然だし、子である俺も母も成人年齢を越えている。
フレキは子をしっかり育てあげたのだ。
子を育てた親が亡くなるのは、自然界において何ら不自然なことではない。
「だけど、悲しいし寂しいよ」
それはフレキの前では絶対に口にできない言葉だった。
全力で走り続けた後、俺はフレキが俺を拾ったという大木の前で足を止めた。
これ以上走り続けたら、涙がこぼれそうに思ったからだ。
しばらく、大木を見つめて、ぼーっと立っていると、
「がう?」
立派で大きな魔狼がやってきた。
体毛は見事な黒で、その体は母よりも大きく、フレキよりは小さい。
「見回り?」
「がぁう」
その狼は近くの大木に尿を掛けながら、返事をする。
その狼は、弟妹たちの父で、母と一緒に弟妹たちの群れのリーダーを務めている。
考え事をしながら、全力で走っている間に母の縄張りに近づいていたらしい。
弟妹たちの父は、フレキとの血縁関係はないが、フレキの娘である俺の母に婿入りした強い魔狼だ。
遠くにある魔狼の森で、若くして主となった後、嫁を求めてこちらに来たらしい。
「相変わらず立派だなぁ」
俺は弟妹たちの父の体を撫でた。
体高、つまり地面から肩までの高さは、俺の肩ぐらいまである。
俺は十五歳の人族にしては大きい方だと思う。
いや、大きくなってから現世で人に会ったことが無いから本当のところはわからない。
「がうぅ」
弟妹たちの父は気持ちよさそうに鳴いて尻尾を揺らすと俺の顔を舐めた。
「弟妹たちも、きっとあんたぐらい大きくなるんだろうなぁ」
「がう」
弟妹たちの父なのだから、俺の父と言うべきかもしれないが、なんとなく父とは呼べなかった。
母がフレキの元にいたとき、一頭で母の縄張りを守ってくれていたのがこの狼だ。
そして、二日に一度ぐらい、やってきて獲物を届けてくれたりもした。
だから、俺は赤子の頃から、弟妹たちの父にはお世話になっている。
「母さんはいる?」
「がう」
まるで、付いてこいと言うかのように鳴くと、俺の前を歩き出す。
「みんなは元気?」
「がう、がぁぁう」
言葉はわからないが、弟妹たちも母も元気なのだろうと、なんとなく伝わってくる。
「そっか、それなら良かったよ」
「……がう?」
足を止めた弟妹たちの父が、振り返って俺の顔を舐める。
心配と気遣いが伝わってくる。
「……俺はそんなにつらそうにしてた?」
「がぁう」
「そっか」
弟妹たちの父はお座りして、俺の顔を見つめて首をかしげている。
「最近、フレキが元気なくてさ」
「がう?」
「いや、病気と言うよりは、多分老化。もう歳なのかも」
「がぁうぅ」
弟妹たちの父に一方的に語りかけながら、歩いて行く。
途中、弟妹たちの父は藪の中に入り、虫を咥えて戻ってくる。
「がう」
「ありがとう、気持ちだけ貰っておくよ」
美味しい虫でも食べて元気になれと言ってくれているのだろう。
「がう」
美味しいのにと言いたげに、弟妹たちの父は虫をむしゃむしゃ食べた。
しばらく歩くと、俺に気付いた弟妹たちが走ってくる。
「おお、みんな元気そうだなぁ」
「がうがう!」「がぁう!」
弟妹たちは俺が来たことが嬉しいようで、楽しそうにじゃれついてくる。
まるで、数年ぶりに会ったかのような歓迎ぶりだ。」
「先月もあったばかりだろう」
「がうが~う」
弟妹たちとじゃれ合っていると、悲しさと寂しさが紛れる気がした。
そのとき、俺の頭に大きな前足が優しく置かれた。
ふりかえると、
「がう~」
母が大きな赤苺を咥えて立っていた。
俺の来訪に気付いて、わざわざ採ってきてくれたのだ。
「ありがとう、母さん」
母にもらった赤苺を口にすると、強い酸味とほのかな甘みが口の中に広がった。
変わらぬ美味しさだ。
「がぁう」
赤苺を口にした俺を見て、「よく食べるなぁ」と言いたげに、弟妹たちの父は首をかしげる。
魔狼にとって赤苺は美味しくないものなのだ。
「おいしいよ、ありがとう」
「がう?」
母は俺の鼻に優しく自分の鼻をくっつけた。
まるで「なにか嫌なことでもあった?」と聞かれているようだ。
「フレキが――」
そこまで口にしたところで、我慢していた涙がこぼれた。
「…………」
母は黙って、俺の頬を舐めてくれた。
そして、俺は母の首に顔を埋めて泣いた。
その日は母と弟妹たち、そして弟妹の父にフレキのことを相談した後、獲物を狩ってから巣へと戻った。
相談といっても、母たちは人の言葉を話せないし、俺は魔狼の言葉がわからない。
一方的に俺が話をしただけだ。
だが、その日から、母や、弟妹たち、それに弟妹たちの父のうち誰かが毎日訪れてくれるようになった。
全員が一斉に訪れるのではなく、一頭でふらっと獲物を持ってやってくると、フレキとしばらく話して帰って行くのだ。
みんなの来訪頻度が高くなるにつれ、フレキの体調も少しずつ良くなっているように見えた。
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