60 みかんをむく人

「ねえねえ、SNSでちょっと話題になってたんだけど」

「うん、どうしたって?」


 と、妻が夫に話しかけ、夫がそう返す。


「なんかね、ある男の人が、結婚したのに妻がみかんの皮をむいてくれないって言って、それでけんけんがくがくよ」

「それを言うなら喧々囂々けんけんごうごう侃々諤々かんかんがくがくだろ」

「そうそう、それ。なーんか混じっちゃうのよねえ」

「まあいいけど、それでなんで?」

「あ、そうそう」


 妻が食卓の夫の前の席に座り直す。

 こうなったら腰を据えて話をするぞ、という合図だ。


「あのね、ある男の人が職場の人だったっけかなあ、その人に愚痴を言ったの」

「うん」

「せっかく結婚したのにうちの嫁はみかんの皮をむいてくれない、結婚失敗したって」

「なんだそりゃ」

「それでね、それに同意する人もいたりして、信じられないーって」

「へえ」

「なあに、なーんか気のない返事ねえ」


 妻がむっとした顔で夫に言う。


「いや、つまんないことで揉めてるんだなって」

「あら、つまらないことじゃないわよ?」


 妻がさらにむっとした顔で続ける。


「結婚したら妻がむいてくれるってことは、家でずっとお母さんがむいてたんじゃないの? つまり、身の回りの世話は女が、ってか、その家の主婦かな、がするのが当然って思ってるってことよ、その人は」


 ふんっ! と鼻息荒く言う妻に夫が苦笑する。


「だからね、みかんむいてくれない、イコール主婦失格、結婚失敗したーにつながるのよ」

「そうなの?」

「そうよ!」


 ますます妻興奮。


「ほんっと、みかんの皮ぐらい自分でむきなさいっての。なーにが失敗よ」

「それなんだけど」


 夫が笑いをかみ殺すようにする。


「うちではみかんの皮をむくの、僕の仕事のように思うんだけど?」

「あ……」


 言われて妻も思い出す。


「確かにそうだったー」


 言っておいてケラケラと笑った。


「だって私、柑橘系の酸っぱいの苦手なんですもの」

「そうだよね、だから僕がむいて、甘いと?」

「あーん」

「そう、それ」

「やってもらってますー」


 妻が思い出して吹き出す。


「僕、それでいくと成功だね」

「そうね」


 夫婦で顔を見わせて笑ってしまう。


「だって~酸っぱいみかんは本当に苦手なんだもの~」


 そうなのだ。妻は柑橘系のすっぱいのが苦手、でも食べたい、それで実家にいる頃から、家族が食べて甘いと分かったものだけを分けてもらって食べていたのだ。


「苦手なら食べなけりゃいいのに」

「みかんとかは好きなの。でも酸っぱいのが苦手なの」

「勝手だな~」


 夫の言葉に妻がぺろっと舌を出した。


「でもうちのお母さんもね」


 亡くなった母の思い出話だ。


「スイカが苦手なのに少しだけ食べたい、それで私にその先だけちょっとちょうだいって、そうして甘いところ食べてたの」

「言ってたね」

「わがままよね~」

「みかんといい勝負だな」

「あら、それだったらね、いつもりんごむいてるのは私ですからね? 今の時期だったら梨も」

「いつもありがとうございます!」

「あ、柿も! この季節は皮をむく果物は多いわね」

「ありがとうございます!」

「分かればよろしい。それじゃあ……」


 妻はそう言って台所に行くと、しばらくして皮をむいた柿を持って戻った。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます!」


 うやうやしく頭を下げられ、妻が吹き出す。


「もう、やりすぎ」

「けどまあ、そういうことなんじゃないの?」

「何が?」

「みかんの皮」

「ああ」

「結局は、むいてもらう、もらわないじゃなく、感謝してるとかしてない、そういうことなのかも」

「確かにあるわね、それって」

「そうだろ? もしも、みかんの皮をむいてもらって、ありがとう! っていつもうれしそうにお礼を言っておいしそうに食べてくれてたら、むくのはそんなに嫌じゃないかも知れない」

「そうね、義務とかやって当たり前って思われるのがすごく嫌よね」

「だろ? お母さんのスイカだって、いつも当然のように、黙ってスイカの甘い部分を折って持っていかれてたらさ、そんなに懐かしそうに思いだせるかな」

「出せないわね~」

「そうだろ?」

「うん」

「嫌じゃなかったもの、お母さんに先っぽあげるのは」

 

 妻が懐かしそうな顔になる。


「その先の甘いところ、ちょっとだけちょうだい、って。それで仕方ないわねえ、って少し折ってあげるの」

「そしたらお母さんは?」

「ありがとう、って」

「それだよね、大事なのは」

「そうね」

「そして逆に、今度は皮をむいてあげる方がお礼言われて当然ってなったら、もらう方はもういらないってなってこない?」

「本当よねえ」

「つまり、本当の問題はそこなんじゃないかと思うよ」

「そうかも知れない」


 ううむ、と妻が考え込む。


「とにかく、今言いたいのは」

「うん、なあに?」


 夫の言葉に妻が答える。


「もうすぐみかんの季節だから、せいぜい甘いみかんを分けてあげましょう」

「ありがとうございま~す!」

「だから、りんごや柿や梨はお願いね」

「りんごはたまに皮ごとかじってもらおうかしら」

「おい」


 そう、結局は人間関係、感謝の心を持てるかどうか、相手を尊重できるかどうか。

 決してみかんの皮に責任があるわけじゃない、と夫婦でそう言いながら柿をつまんだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――


これ、実は、みかんは私のこと、そしてスイカは本当に母のことだったりします。

私はみかんは好きだけど酸っぱいのが苦手で、いつも家族にこうしてもらっていました。

そして母は私のスイカの先をちょっともらって食べてました。

ちなみに父はいちごの酸っぱいのが苦手で、酸っぱいとすごい顔になり、姪っ子が「おじいちゃんの真似」と言って酸っぱい顔をしてみんなで笑うのがお約束でした(笑)

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