模範生
秋色
〈前編〉
夏休みに商店街で買った五角柱の赤のボールペンを太陽の光にかざしてみると机の上のノートに小さな虹が出来る事を発見した。それがきっかけで隣の席の西村涼君と話すようになった。
何度も手の中でくるくるボールペンを回している私に「なんでポールペンを回してるの?」とある日、
涼君は、ちょっと考えながら言った。
「虹に本物も偽物もないんじゃない?」
そして虹が出来る原理を説明してくれた。色によって光の屈折の度合いが違うから、色が分かれて見える現象だと。涼君は天文学部の部員なので、科学的な事には詳しい。
「すごいね! 涼君って物知り。尊敬するな」
「大した事ないよ。尊敬なんて言葉、もっと本当に賢い誰かのために取っておいた方がいいよ」
でもそれからはボールペンで虹を作るのがもっと好きになった。本物の虹を作っているような気がして。
涼君は秀才。こういうきっかけがなかったら、同じクラスの落ちこぼれ女子と会話する事なんてきっとなかっただろう。ちなみに名前で呼んでいるのは、同じ西村という名字の男子がもう一人クラスにいたから。気安く呼んでいたわけじゃない。
その頃の高校生活を乗り物で例えるなら、涼君はフカフカのシートのある特急列車の指定席に乗っているよう。一方私は、オンボロ自転車に乗ってるような毎日だった。
涼君は、一学期の終わりに配られた学年通信の中で、学年の成績優秀者上位二十位の中に入っていた。決して目立つタイプではないけど、いつもニコニコ優しい笑顔を絶やさない少年。女子からも人気がある。同じ天文学部の地味目の男子達と一緒によく星の話をしていた。新星を見つける話。
家は通学途中に見かける丘の高台にある外国風の大きな家だって。
平和主義な男の子で、本当に平和で優雅な日々を送っているんだろうなあと私は少し
一方私は当時何かにつけ心配が尽きなかった。パパは単身赴任中で、二人暮らしのママとは喧嘩ばかり。ちょっと無理して入った高校で、高一の秋、すでに落ちこぼれ気味だった。入学してすぐテニス部に入ったものの、個人的な理由で夏の合宿への参加を断ったら先輩達と気まずくなり、退部しないといけない雰囲気になったし。
話をするようになったものの、私と涼君との会話は微妙に噛み合わない、というか格差があった。
「この前、天文学部の観測会で秋の星座会っていうのをやったんだ。すごく綺麗に見えて成果あったんだ。新星を見つけるかも、なんてドキドキしたよ」
「そうなんだ。私もこの間満天の星を見ながら帰ったんだよ。秋の星座も中秋の名月もきれいだったなぁ」
「え? 南さんって今は帰宅部じゃなかったっけ? なんでそんなに遅くなったの?」
「えっと……中間テストの結果が悪かった生徒は特別に補習があるんだ。でも星が見れたからラッキーだったかなって思ったりして」
これが残念な私。
私がテニス部の夏の合宿に行かなかった個人的な理由というのは失恋だった。元々少し無理して今の進学校に受験した理由は、カレシがこの高校に去年入学していたから。後を追って入学、そして同じテニス部に入れて有頂天になっていたけど、直後カレシには同じテニス部の同級生と両思いの噂がある事を知った。そして直接問いただすと逆ギレされ、一方的に振られた。
私には、生まれつき怒らせてはいけない人を怒らせてしまう特技(?)があるらしい。幼なじみも言ってたっけ。「里子は正直と言うか、ほんっと損な性分よね」って。
いや、損な性分なんかいらないよ。
テニス部の先輩達が噂を広め、今のクラスでも私が恋人を追ってこの学校に流れてきたみたいな話を誰もが知っていた。だから世間の噂話を気にしない涼君と話しているとホッとした。隠れ場所にいるみたいに感じられた。
***
二学期も半ばを過ぎ、学校の裏のチョコレートのような石畳を落ち葉が模様のように彩る季節になった。
ある日、学校の前の坂を降りてバス停に向かおうとしていると、前に涼君がいた。
「あれ、涼君。今日、自転車じゃないんだ」
「誰かと思ったら南さんか。今日は駅前まで行くからバスなんだ」
「じゃ、急がなきゃ。三十分に一度のバスがもうすぐ出るよ」
「あ、でも信号が黄色になるけど」
「いいよ。ほら、走って渡っちゃおう」
こうして私達は無事にバスに間に合った。
「大丈夫? 付き合わせて走らせちゃったけど息がきれてるよ」
「ああ、大丈夫。ふつう、黄色信号では渡らないようにしてるからビックリしただけ」
「そうなんだ。私は、黄色信号では大体渡るよ。ところで駅前って買い物か何か?」
「うん。駅前の書店で参考書を見ようかと思って」
「ああ、もしかして学術堂書店?」
「うん。南さんは?」
「私も本屋さんかな。でも目的地は違うよ。TATSUYAにKポップの雑誌を買いに行くんだ。相変わらず私達って噛み合ってないね」
笑いかけると、涼君は妙に考え深げな顔をしていた。
「どうしたの?」
「二年生になったら成績別のクラス編成になるって決まったの、知ってた?」
「知らなかった。そうしたら私と涼君とは絶対違うクラスだね。せっかく話せるようになったのに何か残念」
「僕も南さんのような面白い人達がクラスからいなくなると寂しくなると思って」
「それ、絶対、褒められてないよね、私」
思わず突っ込んでも涼君は澄ましていた。
「いや本当だよ。大体あの学校の生徒達って成績とか進路の事ばかり気にしてて人間味がなく感じるんだ。面白いと感じるのは、同じ天文学部でもそれ以外でも、成績優秀者とは言えない生徒達なんだよね。南さんのように」
「何かさ、ますます喧嘩売られた気分。私だからいいけど、涼君って知らないうちに敵作っちゃうよ。ま、私みたいに黙ってると
私は笑って言ったけど、涼君はやっぱり真剣にその事を考えているみたいだった。
「星の事とか、地学とか勉強するのは楽しいけど、それ以外の英文法とか年号とか、無味乾燥な事をただ言われる通りにマーカー引いて覚えるのって辛い時があるよ。それを何も考えず出来るクラスメートに気持ちとか分かってもらえるのかなって」
「私には星とか地学だって面白いと思えないよ。はっきり言って勉強で面白いと思える事自体ゼロなんだけど。でも人によっては英文法とか年号も楽しいって思えるんじゃないかなあ」
「そうかな」
「うん。あ、もうすぐ駅前のバス停だよ」
バスから降りて、私達は別れ、それぞれの目的地に向かった。私はその時さっき涼君の言った『気持ちとか分かってもらえるのかな』という言葉が少しだけ心に引っ掛かっていた。そんなに分かってもらいたい気持ちが涼君にはあるんだ、と。平和な高校生活をおくっているように見える涼君の繊細さを
***
秋が深まり、クリスマスケーキの広告が店の前に張り出される季節がやって来た。ある日、地元の商店街で焼き鳥屋を経営しているママのお兄さん、つまり叔父さんが家にやって来た。世間話のついでに、年末、商店街のバイトをしてみないかと私に声をかけてきた。
「うーん。 焼き鳥屋のバイトはちょっときついな」
「焼き鳥屋じゃなくて商店街の端のライブハウスで整理券を配ったり、後片付けをするバイトだよ。わざわざ募集をかける程じゃないけど最近スケジュールによってはすごく忙しいらしいんだ」
叔父さんは、商店街会の会長もしていて、色々な相談事を受けていた。
「私みたいな音楽に詳しくない普通の高校生でもいいの?」
「整理券を配ったり、後片付けするのに音楽の知識はいらないからね。里ちゃん、たまには社会勉強するのもいい事だよ」と叔父さんは呑気だった。
そうやって始めたライブハウスのバイトは、不定期に単発の仕事が入ってくるのでお金は貯まらなかったけど、今まで知らなかった世界の一面を見たような気がした。叔父さんの言っていた社会勉強という言葉の意味が別の面で分かった気がした。
そこに集まるお客さんは十代後半から二十代までが多い。ミュージシャンによってはもっと年代も上がる。これまで私が学校や他の場所では見てこなかったような人達だ。
出演するミュージシャンによってファンは違う。黒づくめの服装で、髪の色を派手に染めているファンの多いミュージシャン。服装は地味目で真面目そうだけど、どこかワケアリな感じのファンの多いミュージシャン。
全体的には若くても働いている人が客層の殆どで、世の中を知っている人達という気がした。
大きなホールで行われる人気アーチストと違って、どこか夜の匂いというか、独特のオーラをまとった音楽の世界だった。
小さなライブハウスでも、出演者によっては行列もできる。バイトは私を入れると学生三人。あとは正規の職員だった。後片付けまで待っている間、当然、音楽を裏から聴く事になる。うるさく感じるだけの音楽もあれば、胸にしみる、あらためて聴いてみたい歌もあった。そういうミュージシャンに限ってCD発売を今はしていなかったりする。
授業の合間、ライブハウスで聴いた曲の歌詞がふっと心の中に蘇る事もあった。
ある日、隣の涼君の席からそんな歌詞の一フレーズが聴こえた気がした。
――たとえばポケットにクッキーを一つ見つけたら――
そんな歌詞だった。涼君が歌ってた? まさかねと私は慌てて打ち消した。でも小さな謎が心に残った。
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