58 二人静・その二

――しずやしず しずのおだまき 繰り返し むかしを今に なすよしもがな――


「どうせ吉野に来るなら春の桜の時にすればよかったのに」


 二人で宿から土産物屋などが並ぶ県道を歩きながらわたるがそうつぶやく。


 私は知らない顔をして少し先を真っ直ぐ歩いて行く。


「土産物とか見ないの?」

「んー、後でいいわ、お参りしてからでないと神様に失礼になるから」

「さっきもうお参りしたじゃない」


 確かに宿に車を置いてここに来るまでに、いくつかのお寺や神社をお参りしながら坂を下ってきた。 


「そろそろ一休みして飯でも食おうよ」

「んー」


 私は歩みを止めずに、その気なさげに返事をする。


「ちょっとね、目的の場所があるの。そこまで行ってから一休みしましょ」

「そう?」


 少し不満そうにそう言って、それでも大人しく渉は私の後を付いて歩く。


 今は初冬。吉野というとやはり桜の季節ということで、この季節には思ったほどには人がいない。

 それでも週の始めの月曜日にしては観光客を見かけるのは、そろそろ紅葉の季節だからだろう。


「紅葉見るなら山の上に行った方がよかったんじゃないの?」

 

 逆行して坂を登っていく観光客を見ながら渉がそう言う。


「そうね、なんなら後でロープウェーで上がってみてもいいわよ。でも、今日は先に行っておきたい場所があるの。それが終わってからでいい?」

「うん、いいよ」


 渉が私に逆らうことはほとんどない。

 なぜならそういう力関係だからだ。


 元々は私が通っていた美容院に入ってきたまだ若い美容師見習いだった渉。美容師の補助でシャンプーに付いてくれて、思わぬ話題がはずんでから、いつも担当をしてくれるようになった。

 当時、私はもう自分の事業を始めており、それが順調で、つかまえることができたらいわゆる「太い客」ということで、美容院も必死でつなぎとめるためにお気に入りの渉を専属にしてくれた。


 年はかなり離れている。私の方がぐっと年上。

 見習いだった渉を育てるのは楽しかった。

 そのうち気がつけば一緒に暮らすようになり、ごく自然に渉が独立する店の支援をするようになっていた。

 それが当たり、渉はあっという間にマスコミにもてはやされ、カリスマ美容師が誕生した。


 うれしかった。

 私の見る目は正しかった、私がここまで育てたのだと誇りに思った。


 そこから段々と二人の仲がおかしくなっていった。

 

 なあに、よくある話。

 若い男が、それまで世話になっていた年上の女ではなく、今度は自分が育てられる若いかわいい女に気持ちを移していった。

 ただ、それだけの話。


 どうしようかなと思った。

 それで無理を言って渉を吉野に連れ出した。

 まだどうするかは考えている。


「ねえ、まだ?」

「ん? もうちょっと」


 そう言って歩いた先に目的地はあった。


「着いた、ここよ」

「ここって……」


 渉は不審そうな顔で私が示した目的を見る。


 目的地には木製の柵が張り巡らされ、中には神社らしき建物は見えない。

 そして「再建のための寄付」を募る看板が立てられている。


「勝手神社」


 私は一言だけそう言う。


「古い神社なんだけどね、何年か前に不審火で焼けちゃったのよ」

「へえ。それでなんでこんな所に?」

「ここね、能の『二人静』の舞台になった神社なのよ」

「ふたりしずか?」

「ええ」


 私は渉にストーリーを話して聞かせる。


「お正月の七日、この神社では若菜を摘んでお供えする神事があるの。ある時、その若菜を摘みに行った菜摘女が不思議な体験をする」

「へえ、どんな?」


 渉は一応相槌を打って見せるがあまり感心がないのは見ていて分かった。

 ずっと私の顔色を伺って生きてきたのだ。そういう反応が身についている。


「一人の女が現れて、一日でいいからお経を読んで自分を供養してほしい、そう言って消えたって。その話を菜摘女が神職に話していたら、その女が憑依して、自分は静御前だって名乗る。それで、静なら舞って見せてくれって言ったら、奉納されていた静御前の舞い装束を取り出してそれを着る。すると、もう一人の静が現れて二人で舞を舞うのよ」

「怖い話だな」

「そう?」


 私は軽く笑って見せる。


「そうして、義経とこの地で別れた後、鎌倉に連れて行かれたり、生まれた子どもを殺されたり、辛く苦しかった生前を語って供養してほしい、そう願う。そういうお話よ」

「なんか静御前のイメージ狂うな。頼朝の前で鎌倉万歳なんて舞えるかよってしずやしず~って啖呵切った威勢のいい姉御ってイメージだったのに」

「イメージなんてね、見る人が勝手に作るものよ」


 私は真顔で続ける。


「女の情念は本当に深いのよ。義経がどうして静を置いていったのか、頼朝がどういう気持ちで舞を舞えと言ったのかは分からないけど、しずやしず、賎の者、自分より軽い者として扱うと、そういう姿で現れたりもするものよ?」


 私が笑ってそう言うと、渉は少しばかりばつが悪そうな顔をした。

 

「もしかしたら、この神社を燃やした不審火も、静の怨念が火を点けたのかも知れないわね」


 渉がぎくりとした顔でこっちを見る。


「勝手神社、男の勝手、それが女を怨霊にする。それを教えてあげたかったの」


 後は渉次第。

 私が舞う日が来るのかどうかはあなた次第。

 私はそれが言いたくて、ここへ来たの。

 よく考えてね。

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