第6話 「月がきれいですね」と言え


 浮かれた、浮かれた、浮かれた。


 浮かれてばかみたいな失敗をした。


 私はあの日から、夜も朝も通学の電車のなかも、授業中もひとりで食べる昼食の時間も、帰るときも家でネットを見ているときも何度も自分を責めた。


 死んでしまいたくなるほど、胸がぎゅっと息もできないほどにくるしくなる。


 ああでも、本当に息ができないヽヽヽヽヽヽヽヽヽ状態には、なってくれない。


 私の呼吸は、肺はそれでもうごめいて、私をくるしめるだけでそれ以上のものにはならない。


 莉央りおからは、何度もメッセージがとどいていた。


「ごめん。話がしたい」


 何度もかかってきた音声通話に、出るだけの気力はわかなかった。

 メッセージも、もう読むのをやめようと思ったが、


 ――本当は私も好き。突然でおどろいちゃっただけだよ。


 という莉央からの愛の告白が、どこかに混じっているのではと、読むのをやめられない自分のおろかさを何度も何度も何度も思い知った。


 何度メッセージがきても、そんな愛の告白は混じっていなかった。


 うろたえてしまったこと。すぐに反応ができなかったこと。謝罪と言いわけばかりがつらつらとならべられていて、とにかく「会って話がしたい」という内容しかなかった。


 「言いわけばかり」どのくちが莉央を責めているのだろう。


 自分が、自分の軽率けいそつさが、ずっとかくしてきた想いを押しつけて、莉央をさえくるしめている。


 ずっとかくしていればよかった。そうすれば自分だけが、あの甘いくるしみにひたっていられた。

 少なくとも、こんな、にがにがしい、胸をかきむしるたびに心の底に深くうずもれていく痛みを、くるしみを味わうことなんてなかった。


 ――でも、かくしていたら、私はいつかしあわせになれたの?


 こたえなんてわかりきってる。


 しあわせなんてない。


 ――女の子を、莉央を好きになってしまった時点で、きっとこうなることは決まっていたんだろう。


 すっかり暗くなるのが早くなった。

 今夜はスーパームーンだと、朝のニュースでやっているのを目にした。


 家へ帰りながら、目にさわるほど濃い黄色にそまった、巨大な満月をながめた。


 ――月は、きれいなんかじゃない。


 吐き捨てるように、負けおしみのようにそう心のなかで唾棄だきして、家の門へ手をかける。


「――夕陽ゆうひ


 うしろから声が聞こえて、ふりかえると、うっすらと街頭に照らされた暗がりに莉央が立っていた。


 ξ ξ ξ ξ


「ごめんね。一度、どうしても、話がしたくって」


 私たちは、近くの公園へ移動した。

 ブランコに、ならんで座る。


「私も……言い逃げみたいになっちゃって、ごめん」


 申しわけなさもあったので、まずはあやまる。


「電話とかも、無視してごめん。なにを話していいのか、わかんなくって……」


 うつむいて、公園の砂を見つめる。

 ブランコの、キィキィとうめくような、鎖のきしむ音がひびく。


 しばらくだまった。

 本当になにから話したらいいのか、わからなかった。


 それは莉央りおも同じだったようで、考えこむように、だまった。


 公園のすぐそばにある家のあかりから、親子のだんらんの声がわずかにもれ聞こえてくる。

 ひとごとのような、自分には手のとどかない星から流れてきたような遠さで、けれどノイズのようなトゲをもって、弱くもろく私の耳を通過していく。


「ごめん」


 何度目かの「ごめん」を莉央が口にする。


「あたし、夕陽ゆうひからああいう話を聞いたのがはじめてだったから、舞いあがっちゃった。踏みこみすぎて、夕陽ゆうひのことを、傷つけた。ほんとに、軽率だったと思う。ごめん。あのあと気づいたけど、夕陽ゆうひがあんまり好きな人の話とかしてくれないの、ずっと、まだそこまでは私に心をゆるしてくれてないからなのかなって、勝手に自分の基準で考えてた自分に気づいたの。だから、それで、『とうとう話してくれた!』って舞いあがって、しまった。何度考えても、ちゃんと、あやまりたくって……」


 ちがう、ちがう、ちがう!


 涙が自動的ににじんでくるのを、必死でおさえた。


 傷つけたとか、軽率だったとか、そんなことばが聞きたいんじゃない。


 私は、私は……


「そんなことを、あやまりに来たの」


 怨霊おんりょうのような、低くてぶざまな声になってしまっているのを自覚する。

 黒い気もちが声の底にたまるのを、ぬぐいとることができない。


「自分の満足のために? そうやって、私のこと、もっと傷つけにきたの」


 莉央はくるしそうに顔をゆがめた。

 こんな顔を、好きな人に、させたいんじゃないのに。


「……私のことは、友だち?」


 私はいじわるく、莉央に問う。


 好きって、言ってよ。


 願いをこめて問う。


 私はこのに及んで、まだ、


 ――いろいろ考えて、私は夕陽ゆうひのことが好きなんだって気づいた。


 ――男とか女とか関係ない。恋人として、好きなの。


 ――私の人生には、ずっと、夕陽ゆうひが必要なの。


 そんな甘いことばが来るんじゃないかと、まっているおろかな自分に気がつく。 


 血がにじみそうなほど、ブランコの鎖をにぎる。

 鎖をひきちぎるような強靭きょうじんさで、こいねがう。


 まだ、まだ、可能性はゼロにはなっていないはずだ。


夕陽ゆうひは、私のたいせつな……」


 莉央は、あの日のような決然とした表情で、つづけた。


「友だち」


「そんなことばがほしいんじゃない!」


 私は立ちあがってほえると、莉央にとびつくように、すがる。

 莉央の肩をつよくにぎって、鎖をつつむ莉央の手をにぎって、もうなくなってしまった可能性をさがす、あさる、ほじくりだす。


「私は、私はずっと莉央が好きだったの。恋人になりたいって意味で、手をつなぎたいって意味で、抱きしめてキスをしたいって意味で、からだでもこころでも結ばれたいって意味で、私はずっと莉央が好きだったの。莉央は、あのとき私をたすけてくれた日から神さまみたいな存在で、ずっとずっとずっと好きだったの。

 でも、どうせかなわないと思ってた。べつに莉央が男性だったって、どうせ私みたいな地味で、かわいくない、性格のわるい人間を好きになってくれるわけないってわかってた。だからずっとあきらめてたのに、莉央が私をそそのかしたんだ。あのとき、莉央が私に希望をもたせてころしたんだ! 知らずにすんだはずの傷を、痛みを、莉央が、莉央が私にわざわざもたせて、たたき落として、踏みつけたんだ……」


 勝手に希望を見出して、勝手に口に出したのは自分なのに、すべての責任を莉央に押しつけた。


 ああ、ああ、ああ、私は性格がわるい。

 わかってる。


 だから、自分のことが大きらいだ。


 私のまとはずれな糾弾きゅうだんを、莉央は反論もせずれた。「ごめん」顔をゆがめるが、私から目はそらさない。


 話すほど、莉央が私から遠ざかってしまうのが、わかった。

 蒸発するように、希望があとかたもなく消えて天にのぼっていくのを、感じた。


「好きって、言ってよ」


 膝がおちて、公園の砂にまみれる。


「おねがい。ただの思い出でいい。好きって……莉央のことばが、ほしいだけなの……」


 涙がぼたぼたとみっともなくながれて、自分の制服をぬらしていく。

 よごしていく。

 肺がけいれんするように、ひっくひっくと呼吸をみだす。


「言えるけど、私の好きと、夕陽ゆうひの好きは、ちがうと思う。だから、夕陽ゆうひの望むような言いかたは、できない」


「言えよ! 好きって、月がきれいですねって、うそでもいいんだ、私の夢を、かなえてよ……」


「月が……」


 莉央はつぶやいて、一度天をあおいだ。

 光をとりこむように、うつむいて目をつむると、ひらいてから私のことを見た。


「伝わるか、うまくいえるか、わかんないけど……

 夕陽ゆうひは、あたしにとって、いちばんたいせつな友だち。

 でも、それでも、それぞれ別の道に行く日が、そう遠くないうちにくるんだと思ってる。

 それで、もしその道の先で、あんたにつらいことがあって、死にたくなっちゃうような夜がもしきたら、ぜったいに、あたしに電話してほしいと思う。

 そんで電話をくれたら、あたしはどこにいても、何をしてても、ぜんぶ捨ててあんたのところへ行く。

 ぜったいに行く。 

 泣くんだったら抱きしめるしわめくんだったら聞くし逃げるんだったら手伝うし、それでも死んでしまいたくなるんだったら、あたしのわがままで、少しだけあんたを連れまわして時間かせぎする。

 でも、そんなあんたのとなりにいるのはあたしじゃなくって、あんたのすてきなところ、あたしが大好きなところをあたし以上に知っているすごくすてきなだれかがいて、そんで、あんたのことをめいっぱいしあわせにしてくれたらと心から願う、そんな」


 ことばを少し切って、まっすぐに、私のことを射抜く。


「だから、『死にたい夜は電話して』。それが、あたしの、夕陽ゆうひへの、月がきれいですね」


 射抜かれた私の胸には穴があいて、どくどくと、黒いなにかが流れ落ちていった。

 私はそれをこぼさないように、あらがった。さけんだ。


「死にたいよ! いまもう、死んでしまいたいよ。だからいっしょにいてよ。電話なんかするような距離じゃなく、ずっと、となりに、すぐそばにいてほしいんだよ! 手をにぎっていてほしいんだよ。『眠る夜にはそばにいて』。こどもみたいなわがままでも、情けなくてみっともなくても、それが私の……」


 私の黒いなにかは、さけびながら、それでも手からこぼれおちていく。

 私はそれをさがすみたいに、うちひしがれたみたいに、地面に手をついた。


「月が、きれいですね」


 つぶやくと、地面に涙がこぼれた。

 砂粒がぬれて、まんまるに、濃い色にそまる。


 顔を、あげた。


 莉央はまだまっすぐに私のことを見ていて、その頭上には、毒々しいほどの濃い黄色の光を放つ、巨大な満月が浮かんでいる。


 雲ひとつない空の奥から、ただ、莉央だけを照らしている。


 神々こうごうしいほどの莉央のすがたが、私をうちのめした。


 莉央はひざをついて、砂まみれになった私の手をとり、砂をはらった。


「好きって言ってくれたこと、ありがとう。

 自分勝手でごめんね。聞きたくないだろうけど、ありがとうって、うれしかったって、その気もちだけは伝えたかったの。

 夕陽ゆうひがもう会いたくないなら、連絡しない。

 もしそれでも会ってくれるんなら、また、私のばかみたいな趣味につきあってよ。

 もしかしたら、そんなこと、言うべきじゃないのかもしれないね。

 けどごめんね、あたし、告白してもらえたのなんてはじめてで、どうしたらいいのか、よくわかんない……」


 はじめて、莉央が少し笑って、少しの涙をこぼした。


 私は莉央に抱きしめてもらって、こどもみたいに泣いた。泣きつづけた。


 まんまるな月が、残酷なほどなにも言わず、ただ私たちを見おろしている。

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