彼らの逃避行

@takedunezaki

第1話 彼らは空にそれを見た(1)

 次は綺麗な景色が見たいな、と言って少女は目を瞑った。少しするとタイヤが水を切って走る音が聞こえ、少女は目を開けた。目の前には青い空と白い雲、そして鏡のように広がる水面。

「うわあ、何ここっ。すっごく綺麗だよお兄さんっ。」

 ハンドルを回して車の窓を開けると、わあ、と少女はもう一度声をあげた。それを横目に青年は運転を続ける。どこまでも続いているようなこの水面の、どこに向かえば良いのかを彼らは知らない。

「一度止まってあたりを見渡そう。」

 そう言って彼は車を止めた。それと同時に少女はドアを開け放ち、外に飛び出そうとする。その腕を青年が掴み、呆れた顔で少女を見る。少女は不服そうに頬を膨らまし、はーい、と間延びした返事をしてシートに座り直した。青年はドアを開けると片足を水面につけ、足が着くのかを確認するために何度も足で水面を踏んだ。

「ロペが走ってるんだから平気でしょ。」

 ロペとは彼女がこの車につけた愛称だ。早く早くと少女は車ごと体を揺らし始める。青年はぐるりと車の周辺を周り危険がないことを確かめると、少女に手を差し伸べた。

「近くにいるんだよ。何があるかわからないから絶対に離れないように。」

 少女は差し出された手を取って車から飛び出すと、パチャパチャとわざと大きく音を立てるように走り回った。ふと、この水面下はどうなっているのだろうと、しゃがんで覗き込むが、地面のようなものは見えない。手をついてみるが、水面の下には見えない地面でもあるかのように1cmも沈まない。水たまりで遊ぶようにパチャパチャと手をつけていると、その下をスッと魚のようなものが通り過ぎた。

「お兄さんっ、魚がいるよっ。魚がこの下を泳いでるっ。」

 興奮しながら報告する少女とは正反対に、うん、と興味なさげに返事をしながら青年は目を細めて周囲を見渡している。ぐるりと半周したあたりでピタリと止まり、少女を呼んだ。

「大きな岩みたいなものがある。あっちに向かおう。」


 どのくらい走ったか、遠くに見えた岩のようなものは崖の上に建物がいくつかある小さな島だった。住人がいるならどこかに上陸する場所があるはずだと、ぐるりと島の周りを回る。彼の予想通り少し回ったところで水面から坂が伸びる場所があった。そこはまるで港のように、乗り物らしき物がいくつも停まっていた。その中の端の目立たない場所に車を停め上陸した。


 坂を上りきると、建物が立ち並びガヤガヤと賑わう町に出た。

「お兄さん、久々に人がたくさんいる町だよ。買い物がしたい、ね、良いでしょ?」

「まずは言語収集。」

「はいはい、言語収集しながら、ね?」

 そういうと少女は近くの店に走っていった。よくわからない場所、そして自分の知らない言語が飛び交う中で、よく不安もなくはしゃげるものだ。ため息をついて青年は少女の後を追う。少女が入った店に近づくと、すでに少女は店員と話していた。少女は初めて聞く言語でも、数時間あればネイティブと同等の会話ができるようになる。それは彼女の頭脳が高性能であることが主な理由である事は間違いないが、この臆さない性格のおかげでもあるのだろうと青年は感心する。


 この町は多くの物売りがやってきて、それを目的にまた客が集まる商売の町なのだろう。それなりに大きな町で、店や宿も多く見られた。そろそろ宿を決めようと、青年は質屋を探すことにした。まずは通貨を手に入れなければ買い物も宿泊もできない。こういう町には珍しい物を買い取ってくれる店があるものだと彼は知っている。

「言語収集はどう?話せるようになった?」

 青年に聞かれると、少女はまかせなさいと胸をはった。少女はさっきまで話していた店員に質屋の場所を聞くと、この区画の端にあると教えてもらった。店の前まで行くと、少女は青年から鞄を受け取り店に入った。青年も後からついて行き店の扉の近くで待つ。扉を開けると、中年の男の店主が何かを言ってこちらを見た。少女は鞄から物を取り出して店主の前に並べると、ペラペラとそれについて話し始めた。店主は頷きながら物珍しそうにそれを手にとって見ている。あの様子なら売れそうだ。青年は安心すると、島の外に広がる水面を改めて眺める。目前の危険がないことと、通貨の入手の目処がついた事で、青年にも景色を楽しむ余裕が生まれた。少女が目を開けた瞬間に声をあげたのも当然で、ここは確かに美しい場所だ。白い雲が水面に映った雲とともに流れて行くのを眺めていると、ふと外が薄暗くなり小雨が降り始めた。遠くは晴れている。局所的な雨雲だろうか。青年は扉を開けて空を見上げると思わず声をあげた。

「なんだ、あれ。」

 その声に少女は青年に近づき、同じ体勢で空を見上げる。そして彼よりも大きな声で、何あれ、と叫んだ。町の上を横切る大きな影。ゆったり飛んでいるかのようなそれは生き物なのか乗り物なのか。目が離せず固まっている二人に、店主はそれを指差して言った。

「バラエルム」

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