中編
勇者は宣言通り、隙を見てはアリスフィリアの命を狙った。
しかし、隙をついても魔王は手ごわく、あっけなく退けられてしまう。
一方、毎日命を狙われているのにもかかわらず、アリスフィリアの態度は変わらなかった。
少女のような屈託のない笑顔を常に彼へと向け、今日はこれがしたい、今日はあそこに一緒に行きたい、と本当の恋人のように付きまとってくる。
例え一刻前、彼に腹を貫かれ、血まみれになっていたとしても、愛おしそうに彼の髪を撫で、頬に触れ、彼から憎しみのこもった視線を向けられると頬を赤くして俯くのだ。
(あれほどの力なら、俺など簡単に殺せるはず。それなのに、初めに交わした約束を律儀に守っているなんて……本気なのか?)
花畑の中でサンドイッチを頬張るアリスフィリアの横顔を盗み見ながら思う。
頬にパンの欠片をつけながら食べる姿は、ただの無害な女性にしか見えない。彼の視線に気づいたのか、アリスフィリアの瞳が向けられた。
自分に常に命を狙われている者とは思えない、幸せそうに緩んだ目元。
この表情を向けられると、何故か心の奥が落ち着かなくなる。
どこかで同じ顔を、同じ想いをした気がする。
記憶にはないはずなのに。
(俺は魔王を殺し……世界に平和をもたらす存在のはず……なのに……)
頬に上がってくる熱量に戸惑いながら、手に握っていたサンドイッチを握りつぶした。
*
「ねえ、何で最近私を殺そうとしないの?」
乱れたシーツの上で、アリスフィリアが尋ねた。
勇者である彼がアリスフィリアとともに過ごすようになってから、どれだけ時間が過ぎただろう。
自分の気持ちも、
彼女への気持ちも、
全てが分からなくなっていた。
首筋に赤い痕をつけた彼女が、彼を覗き込む。
アリスフィリアの問いに、罪悪感が心一杯に広がった。喉の奥が詰まって言葉が出ない。
勇者は身体を起こすと脱ぎ捨てていた服を引っ掴み、ベッドから下りて着替えだした。
「どうしたの? ねえ?」
服を着ながら、アリスフィリアが再び問う。
心に留めておけなくなった罪悪感が、言葉となって勇者の口から零れだした。
「……お前を愛してしまった……かもしれない」
「え?」
息を飲む音と短く漏れた驚きの声。
勇者が振り返ると、大きく瞳を見開くアリスフィリアの姿があった。
(驚くのも無理はない……)
自分は、彼女を決して愛さないと公言していたのだから。
今まで秘めていた想いが、言葉の洪水となって吐き出される。
「俺だって理解できないっ! 何故日に日に、お前を愛おしく思う気持ちが強くなっていくのか……失いたくないと思ってしまうのかっ‼ この世界を崩壊させ、人々を殺し、俺の大切なものを奪ったお前を、何故殺したくないと思うのかがっ‼」
膝から崩れ落ちると、勇者は両手で顔を覆った。
その時、
「私を……愛してくれたの?」
すぐ傍に聞こえた声に、勇者はハッと顔をあげた。
視線の先には、床に膝をつき、彼と視線を同じにしたアリスフィリアの姿があった。彼の両肩に、小さな手が乗る。
その温もりに導かれるように、勇者は小さく頷いた。
「……ああ、そうだ」
「そっか……ありがとう、私を愛してくれて。とっても……嬉しい……」
虹色の瞳が細められ、何度も口づけた柔らかな唇が優しい微笑みを作った。
世界を裏切った罪悪感が、魔王の美しい微笑みによって溶かされていく。つられて笑おうと勇者が口元を緩めた瞬間、
視界がぐらりと歪んだ。
アリスフィリアの顔が上下逆さまになったかと思うと、自分の意思とは関係なく視界が彼女の胸、腰、足、足先に移動する。
何が起こったのか分からなかった。
ただ、座っている体勢では決してあり得ない方向から見える、アリスフィリアの足先を見つめながら、薄れゆく意識の中で彼女の最後の言葉を聞いた。
「でもごめんなさい。私を愛したあなたに……もう興味がないの」
*
アリスフィリアは、床に転がる勇者の頭を見つめていた。少し遅れて、頭部を失った身体が崩れ落ちるように床に倒れる。
彼女が彼の首を刎ねたのだ。
しかし不思議なことに、切り離された頭部からも身体からも一滴も血が出ていない。
アリスフィリアは鼻歌を歌いながら、転がっている頭を手に取り、うなじ部分を見た。
そこに書かれている数字を読み上げる。
「ふうん『102』か。ってことは、お名前は102号さんね?」
誰に聞かせることなく呟くと、女の細腕で運ぶには大変そうな彼の身体を、ずりずりと引きずっていく。
彼女がやって来たのは、寝室の奥にある大きな扉だった。
アリスフィリアは右手で勇者の頭部を抱えながら、左手で彼の身体を引きずり、扉の向こうにある長い階段を下りていく。
階段の先にあったのは、魔力の水で満たされた大きな水槽。
水面に浮かぶのは、無数の首のない男の身体と頭部。
今、彼女が左手で引きずっている勇者と同じ顔の――
アリスフィリアは彼の肉体を無造作に水槽の中に放り込んだ。
大きな水しぶきがあがり、しばらくすると彼の肉体が水面に浮かび上がった。
一仕事終えたとばかりに大きく息を吐き出すと、右手に残った頭部を自分の前に持ってくる。
目を見開いたまま絶命した勇者の瞳を見つめながら、優しく囁いた。
「あなたは私を愛しちゃ駄目なの『102号』さん。私をずっと憎んでくれなきゃ駄目だったのよ」
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