第15話 先生の立場
5月2日(月)
ゴールデンウィーク真っ只中の平日。
俺はいつも通りに学校に行き、
いつも通り玄関で靴を履き替え、
いつも通りトイレに寄ってから教室に入った。
この世界に転生して初めて見るものや聞くことはまだまだ多いのだけれど『いつも通り』という言葉を使えるほどにこの生活にも慣れてきた頃合いである。
教室の中からは朝だというのに明るい話し声が聞こえてくる。
学生は友達に会うとみんなエネルギッシュに振る舞うのだ。
こうしてコミュニケーションをとることにより信頼関係を築き友達と仲良くなっていく。俺も転生した身だが、出会う人や関わる人を大事にしていきたいと恥ずかしながらそういう感情に耽った。
朝礼のチャイムが鳴ると同時に担任の美徳先生が教室に入ってきた。
途端に空気が変わると思ったのだけれど、今日も変わらない。
いつも通りだ。
美徳先生は見た目からか言動からか、もしくは両方からなのかわからないが確実に生徒に舐められている。
これもいつも通りなのだ。
しかし、これだけの『いつも通り』のなかでいつも通りの判定を覆す事がひとつだけあった。
朝っぱらの元気な教室にも、
雑談をして賑わっていた生徒の中にも、
チャイムと同時に教室に入って来た美徳先生の視界の中にも、
普段から寡黙な、俺の席の隣に水鳥の姿はなかった……。
迎えた放課後。
終礼のチャイムが校内に鳴り響くと同時に、耳元に生暖かい吐息がかけられ驚いた俺は思わず変な声をあげる。
「はぅあ!」
優等生ぶりを発揮する俺にこんな悪さをするのは一人しかいない、白銀のアルビノ系女子、渦巻真冬だ。
その渦巻が教室を去っていく美徳先生を指差して言った。
「ピンチはチャンスだぞーっ☆」
本当こいつは全て見透かしてやがる。
俺は渦巻に「わるいっ」とだけ言い残して教室から去りゆく美徳先生の跡を追いかけた。
外はまだ明るく、長閑な街並みが窓の外から視界に入り込む渡り廊下。
「美徳先生っ」
俺は終礼を終えて職員室に戻ろうとする担任の美徳先生を呼び止めることに成功した。
「……五之治くん! 珍しいね、どうしたの?」
「水鳥のこと、何か聞いてない?」
「水鳥さんは体調不良としか聞いてないけど? 女の子にはいろいろあるんだよ。いろんな日がね」
いろんな日? あーそういうことか。
つまり美徳先生は水鳥のことを何も知らない……。
「体調不良の連絡をしてきたのは誰だった?」
「えっとねお父さんだったよ……ってそれ個人情報だよ!? どうしてそんな事聞いてくるの?」
「いや、ちょっと気になって……」
「へぇ〜。五之治くんも青春してるねー。それで、水鳥さんのどういうところが良いと思ったの? 先生にだけ教えてよ誰にも言わないから!」
話が逸れて行ってるような気がするんだが……。
少し距離を詰めてきた美徳先生に対して俺は顔を背ける風に答えた。
「いや、別に……」
「あ! その反応は間違いなく恋だね。頑張ってよ〜五之治くん」
「だから違うって先生。水鳥って去年もたまに学校に来てなかったんだろ。そのことについて何か知らない?」
水鳥が『しばらく不登校だった時期もあった』と言っていたのはおそらく家庭の事情。 それは俺の中で渦巻の話と合致していた。
「そっか、去年のことも聞いたんだ。わかった、立ち話もなんだし隣の自習室で話そ」
そう言って自習室に入り、美徳先生と二人っきりになった。
自習室の窓はガラス張りになっていて中の様子は外からでも見渡せるため悪いことはできない。
悪いことはしないけども!
先生は適当に手前にある机の椅子を引いてそこに腰をかけた。
俺はそれを見るなり先生とは一つ席を空けた机の上に軽く寄りかかった。
「おー五之治くんは紳士だね、二人っきりの教室で隣に来ないなんて」
「いや、先生ふざけてるだろ。それに年齢差だってあるじゃないか」
「なにその言い方、先生だってまだ若いんだからね」
美徳先生が若いのは見た目でわかる。
話し方は見る感じまだ学生気分なのだろう。
大人という印象は薄く、自分も学生だと言わんばかりに接してくる。
いい歳した大人なのに。
しかし美徳先生のように生徒に親身になってくれる先生がいるから悩みを抱える生徒は減っていくのかもしれない。
「先生が若いのは見た目でわかるよ。それよりも本題を……」
「えっ照れる……本題よりも、もっとこう……お喋りがしたいな〜。なんか若いエキスが……」
「先生」
「はい!」
まったく、どっちが年上なのやら。
実際の歳で言えば俺は元の世界で28だったから美徳先生より2つか3つ年上だ。
だとしても15歳の花火と喋っている感覚に近い気がする。
美徳先生は机の上に両肘を置いて手を合わせた。
「じゃあ本題ね、実は先生も水鳥さんの家には少し疑問に思うところがあったの。水鳥さん去年よく学校を休んでいたって事は聞いてるんだよね。その理由は家の手伝いってことも知ってる?」
「家の手伝い?」
「そう。でもね水鳥さんの両親は自営業でも独立している訳でもなくて普通の会社勤めのサラリーマンなの、確かね。……それがどういう事なのかというと、水鳥さんが言う『家の手伝い』なんてのは存在しないの。 でもまぁ『家の手伝い』っていってもおじいちゃんやおばあちゃんの手伝いの可能性だってあるし、親戚の家の手伝いの可能性もあるから一概に否定はできないんだけどね」
「たしかに……」
「ただね、家の手伝いは学校側でも許容できるんだけど、問題は頻度なの」
「頻度?」
「月に2回、多い時で週に1回。『家の手伝い』で学校を休んでたの。それも不定期で。もちろんこのままじゃ単位も足りないし卒業も危うくなってきてる。でも家庭の事情だから学校側が手出しできる問題でもなくて困ってるのよ」
学校からすれば単位たりなければまた来年も授業料を払って学校に来てくれれば問題無しってか……。
「……先生は『家の手伝い』について何か考えた? もしくは『家の手伝い』以外の何かについて……」
唐突な俺の質問に少し口籠もる美徳先生。
「……考えたよ。……虐待とかね」
「それならどうして……」
どうしてそのことに気付いているのに何もしてやらない。
と心の中では思うのだけれど、美徳先生のことだから何か理由があるのかもしれない。
美徳先生はそんな俺から目を伏せるように話を続ける。
「去年、先生も心配で水鳥さんに聞いたの『もしかして虐待されてる?』ってド直球でね。でも彼女はそれを否定した。むしろ両親は自分を愛してくれているとさえ言ってた。本人がそう言う以上は否定もできないし学校でも先生でも家族の事情には入り込めないの。だから本人が否定した以上、そのことについて追求はしなかった」
「……なんで?」
「本人から直接『虐待されてます』とか『助けてほしい』とか言われればどれだけでも助けることはできる。でも本人がそれを認めていないから私たち先生は何もできないの。行動できる理由がないの……。だから私に出来ることは彼女の心を支えることくらいしかできないんだよ。悔しいけど……」
「なんだよそれ……美徳先生はいったい何がしたいんだよ」
「え?」
「先生はどうしたいんだ? 今の話だと、先生は学校の先生としてどう動くか、とか学校じゃどうしようもできない、とかそんな理由にしか聞こえなかったけど」
「うん、そうだけど……?」
素っ頓狂な顔を見せる美徳先生。
「俺が聞いてるのは、学校や先生がどうこうじゃなくて、
美徳先生は机の上に置いた手をひたすら見つめ小さくため息をついた。
「……確かにそうなのかもね。無意識だったわ。大人になるにつれて社会に染まり、誰かのためにする行動がだんだんと
俺が感じたこの世界の闇だ。
社会という環境に染まり、会社や企業の歯車の一部になり人であることの誇りを失って自我を見失う。
美徳先生も誰かのために無償で動ける人間のはずなんだ、だけど自分の立場や環境のせいで動けなくなっている。
悲しいことだけれど、これが現実。
この世界で感じた生きにくさ、俺のいた世界とは違う、言葉では表現できなかった感覚がこれだ。
社会の制度や政治、いや、それ以前に常識や当たり前のベクトルが違う方面へ向いている。
「先生にお願いがある。少しでも水鳥を救いたいと思っているなら聞いてくれないか?」
「……わかった、できることなら協力するよ」
「ありがとう」
「その前に五之治くん、そろそろ敬語覚えたらどうかな」
「敬語……。まぁ、そのうち……」
それから俺は美徳先生に水鳥の家の住所を聞いた。
最初は否定していたが、助けたい気持ちが美徳先生にもあるのだろう。
しぶしぶと教えてくれた。
「君のことを信頼してだからね、悪いことには使わないでよ。……そして無理はしないでね」
「ありがとう先生……じゃあいくよ」
「待って……こんなこと言うのは図々しいと言うか
「……?」
「水鳥さんのこと必ず救って欲しい……。でも無理だけはしないでね」
救って欲しいけど無理はするなって、どっちなんだよ。
でもまあ先生という立場も大変だのだろう。
あれだけ美徳先生本人の意見はないのか? と美徳先生を否定したが本人にしか感じられない不満があるのはわかる。
本当に生きにくい世界だ……。
美徳先生との話が終わり先に自習室を出た。
まだ日は暮れておらず時間にして4時半、窓の外ではカラスの鳴き声が聞こえてくる。玄関で靴を履き替えた時に靴紐はいつもより強めに縛った。
そしてカバンの中から学校に置きっぱなしにした自転車の鍵を取り出す。
駐輪場に到着し、自転車の鍵を外してサドルに跨った瞬間、聞き覚えのある声が聞こえた。
「せーんぱいっ」
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