19.千夏ちゃんの夢
梅雨のこの時期。
雨の日が多くてじめじめする。はっきり言って俺の嫌いな時期である。
「雨、降ってるわね」
「どしゃ降りだねー」
昼間までは曇天で耐えていたものだけど、夕方になるとバケツをひっくり返したみたいに雨が降り出した。
雨が地面を強く叩く。ザーザー、バシャバシャ。傘なしでは帰れないだろう。
毎朝天気予報のチェックをかかさない俺が、傘を忘れるはずがない。それは千夏ちゃんも同じで、可愛らしい赤色の傘を手にしていた。
「……」
帰宅するため傘を開く。千夏ちゃんも自分の傘を開こうとして、なぜか閉じた。
「あれ、どしたん? 何か忘れ物でも思い出した?」
教室に戻る用事でも思い出したのだろうか。考えを巡らす俺に、千夏ちゃんは首を横に振った。
「えっと……うん。傘を、忘れたわ……」
考えもしなかった返答に、一瞬ぽかんと固まってしまう。
「あれ、じゃあ今持ってるのは?」
「だ、誰かのを間違えて持ってきちゃった、かも……」
「でも、前に千夏ちゃんがその傘を使っているのを見たことあるよ」
「ぐ、偶然じゃない? 同じ色の傘なんて他にもあるわ」
「そこに名前書いてあるのに?」
「あ」
傘の柄のところに「千夏」と綺麗な字で名前を書いていた。なくさないように名前を記してあるのが可愛いよね。
「……っ」
耳まで真っ赤になる千夏ちゃん。嘘がばれて恥ずかしがるところも可愛い。
そして観念して白状した。
「ごめんなさい……。その、マサくんにお願いしたいことがあって……嘘を、ついたわ……」
「俺にお願いしたいこと?」
千夏ちゃんのお願いなら、なんだって聞く覚悟はできている。たとえ「千夏を甲子園に連れて行って」というお願いだったとしても、野球漫画の主人公以上の急成長を遂げて、俺は千夏ちゃんのお願いを成し遂げて見せるだろう。
千夏ちゃんはもごもごと言いにくそうにしながらも、雨音に負けそうなくらいの声量で教えてくれた。
「あ、相合傘……してみたいの……」
相合傘。一つの傘に男女二人が寄り添い合うあれである。カップルのみに許された禁断の手法。童貞が目にすれば大ダメージは必至だ。
「私の、小さい頃からの夢で……。ごめんね、変なこと言って……」
「全然変じゃないよ。俺も千夏ちゃんと相合傘したい」
好きな女の子の可愛らしい夢。それを叶えずして彼氏と呼べようかっ!
開いている傘を少しだけ傾ける。そうして千夏ちゃんを俺の元へと導いた。
「じゃあ、入るわね……」
「うん……ゆっくりでいいからね……」
「マサくんの傘……とても大きいのね……」
「ああ。実はいつでも千夏ちゃんを入れられるようにって思って、できるだけ大きいのを持っていたんだ……」
「そ、そうなんだ……。私のために、こんな大きいの……あっ」
「ど、どうしたの?」
「少し濡れちゃって……。私は大丈夫だから、このまま……」
「う、うん。もし速かったら遠慮しないで言ってね? ペース落とすから」
千夏ちゃんと相合傘しながら、雨の道を歩く。
雨のせいで冷えるはずなのに、互いの体温を感じるほどくっついていると体が熱くなってくる。
千夏ちゃんの声と雨の音しか聞こえない。
まるで二人だけの世界にいるみたいだ。そう思うともっと千夏ちゃんの温かさが感じられる気がして、彼女の傍にいられる安心感に身を委ねてしまいたくなった。
「危ない!」
そんな風に油断したのだろう。気づくのが遅れた。
車の音。反応して顔を向けた時にはトラックがすぐ近くまで迫っていた。
思わず千夏ちゃんをかばう。よくよく見れば交通事故を心配するほどの距離ではなかったけれど、思いっきり水しぶきをかけられた。
「マサくん大丈夫!?」
「俺は平気。千夏ちゃんは濡れてない?」
「私はまったく濡れていないわ。マサくんが、体を張って守ってくれたから……」
千夏ちゃんが濡れなかったのなら良かった。
荒い運転のトラックのせいで全身びしょ濡れになってしまった。早く帰って風呂にでも入らないと風邪を引いてしまいそうだ。
「私のために……。マサくん、優しすぎるわよ……」
「俺が優しいのは千夏ちゃん限定だからね」
「もうっ」
そっぽを向く千夏ちゃん。でもすぐに心配そうな目を俺に向けてくれた。
「……私のせいで、びしょびしょになっちゃったわね」
「俺の体が勝手に動いただけだから」
「風邪でも引いたら大変よ」
そこまで言って、千夏ちゃんは良いことを思いついたとばかりに明るい声を上げた。
「マサくん、私の家に来て? 体を冷やさないように温めてあげるわ」
「え」
突然のお家へのお誘いに、声が裏返ってしまった。
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