触れたかった
言葉の終わりの前に、体を引き寄せられる。
「ばか! 俺がずっと今までどんな気持ちでいたか知りもしないで……」
背を、きつくキトエに抱かれている。キトエに触れている。抱きしめられている。
「俺にはリコしかいなかった。忠誠を誓った。女性と思う前に主と思うと決めた。主に想いを寄せるなんて許されない。だからずっと……押し殺してきたのに」
キトエの声は泣いてしまいそうで、よく分からなかった。
「何、言ってるの?」
「俺もリコと同じだ。いつか、リコは知らない男のところに嫁ぐ。気が狂いそうだった。けど、一生伝えることは許されない。今、少しでも長くそばにいられるだけで幸せだって、気持ちを殺した。リコが生贄に選ばれたとき、リコを失うことに絶望した。けどそれは主の責務だ、臣下が口出しできない、主が務めを果たせるように尽くすのが自分の役目だって、自分を殺した。リコを連れて逃げたかった。全部終わったら俺も死ぬつもりだった。でもそうじゃない、本当にリコを想うなら、考えず一緒に逃げるべきだった。もっと早く伝えるべきだった」
背にきつく回っていた腕が緩んで、とても近くにキトエの顔があった。黄緑の瞳は薄く薄く濡れて、日の虹色を返す水のように鮮やかに、きらめく。
「俺はあなたを、愛してる」
瞳が、いっぱいの痛みを閉じこめて、細められた。
「愛してる?」
理解が追いつかなくて、ただ繰り返していた。
「じゃあ、好きなの? わたしはキトエが好きで、キトエはわたしを愛してるの?」
「そうだよ。ずっと前から、リコを愛してる」
「うそ、でしょ?」
言われていることは分かるのに、心がついていかない。
「うそじゃない」
「うそ」
「リコ」
頬に、耳に、キトエの指先が触れる。近付けられた唇が、触れ合う。すくんだ体をきつく抱きしめられて、息が止まった。
離れたキトエの顔を、ただ見つめる。
「ずっと、こうしたかった。リコに、触れたかった」
痛みをいっぱいに広げて、キトエは微笑んだ。
リコもキトエも、ばかだ。もっと早く伝えていれば、それだけでよかったのに。
「キトエ、キトエ、好き」
壊れたように、涙があふれてくる。止まらない。キトエにすがりついて、子どものように声をあげて、泣いた。
「ばかっ……キトエもっわたしもっ……もっとっ早く……」
嬉しいのか、つらいのか、悲しいのか、ぐしゃぐしゃになって分からない。混ざり合った涙があとからあとからあふれてきて、頬を流れ落ちる。瞳からこぼれ落ちる。
キトエの手が、髪を、背を撫でてくれる。そんな幼子にするようなたわいない触れ合いが悲しくて嬉しくて、涙になってあふれる。
「キ、トエ、キトエ、キトエ」
顔を上げた。キトエの髪が、眉が、瞳が、頬が、唇が、震えて揺らめく。
キトエも、泣いているのだろうか?
「お願い。命令じゃ、なくてっ……わたしを」
唇を取られて言えなかった。キトエの半分になったように、きつく抱きしめられた。
神様が嫌いだった。人に疎まれる容姿と、恐れられる魔力をリコに与えたから。
生贄に選ばれたとき、神様は本当に性根が悪いと思った。心の中で神を嫌うリコのことが、神様のほうも本当に大嫌いなのだろうと思った。キトエとのささやかな幸せを奪って、生きていることすら許さないのかと。
けれど、初めて神に感謝した。絶対に伝えることのない想いを、渡すことができた。
とても意地悪な神よ。今までリコの願いなど聞き届けてくれなかった神よ。むだかもしれない。けれど何度だって祈ろう。
キトエと、一緒にいたい。
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