31
ぼくは引き続き小説を書いていた。
徐々にいいところまでは来ていた。しかし。
……この日々と思い出ををシンプルに綴っているだけなのに、なんだか完成させたら終わるような気がした。
どうしてだろうか……。
そしてあろうことか、そもそも疑問に思い始めた。
ぼくの書いている小説が、この終わりゆく世界の中でそもそも陽の目を見ることなどないはずだ。もはや生きた証として残すのみ。しかし……それすらも望みは薄いのではないだろうか? なぜなら天使の言った通り、世界はこうして終わっていくからだ。すでに北海道と沖縄は他国に占領されていた。世界中の審(しん)眼(がん)のある血族や民族がこの国に押し寄せていて、街は日本語の通じない人と謎に高級そうな装いの人で溢れていて、一体だれのための国なのかわからない状態だった。それに、ぼく自身は一体どうやって終わるんだ……?
こうしてぼくはいつまでも小説を完成させられなかった。どこで区切りをつけていいのかわからなかった。何かが抜けているような気がした。
わかっていても。書ききる気力が出ない。体力が足りない。力が湧いてこない。
どうしてだろうか……。
そしてただやみくもに気がついただけだった。
どんな境遇でも、作品と向き合っている瞬間はみな同じだ。仕事をしていても、していなくても。すばらしいものを生むために払う犠牲はみな同じだ。まだ見えてないものを見てみたいという想いだけで。まだこの世にないものを生み出したいという希望だけで、みなそれを追い求める。報酬はないかもしれない。だれにもみな追い求めたい光があり、みなそれを追っている。平等の苦しみ。そこにこの世における身分は関係ない。
その事実だけがぼくを支えてくれた。自分を信じられなくなる瞬間は何度もある。ただ作品に向き合っているという充実感だけはあった。死んでゆくときこの胸に抱いていたかったのは、創作をしたという実感だった。何かを生み出せる人間として死にたかった。挑戦しなければ得られなかった気づきだった。
世の中には創作をしないと息が詰まる人間も存在する。心の息の根が止まる連中がいる。ぼくもその類だ。最初は自己顕示欲の表れかと思う。しかし、だんだんとそうではない何かによってではないかと思えてくる。そんな気がする。
そうだと思えることが肝心だ。人間に自由意思というものがなくても、自由だと感じられるうちは自由だ。
だんだんと、自分はそれをするしかなかったのだと気づかされる。諦めにも似たように。はじめから知っていたように。しかし、人はなぜそれを最後の最後まで試みないのだろう?ぼく自身、世界が終わると聞かされた極限まで踏み出すことができなかった。おそらく、自分の思い描くものを実現させることこそ、最も恐ろしいことなのだと思う。
ぼくは結局、世界の終わりが身に迫ってやってくるまで、それに踏み出せなかった臆病な人間だ。本当はいつも知っていた。このしょうもない現実を抜けるには、自分だけの世界を打ち立てるしかないのだと。
天使はぼくに、自分を確立しろとは言わず、「自己を定立しろ」と言った。それがなんだかしっくりきた。
そして、日が昇りすぎると見えづらくなる。ある意味白昼(はくちゅう)は正気付きすぎている。書き留めてでもおかない限り、一度得た決意は、きのう夜に想ったことは、簡単に見えなくなるのだった。
そうして何が大切かもわからなくなっているのだった。
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