共和国陸軍の戦女神 ~婚約破棄されて捨てられたら参謀本部の大佐に拾われた~

第616特別情報大隊

誰が悪いの?

……………………


 ──誰が悪いの?



「ガブリエラ。申し訳ないが、婚約を破棄させてもらいたい」


 目の前の男ははっきりとガブリエラにそう言った。


 ガブリエラ・フォン・ゲーリケは彼は何を言っているんだろうと一瞬脳が理解を拒否した。だが、やがて理解する。自分は捨てられたのだと。


「理由を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」


 極めて冷静にガブリエラはそう尋ねた。


 別に目の前の男──アダム・アッヘンヴァルを心から愛していたわけではない。今回の婚約はたたお家のためだった。


 この偉大なるエステライヒ共和国において、お家のために結婚しない貴族令嬢はいないと言っていいほどに貴族たちは追い詰められていた。


 改正農地法によって先祖代々の荘園を失い、困窮する貴族たちは裕福な家庭に娘たちを嫁がせることで家を生き残らせようとしていた。


 アダムとガブリエラの結婚もその多くある“よくあること”のひとつ。アダムは大手航空機メーカー“アッヘンヴァル航空機産業”の御曹司で、金に困っていはなかった。


 ガブリエラの両親は子爵家に過ぎない家を生き残らせるためには、この結婚を何としても成功させなければと思っていた。


「君は貴族だ。確かに君の貴族としての教養は素晴らしいよ、ガブリエラ。それに共和国の栄誉ある最高学府ルートヴィヒ・フォン・ヴィッテルスバッハ大学文学部史学科で学んだ知識も。──だが、時々それが鼻に突くんだ」


 吐き捨てるようにアダムはそう言った。


「君は男を立てると言うことを知らない。ああ。確かに君自身は素晴らしい貴族令嬢だよ。単品で見るならば素晴らしい人間だろう。だが、隣に立つ私としては、君のせいで劣った人間のように見られるのが腹立たしいんだ」


「そんなことで婚約破棄を?」


「そうだよ。“そんなこと”だろうさ、君にとっては。素晴らしい、素晴らしいガブリエラ。だが、私にとってはこれ以上ないほど重要なことなんだ。既に新しい婚約者は見つけている。君はもう必要ない」


 ガブリエラはぐっと押し黙って、アダムの言うことを聞いた。


「分かりました。そうでなるならば、この婚約はなかったことに」


「ああ。なに、気を落とすことはない。素晴らしい君にならば、君に相応しい相手を見つけるだろうさ。君の隣に立っても野蛮人扱いされない人間をね」


 アダムがそう言うのを聞いて、何も言い返さずにガブリエラは席を立ち、アッヘンヴァル家の屋敷を出るとタクシーを拾って実家へと戻った。


 共和国。エステライヒ共和国首都ハーフェル=ブランデンブルクを眺める。140年前の革命戦争を経て自由、平等、博愛を掲げる共和国の首都となり、それに続く20年前の世界大戦でもこの都市が陥落することはなかった。


 今は戦後も終わり、右派政党国家戦線党による大規模な公共事業が行われ、街には高速道路が走り、真新しい自動車が行き来している。このハーフェル=ブランデンブルクに夜の闇はない。ヘッドライトが闇夜を切り裂く。


 その高速道路の下では人工筋肉で駆動する多脚重機が動いている。死霊技術ネクロテックによって駆動する人工筋肉は、今日の党の掲げる経済政策の柱のひとつである全主要都市を繋ぐ高速道路の建築に従事していた。


 あれはトート・ライン社の多脚重機だななどと現実逃避していたが、無情にも現実は変わらない。タクシーは実家に到着し、ガブリエラは運賃を支払う。


 実家の家族にどう説明すればいいだろうかとガブリエラは考える。


 ガブリエラには兄と年の離れた妹がいるが、兄はこのゲーリケ家の家督を継承するのであり、妹は結婚するのにはまだまだ年齢が足りない。


 そうしている間にも、ゲーリケ家は財政的困窮に陥っていく。屋敷の維持費、使用人への給与、重い税金、夜会の費用まで。


 今のエステライヒ共和国政府は貴族を支持層と見做していない。彼らが支持層にしているのは、労働者階級や一部の共和国への貢献著しいブルジョワ階級といったいわば平民だ。貴族は今さら相手にしてもしょうがないと彼らは思っている。


 ガブリエラは心が潰れそうな思いで、実家の玄関の扉を開いた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 年老いた使用人が出迎えてくれる。


「お父様たちは?」


「夕食を終えられて、お茶をされておられます。今日はお客様はおられません」


「そう。ありがとう」


 ああ。説明しないといけない。


 自分が婚約破棄されたことを、その理由を。


 だが、本当にアダムが言ったことをそのまま伝えるのか? あんな馬鹿げた話を?


 確かに自分が他人の添え物になるように育ってきたつもりはない。そう育てられてきた覚えもない。子爵家ながら貴族令嬢として相応しい振る舞いをするように、立派な淑女になるように育てられてきた。


 胸が苦しい。


「お父様、お母様」


「ああ。ガブリエラ、アダム君との夕食はどうだったか?」


 ガブリエラの父アルブレヒトが尋ねてくる。


 父はこの結婚に賭けていた。ゲーリケ家が生き残るにはもはやこれしかないと思っていた。裕福なアッヘンヴァル家と結婚すれば、ゲーリケ家は生き残れると思っていた。


「婚約を破棄されました」


「なっ……」


 ガブリエラはただそう言った。


 父も母デリアも驚いていた。


「何故だ? 何があった?」


 父は取り乱している。それも当然かとガブリエラは父がどれほど今回の結婚に未来を見ていたのかを思い出す。


「私が貴族であり、大学を出ており、そのことでアダム様の隣に立たせてはアダム様が引き立たないとのことでした」


「そんな馬鹿な。向こうはそのような事情は随分と前から知っていたはずだぞ」


 確かに父の言う通りだ。ガブリエラのことはお見合いの段階でアダムも知っていたはずだ。ガブリエラ自身も思っている。今になって何故? と。


 だが、相手が主張したことはこれなのでそう伝えるしかない。


「今からでもお詫びに行って……」


「もう次の婚約者は決められているそうです」


 母が言うのに、ガブリエラがそう言う。


「……何かお前が失礼なことをしたんではないか?」


「あなた!」


 父が呟くような声でそう言うのに、母が叫んだ。


「私は何も失礼なことなどしていません」


「お前は昔から我が強いところがあった。先方に対しても何か……」


「していません!」


 もう限界だった。


 ガブリエラは不条理な婚約破棄を突き付けられ、次は家族から責任はガブリエラにあるのではないかと言われている。


 もううんざりだとガブリエラは思う。


 何をどうすればよかったというのだ。自分はどうすればよかったというのだ。大学で史学を学ぶことを諦めて、無知で、馬鹿な女でいればよかったのか? 貴族令嬢として相応しくない愚かな女であればよかったのか?


「わ、分かった。だが、先方に謝罪を入れて、もう一度……」


「ですから、向こうはもう婚約者を別に得ているのです。今さら無駄です」


「お前……。お前のそういうところが、先方には引っかかったんじゃないか?」


「では、どうすればよかったのかお教えくださいますか?」


 ガブリエラはよく自分が怒鳴り散らさずにいられるなと客観的に思った。


 いっそヒステリー染みて叫び回り、泣きわめき回れば、可哀そうな、可哀そうな悲劇のヒロインでいられただろうに、と。


「私はただ……」


「もういいです。出ていきます。お家のことは自分たちでどうにかなさってください。海外植民地に入植される貴族の方々もおられるそうですよ」


「待ちなさい! 待ちなさい、ガブリエラ!」


 そうだ。自分がそんなに独りよがりで、自分勝手で、独立し過ぎた女であるならば、ひとりで生きていこう。史学科で学んだ知識は全く役に立たないが、人工筋肉の加工工場では女性労働者もいるそうではないか。


 ガブリエラはただそう思って家を飛び出した。


……………………

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