2-6 商店街のともし火

「一体なんだニャ!? こんな朝っぱらから色めき立って!?」


 抗議するミーニャの手を引っ張り、俺は西の河川敷に向かう。

 その原っぱにぽつり、ぽつりと咲いている花、それは。


「普通の、ヒナゲシだな……」


 ウォン隊長があたりを見回して、言った。

 そう、ここに咲いているのは、ただのヒナゲシの花。

 ベルさんが言っていた、ハマベヒナゲシと似て非なるものだ。

 しかし、俺の考えが正しければ、ここに目的のものがあるはずなんだ。


「なあ、ミーニャ、このあたりの花の咲いてるところに、変な匂いがないか?」

「変な匂いって、衛士さんたちが追いかけてるっていう阿片かニャ? そんなのは……」


 クンクン、と花の群生地を歩き回り、匂いを嗅ぎ比べているミーニャ。

 いや、そんな簡単な話じゃない。

 衛士隊にも嗅覚の鋭い、獣人系の隊員はたくさんいる。

 地面にそのまま薬物を埋めたりしたら、その手の隊員に一発で発見されて、それでおしまいだ。


「んニャ? なんでこんな原っぱに、キツイ潮の香りがするワン? 海までずいぶん距離があるのに、変だニャァ……」


 ある花の咲いている箇所でミーニャが立ち止り、しゃがみこんでいぶかしげに土の香りを嗅いだ。


「それだ!」


 俺は駆け寄って、花の咲いている場所を確認する。

 

「なんじゃい、なにがわかったんじゃ、カニング?」


 俺が頼んだスコップを持ってきてレーグさんが再び合流した。

 

「一面に咲いているヒナゲシに混じって、こいつだけ、ハマベヒナゲシなんです。誰かが、ここに目印と、攪乱の両方のために埋めたんです」


 よくよく見ると、この一輪だけ、他の花より赤色が濃く、暗い。

 本当によほど注意して見なければわからないという違いだった。

 

「じゃあ、この下に……!」


 レーグさんが、ハマベヒナゲシの生えている地面を、スコップでわっさわっさと掘り返す。

 土を掘り起こすたびに、嗅覚の鋭敏ではない俺たち、並の人間族にもわかるほどの、強烈な潮の香りがあたりを漂う。

 そう、ここに誰かがハマベヒナゲシをわざわざ植えて、潮水を大量にぶっかけたんだ。

 下に埋まっているものの、強烈な匂いをごまかすために。


「ニャにか、出てきたワン……」


 レーグさんが一生懸命掘ったその下には、油紙に何重にも巻かれた小包があった。


「阿片だ。なるほど、こんな隠し方を……」


 忌々しげにウォン隊長が呟く。

 小包から放たれる刺激臭は、獣人でない俺たちでもよくわかるほどだった。

 そう、普通に阿片なんかをその辺の土の中に隠しても、匂いで発覚してしまう。

 そこで海水びたしにして、強い潮の香りで獣人たちの嗅覚をごまかした。

 しかし、そこだけ海水を浴びて草花が枯れていては、やはり目立って怪しまれてしまう。

 だから、ヒナゲシによく似た、塩気を含んだ土でも問題なく育つハマベヒナゲシを、目くらましとして植えたんだ。


「一目見てただの花が咲いている原っぱなら、まず誰も怪しいとは思わんわなあ」


 肉体労働して疲れたのか、その場に座り込んだままレーグさんは言った。


「地面から潮の香りがするくらい、港街では誰も違和感を覚えないだろう。考えたものだ」


 呆れているような、感心しているような口調でウォン隊長はそう言うのだった。

 市内西側の河川敷は、増水に備えて広い原っぱと土手が整備されている。

 昼間の時間帯は船が渡ったり、子どもが河原で遊んでいたりするけど、夜にここに用事のある奴は、基本的にいない。

 人気のない頃合を見計らって、こうやって隠していた薬物を、悪い奴らが出し入れしてたんだろう。

 

「おそらく、他にも同じ手口で薬物を隠している場所があるじゃろうの」

「そうですね。場所の目星だけ先に付けておいて、間抜けどもが知らずに荷物を取りに来たところを取り押さえるか……」


 レーグさんとウォン隊長が、今後の方針を話している。

 あとのややこしいことは、この人たちに任せておけば、上手いようにやってくれるだろう。


「しかし、カニング、よくここがわかったな?」


 ひと段落して、当然のことをウォンサンに聞かれた。

 俺がなぜこの場所、この花に行きついたのか、疑問に思うのは当然だ。

 しかしここではっきりと、ベルさんが情報をくれたからと言ってしまえば。

 ベルさんが、余計に犯罪組織と繋がっている疑惑が、深まってしまう。

 それを恐れて、ベルさんは俺とミーニャにだけ、ハマベヒナゲシを調べろと言う伝言を残したんだ。

 なにを、どう言おうか俺が逡巡していると。


「逃げて行った猫の女が、体中にハマベヒナゲシの香りをぷんぷんさせてたんだニャ」


 ミーニャが、頼んでもいないのにとんでもない斜め上のことを言いだした。


「なにっ? 狐の娘さん、短剣使いの猫女と、会ったのか?」

「え、えーと、たしか通りの曲がり角でぶつかったニャ。アタシはそのまま転んで、見逃されたワン。そのとき、花と潮の匂いがしたニャンよ」


 こいつ、即興で適当なこと言って、ベルさんのことをけむに巻こうとしている。

 そこまでしてミーニャがベルさんをかばう理由は分からないけど……。


「そ、そうです。ミーニャからその話を聞いて、河原に咲いてるヒナゲシが気になって……」


 俺も、そのデッチアゲに乗ることにした。

 ウォン隊長とレーグさんは、俺たちの話を特に怪しむことなく、仕事に戻って行った。

 こんなのこでベルさんの疑いが、少しでも晴れるかどうかはわからないけど……。


「ありがとな、ミーニャ。助かった」

「別にお前のためじゃニャいワン。商店街の同朋のためニャ」


 なんだかんだ、同じ街に生きる者同士、仲間意識がミーニャとベルさんの間にもあるんだろうなと思った。



 怪我がある程度良くなって、俺は衛士詰所で内勤や軽作業をこなす日々を送ることになった。

 他の班や本部から回ってくる情報で、薬物売買をしている集団が立て続けに尻尾を出して、摘発されて行ってることを知る。

 

「短剣使いの猫女は、ウォンが捕まえたそうだ」


 俺に資料整理の仕事を教えてくれている間、ファラス先輩がそう教えてくれた。

 最近、仕事の話に関連したことではあるけど、ちょこちょこ話してくれるようになったと思う。


「ホントっすか。さすがウォン隊長……」

「非番の日に店で飯を食ってたとき、いきなり近付いて来てウォンを狙ったらしい。それを返り討ちにして腕とあばら骨を折ってやったとか」

「えげつねえな……」 


 猫女もかなりの使い手だったし、なによりウォン隊長は猫女の顔を知らないはず。

 それなのに急に命を狙われて返り討ちにできるというのは、いったいどういう状況でそうなるのか、俺には理解できなかった。

 生きてる世界や次元が、違うのだろう……。


「今日はこれで上がれ。また居酒屋に顔を出すのか?」


 ファラスさんの指示で仕事を切り上げ、俺は退勤することに。


「はい。心配なんで……じゃ、お先です。お疲れさまでした」

「ああ」


 取り調べが打ち切られ、嫌疑不十分と言う形でベルさんは釈放された。

 俺はそれから毎日、飲食する金はないけど居酒屋に顔だけは出している。

 その日もいつも通り、九番通り商店街の片隅にある居酒屋「恩讐者」に足を運ぶと。


「あら~、いらっしゃ~い。誰もいないから、入って入って~。わざわざ毎日、ありがとうね~」


 店の中のものを、大掛かりに片付けているベルさんがいた。

 俺を店内に招き入れたベルさんは、お茶を出してくれた。


「疲れちゃった~。ちょっと、一服~」

「お店、模様替えでもするんですか?」


 片付け途中の、者が雑然と散らかる店内を見て、俺は落ち着かない気分でそう聞いた。


「違うわ~。もうこのお店、閉めようと思って~。しばらくしたら引っ越すわ~」


 俺は一瞬、ベルさんがなにを言っているのかわからなかった。


「な、なんでですか? 疑いは晴れたんですよね?」

「それでも、噂は広まっちゃったから~。お客さんも、ほとんど来なくなっちゃったのよね~」


 噂と言うのは、ベルさんの兄に関するものだった。

 ベルさんの兄はもともと、西の隣にある港町で「花薬師」という仕事をして、ベルさんもそれを小さい頃から手伝っていた。

 花薬師と言うのは、文字通り花や草から薬を作る仕事だ。

 ベルさんの兄はその知識と技術を、悪い連中に見込まれて、禁制薬物の調合に手を出すようになってしまったのだ。


「もう、終わった話じゃ……」

「兄さんは死んじゃったし~、今の私はもう関係ないんだけど~、周りはそうは見てくれないから~」


 犯罪集団の片棒を担いだベルさんの兄は、摘発に来た衛士との揉み合いの中で、打ち所が悪く、亡くなってしまった。

 だから今でもベルさんは、花を店に置かない。

 当時のことをどうしても思い出してしまうからだ。

 今回、ラウツカの衛士隊にベルさんが取り調べられたことで、それらの情報がどこからか、住民の間にも漏れてしまっていた。

 でもそれはすべて、過去の、何年も前の話なんだ。

 今のベルさんは、楽しい居酒屋を一人で真面目に切り盛りしてる、立派な女性でしかないじゃないか……!


「俺、もっと店に来ますよ! たくさん飲み食いしますよ! 友だちいっぱい作って、みんなでこの店に連れてきますよ! 衛士の客なんか、来てほしくないかもしれないけど……」

「優しいのね~。でも、大丈夫よ~。私、衛士さんたちを恨んだりしてないわ~。兄さんが死んじゃったのも、事故だってわかってるから~」


 ベルさんはそう言って、俺の頭や頬を優しく何度も撫でてくれた。

 そしてそのまま俺の顔を両手で引き寄せて、俺の唇に優しく、とても優しくキスをしてくれた。


「あなたがしてくれたこと、あなたが信じてくれたこと、あなたに出会えたこと。私、忘れないわ。あなた、絶対いい男になる。これでも男を見る目は結構あるのよ?」


 少しだけ、いつもの雰囲気と変わったベルさんは、俺の肩に顔を押し当て、体を抱き寄せて来た。

 そして俺の手を掴んで、自分の豊かでたわわな胸の果実に押し当てる。

 おっきい!

 そして、柔らかい!

 手が、指が沈み込む感覚!


「べ、ベルさん!? あ、あの、そのですね」

「んふふ~。んちゅっ」


 俺の混乱した声は、再び重なって来たベルさんのつややかな唇に押し殺される。

 こ、これは、そういうことなのか?

 いいのか?

 い、いいんだよな?

 このまま行けるところまで行ってしまって、天国への階段を昇ってしまっても、いいってことだよな!?


「べ、ベルさん、俺っ……!」

「きゃはっ。痛くしないでね?」


 勢いでベルさんに覆いかぶさろうとしたとき、俺は見てしまった。

 ベルさんの目じりと頬にかすかに残る、涙の跡を。

 せっかく一生懸命盛り立ててきた店を、辞めることにした女の嘆きの痕跡を。


「……すみません、俺、やっぱりこんなの、ダメです」

「どうして? 遠慮なんかすることないのに……」

「こんな、恩を着せたからそれにつけこむようなの、俺、ダメだと思うんです。それは、俺の考えるいい男じゃ、ないと思うんです」


 俺の言葉にベルさんは哀しげに笑って、密着していた体を離した。


「真面目なのね~。そういうところも、いいと思うけど~」


 普段の、いつものベルさんに戻ってそう言った。

 俺は彼女の手を握って、真剣な気持ちでこう宣言した。


「いつか、本当にいい男になったら、そのときには本気で、ベルさんを口説きます。だから、またいつか会えるときまで、元気でいてください」

「私、その頃にはおばさんになっちゃってるかもしれないわよ~?」

「それでも、ベルさんはベルさんです! 素敵な人です!」


 俺の言葉に涙を流しながら、ベルさんは笑って言ったのだった。


「約束よ? そのときにはちゃんと、あなたの方から私を口説いてね?」

「はいっ! 絶対に! 誓って!」 


 俺とベルさんは別れを告げて、再会を誓い合った。


 

 ベルさんが店じまいをして街を離れてから、商店街は本当に寂しくなった。

 俺は仕事の巡回の最中、空き物件になった「恩讐者」の店舗跡を見るたびに、思う。


「カッコつけてないで、やることやっときゃよかった……」


 あの日、腕に抱いたベルさんの体の柔らかさが、いつまで経っても忘れられない。

 若い衛士の心と体に罪な爪痕を深く残して、不夜城の蝶は飛び立って行った。

 願わくば次の街でこそ、安らかにその羽を休められるように。


「……ジョー、お前、最近なにか、目つきが怖いニャ」


 俺が欲望を激しく持て余しているのを、茶屋で働く狐娘が鋭く感じ取り、店の奥に逃げてしまった。

 

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