53 で

 暑い暑い夏。

 夫婦そろってそこそこ長い夏休みをゲットした。

 だがこのご時世、あまりどこかに出かける気にもなれず、なんだか家でうだうだと過ごす日々。


 そんな中、ソファでスマホゲームに興じていた旦那がこう言った。


「ほんと暑いよなあ、もうお昼そうめんでいいから」


 そうめん、


「で」


 いいから。


 聞き間違いかな?

 ちょっと確認してみる。


「お昼、そうめん『で』いいの?」

「うん、そうめんでいいよ」


 聞き間違いじゃなかったらしい。


「そう分かった、そうめん『で』いいのね?」

「うん、それでいいよ」


 どうやら「それでいい」と妥協してるらしい。


「分かった、ちょっと買い物してくる」

「いってらっしゃい」


 私は歩いて10分ほどのスーパーまで買い物に行き、目当ての物を買って帰宅した。

 買い物時間と往復合わせて40分ほど。

 行き帰りの道中が暴れそうなほど暑い。


「ただいま」

「おかえり~」


 帰ってきたら旦那は私が出て行った時のまま、ソファに寝っ転がってスマホでゲームをしていた。


「ずっとそれやってたの?」

「ああ、うん」


 ちょっとだけ気まずそうにしてるけど、やめる気配はない。


「はい、そうめん」

「ん?」


 旦那が不思議そうにそう答えた。

 だって調理してる気配も時間もなかったもんね。


「はい、そうめん」


 私は笑顔のままもう一度言う。


「そうめんって……」


 こうなってやっと、旦那はスマホを置いてテーブルのところにやってきた。


「はい、そうめん」


 そう言って私が指さした先には6把入りそうめんの袋がどんとそのまま。


「えっと」

「そうめん『で』いいって言ったから」

「って、これ、なんもしてないじゃん」

「うん、そうめん」


 この段階でやっと、旦那は私の機嫌が悪そうだと気がついたらしい。


「えっと」

「そうめん『で』いいのよね?」

「あー……」


 何が気にいらないのかも分かったようだ。


「今までも何回も言ってたよね? 『で、いい』ってのやめてって」

「…………」


 そう、今回が初めてではないのだ。


「そういう言い方は我慢してるつもりってことって、何回も言ったよね?」

「……うん」


 旦那が渋々認める。


「『で、いい』って言うのはね、自分でやってそれで我慢しよう、妥協しようって時に言う言葉だと思う」

「うん……」

「だから、そうめん『で』いいのなら、それどうぞ」

 

 にこやかに乾麺のそうめんをずずっと差し出す。


「ごめん……」


 旦那が素直に頭を下げた。


「分かってくれたらいいの。それじゃそれ茹でましょうか。一緒にね」

「うん」


 大人しくコンロの前についてきた。


「まずお湯を沸かします」


 真夏の暑い日、キッチンはただでさえ暑い。

 ガスに火をつけてお湯を沸かすと一層暑くなった。


「暑いな……」


 やっとお湯が沸いてきたところで旦那がボソッと言う。


 私は黙って湧いたお湯にそうめんを入れた。

 最近はやりの茹でない方法は使わず、今日はあえていつものように茹でる。

 2分ほど経っていい具合になったので、流しに用意していたザルにざっと上げる。


「あっち!」

 

 立ち上る湯気に旦那が思わず身をよけた。


 ザルに入れたそうめんを元の鍋に戻し、水道の水をざんざんとかけ、鍋いっぱいになってきたらまたザルに上げる。何回か繰り返しそうめんが冷えてきた。


「そうめんはまだ熱いうちに手を入れてはいけないの。手のにおいが移ったりして変になるから」

「へえ」


 そうめんをぎゅっぎゅと水の中で洗う。


「え、そんなにごしごしやっちゃって大丈夫なの?」

「そうめんはね、作る時に油を使ってるから、こうしてもみながら洗わないといけないのよ」

「へえ」


 きれいに洗い上がったそうめんを氷水を入れたガラスの鉢に移し、


「さあどうぞ」


 と、旦那の前に出した。


 なんとなく不満そうな顔をしている。


「あ、これも」


 ペットボトルのめんつゆと、パックに入ったカットねぎ、それからチューブのわさびも一緒に出す。


 いつもうちではそうめんというと具だくさんだ。

 錦糸玉子、小口ネギ、みょうがの千切り、大葉の千切り、カニカマ、そんなものをずらっと並べて、手作りの出汁に好きな具を入れてどうぞ召し上がれ。

 

 旦那の頭の中には「そうめんでいいよ」と言った時、その映像が浮かんでいたのだろう。

 

 旦那は何か言いかけて、ふと表情を変えると、


「そうか、あれだけの物食べようと思ったら、もっともっと手間がかかるんだな」

「そうよ、分かってくれた?」

「うん、ごめん」

「別にいいの、料理は嫌いじゃないし、おいしく食べてもらいたいし。でもね」


 私は表情を引き締めて続けた。


「そうめん『で』って言われるのは嫌い。それだったらちゃんとそうめん『が』食べたいって言ってほしいの。どれだけ手間がかかるかも知らず『で』って我慢してるみたいに言わないで」

「うん、分かったよ、悪かった」

「私も悪かったわ」


 私も旦那に頭を下げた。


「暑くてイライラしてたのね。ついいじわるしちゃった。さ、食べましょうか」

「うん、いただきます」


 二人でネギだけのそうめんを食べながら旦那が言った。


「それに暑い中、買い物も行ってくれたんだもんなあ。本当ありがとう、ごめん」


 うちの旦那は本当に素直な人なのだ。


「あなたのそういうところ『が』私は好きよ」


 ちゃんと思いは「が」で伝えておいた。

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