第五十話 特別科教室
――世界魔法学園 第九魔法研究所観測塔
薄暗い部屋の床に描かれた魔法陣の上に、一人の生徒の姿が浮かび上がっている。
「……どういうこと……?」
普段は使わない眼鏡を掛けて、白衣を着た一人の女性がその映像を凝視している。
ダークブルーの長い髪を持つ鬼族の女性、ユユカ・アマナギ。
学園の非常勤講師であり、今は新設された研究所の所長を務めている彼女は、入学試験において一人の生徒に注目してから、その動向を追い続けてきた。
ロイド・フィアレス。魔力測定で『A+級』を記録しているが、ユユカはそれが測定用魔導器の限界値であり、正しい結果ではないと考えていた。
魔力のみでも、『A+』という枠におさまらない逸材。それでいて、周囲の誰にも悟られない一瞬だけ魔力を解放するという、規格外の
だが、それだけなら、固有魔法を持つ各国の皇姫に勝つことはできない。
そう考えていたユユカの想像を、ロイドは完全に超えていた。
――自分の想像を超える魔法使いに出会いたい。
ユユカのその想いは、ロイドの魔力が規格外であることを知ってもなお、満たされることはないはずだった。
「皇族じゃないのに、結界術まで使っちゃうとか……そんなのって……」
幻影舞闘で使用する魔法の難度には差があるが、固有魔法と結界術では次元が違うと言っていい。
結界を作るには準備が必要で、通常戦いの中で作ることがあるとしても、それは簡易結界に分類される。
――本物の結界とは、千年前に作られたという不戦結界を含め、『真なる魔法使い』のみが使うことができるもの。
ユユカの研究所が主題にしているものが、まさに『結界術』だった。
ロイドとアウレリスの試合が終わり、アウレリスがロイドに抱きとめられる光景が移し出される。
白衣の襟元を引くようにして、ユユカは自分でも気が付かないうちに唇を噛んでいた。
自分の感情に整理をつけるために、ユユカは震えるような息をする。それでも、映し出されたロイドの姿から目を離せない。
ユユカには、世界魔法学園に留まっている理由があった。
それは『不戦結界』を作った千年前の天帝――そして、ほとんど記録が残っていない、その護衛。これらの人物と、彼らの使った魔法についての知識を得ること。
七帝国が均衡を保っているのは『不戦結界』の存在によるものが大きい。しかし、その結界を作った千年前の天帝について、現存する記録は少ない。
――忘れられていいはずがない。そうユユカは思い続けている。この世界に今生きている一人一人が、天帝から賜った大恩を自覚するべきなのだと。
今も戦いの歴史が続いていたなら、幾つかの国は滅び、最後の一つの国になるまで戦いは続いていたかもしれない。
千年前の天帝――永久皇帝アルスメリアは、世界に覇を唱えることを望まなかった。
彼女が選んだのは調和。混ざり合えば混沌の色に染まる七国が、そのままの姿であり続けることを願い、そして成就させた。
「……
ロイドたちの試合は終わり、映し出される光景が切り替わる。
アウレリスが自らの負けを認める――ロイドはアウレリスを従属させることができる。フィアレス伯爵家の養子であり、一貴族であるロイドが、他国の皇姫を支配下に置くことができる。
それは、この学園における彼の地位が、皇姫たちと並ぶか、その上に立つことを意味している。
ユユカは胸の高鳴りを覚え、鼓動は際限なく早まっていく。彼女は立っていることも難しくなり、身体の火照りを覚えて白衣を脱ぐと、執務用の椅子に掛ける。
そして彼女は席に着き、改めてロイドとアウレリスの姿を見る。
――ロイドの唇が動き、何かを言う。そして二人は握手をして、周囲の皆が勝者を祝福する。
「……あなたなら、皇姫たちを従わせることもできるのに。和解なんて……」
この学園に来た生徒たちは、自国の中では満たせない野心を抱いている。
魔法使いとしての適性に優れ、高い向学心を持つ。そういった人物であっても、他者の上に立ちたいという支配欲は往々にしてあるものだと、ユユカは考える。
しかし、ロイドは違っていた。
彼は周囲の生徒たちと可能な限り対等であろうとしている。
ユユカは天帝の護衛について記録が残っていないのは、彼が自分の功績を
――ロイドもまた、ヴァンスに近い精神性を持っている。一度そう考えてしまうと、ユユカの身体がまた熱を持ち、頬が上気し始める。
ヴァンスが持っていたという魔力もまた、天帝を守るときに銀色の輝きを放つことがあったという。ロイドの魔力は、魔力測定のために実力の片鱗を見せた瞬間に、どんな色をしていたのか。それは、その場にいたレティシアにも見えていない。
「無色透明の魔力……けれど瞬間的に、銀色に変わるとしたら。『あの方』に近い魔力を持っているとしたら……それは、偶然なの……?」
皇姫たちがロイドに賛辞を述べていく。その光景を見ながら、ユユカは狂おしいほどの感情を持て余していた。
(私は、どうしてあの場にいないの? こんなところで何をしているの……?)
彼と試合のできる立場であの場にいたなら、間違いなく手合わせを申し込んでいただろう――詮無きことと知りながら、ユユカはその衝動を抑えがたい状態にあった。
何もない空間に、弾けるような音が響く。ユユカの魔力が無意識に流れ出し、詠唱という手続きを受けて事象に変換されることなく、行き場を無くして爆ぜているのだ。
ユユカは胸に手を当て、深呼吸をする。それでも、魔法陣の上に浮かび上がったロイドの姿から、彼女は視線を外すことができない。
「本気で欲しくなっちゃった……皇姫殿下の誰かのものになんてさせられない。私のものになりたいって思わせてあげなきゃ……ロイドちゃん……」
ユユカは立ち上がると、まだ鮮明に浮かび上がっているロイドの幻像に手を伸ばし、その頬に触れる。そして自らの意志で幻像を解除すると、ロイドの姿を構成していた光が霧散した。
「こういうところが困りものだよね……欲しいのと同時に、壊したくなっちゃう」
ユユカはその場に背を向けると、自分の研究室を後にする。彼女は今日のうちに、一つは駒を進めておきたいと考えていた。
ロイド・フィアレスとは何者なのか。それを自分の手で明らかにする。今はそのことしか、ユユカの頭にはなかった。
◆◇◆
――学園島 碧海の区 中央地区一番 特別科校舎
幻影舞闘を終えたあと、特別科の生徒たちは教室に入り、改めて顔合わせが行われた。
通常の教室とは全く違い、広い円形の空間に、それぞれの国ごとに円卓が置かれている。
天帝国の卓の周りに座っている生徒は、俺とカノン、そして男子と女子が一名ずつだ。
男子の方は緑の髪で眼鏡をかけており、女子の方は鮮やかな赤色だが、魔皇姫殿下とは違う系統の色だ。
カノンは二人に微笑みかけるが、男子の方は少し引っ込み思案という感じで緊張しており、女子の方が落ち着いて微笑みを返している。この感じは、男子の方が女子の従者ということになるだろうか。
俺もまた、二人の生徒と目が合う。男子の方はビクッと跳ねるように反応する――睨んだりしているつもりはないのだが。
女子の方は、カノンに対する反応とは違い、俺のことをじっと見てくる。友好的ではない――とまではいかないが、何か身構えられているようだ。
容易に目を逸らせない。しかしこうしているうちに、自分でもにわかに信じられないような感覚を覚える。
――懐かしい。こんな目をした人物を、俺は確かに知っている。
(……この系統の、赤色……そんなことがあるのか……?)
転生してから、天帝国で十五年を過ごした。
アルスメリアの手がかりを求めて、国内を隈なく見て回ったつもりでもいた――だが、この世界魔法学園に来るまで、俺はこの赤髪の少女に出会えなかった。
「シシリカ様、フィアレス家の方々に、ご挨拶をしなくては……っ」
やはり緑髪の少年は、彼女――シシリカの従者のようだ。シシリカは貴族で、彼は学園でも付き添うために試験を受け、そして合格したのだろう。
「……んっ」
シシリカは言葉を発するタイミングを逸したようで、声が出ていない。ずっと硬かった表情はそのままだが、頬が赤く染まる――どうやら、俺も不要な心配をしていたようだ。
「初めまして……シシリカ・ランスフォードです。天帝国南の国境近くに領地を頂いております、子爵家の次女です」
「私はルック・トーレスと申します、ランスフォード家の
貴族同士の交流会によく顔を出すのは、帝都の近くに領地を持つ貴族たちだ。国境近くに領地を持つ貴族が帝都に上がることはそう多くはない。それでこの二人を見たことが無かったのだろう。
もっとも、フィアレス家自体貴族同士の交流の場にはあまり顔を出していない。カノンが夜会でドレス姿をお披露目したときは、公爵・侯爵問わず貴族の少年たちが色めき立ってしまった――それからカノンは入学試験のために勉学に励みたいという名目で、社交の場には進んで出ることはしなくなった。
『私は兄様とお母様、家の皆に見てもらいたかったのです。もう一度踊るのなら、学園に入ってからが良いです』
そんなことを言っていたカノンだが、あのドレス姿はまさに天使だった――と、挨拶もせずに思いを馳せすぎた。
「初めまして、僕はロイド・フィアレスです。フィアレス伯爵家の者です」
「カノン・フィアレスです、ロイド兄様の妹です」
「よろしくお願いします。試験が終わったあとは普通科だったのですが、今朝になって特別科に転科することになって……先程、招集を受けてこの教室に来ました」
「そうだったんですね……僕としても、同郷の方がいてくれると安心します」
特別科の生徒で欠員が出たのか、シシリカとルックの成績が特別科の要件を満たしていて、配属先が変更になったということか。
少し気にはなるが、この二人に疑いをかけようという気にはならない。まだ緊張が解けていないようだが、魔力の流れにも不自然なところはない。
――何より、シシリカの魔力は、まだ表出させていない状態ですら、『彼』に良く似ている。
フリード。千年前、天帝国騎士団で大将軍を務めていた赤髪の騎士。
平民出身のフリードは爵位を持たなかったが、将軍となった時点で貴族からの婚姻話が多く持ち込まれていた。
ランスフォード家の歴史がどのようなものかはまだわからないが、シシリカにはフリードから受け継がれた魔力を感じる。
「先程の決闘……いえ、幻影舞闘については、私とルックは観戦できなかったのですが。素晴らしい戦いだったのでしょうね」
そう言いながら、シシリカの瞳にはやはり、油断のできない光が宿っている。
――強さに対する希求。フリードもまた、最後まで俺との決着をつけたがっていた。
「もし、よろしければ……私も、ロイド様にお手合わせしていただきたい。せっかく、同じ場所で学ぶことができるのですから」
「っ……シ、シシリカ様、そのような……っ」
「いえ、こちらこそ同じ思いです。魔法の腕を磨くために、手合わせをするのは良い方法ですから」
慌てているルックには申し訳ないが、社交辞令のようなことを言って済ませる気にはとてもなれない。
フリードの血を引いていると目される人物が、目の前にいる。薄れてしまっていた千年前の記憶が、鮮明さを取り戻していく。
『――いつか君ともう一度戦い、腕試しをしたかった』
あの時の俺とフリードと、何一つ同じではない。ヴァンスだった俺はロイドになり、フリード本人ではなく、シシリカはフリードの子孫だ。
それでもこの猛りは、千年前のヴァンスとフリードから、今の俺たちに繋がっていると思える。
「シシリカ殿は、どのような武器を使われるのですか?」
「私は短槍を用います。長槍を使った槍術が代々家に伝わっているのですが、本来長槍は馬上で用いるためのものですから。私には短槍が合っていると考えています」
フリードは長槍の使い手だった――シシリカは、自分に合っているのが短槍だと判断した。
俺は自分に合っている武器が『天騎護剣』だと考えているが、それは果たして最良の答えなのか。そんなことを考えさせられる。
「兄様ったら……
「私などロイド様の練習相手としても不足しているでしょう。ですが、お手合わせいただけるときまでには、身体を仕上げて参ります」
「っ……シ、シシリカ様、その言い方ですと、誤解が……っ」
(ん……?)
シシリカと話している間は気づかなかったのだが、何か教室のあちこちから視線を感じる――まさに矢のような視線だ。
「……同郷の生徒というのは、盲点でしたわね」
アウレリスが何か言ったような気がした――従者の二人がこちらを睨んでくるが、俺としては曖昧な対応しかできない。
皇姫たちが互いに何か牽制し合っている、そんな流れを感じ取った矢先。教室に二人の教官が入ってきた。
レティシア教官と、セイバ教官。二人は教室全体が見渡せる教壇に立つ。
「大変お待たせしてすみません、副学長への報告を行っておりました。それでは、これから本教室の今後の日程について……」
セイバ教官が話し始めると、聖皇女エリシエルが静かに席を立つ。皇姫の従者たちは席に座らずに最初から立ったままで、エリシエルに続いて他の皇姫たちも立ち上がった。
「学園では『起立』をするものとうかがいました」
「ふーん、そういう決まりがあるんだ。さすがエリシエル、詳しいね」
「これまで皇姫が学園に来た時は、個別で授業を受けてたって話だから、あたしたちみたいな場合は前例がないけどね」
ユズリハ、クズノハは少し気分が高揚しているようだ。狼獣人のロウケンは微動だにもせず、彼女たちの後ろで見守っている――ふと思ったが、あれほど風格のある彼も俺たちと同じ十五歳だったりするのだろうか。
「特別科とはいえ、私たちも学園の一員であることには違いない。学ぶ上での礼儀は尽くすべきではないか」
「……私はどんなやり方でも構わない」
スセリとリューネイアも同意している――初めはどうなることかと思ったが、皇姫たちの主張が強すぎてぶつかってしまうとか、そういう事態にはならなさそうだ。
何より、アウレリスがすっかり大人しくなってしまったことが大きい。エリシエルに張り合いそうなものだが、そういった様子は全くなかった。
「ロイド様に気持ち良く学んでいただけるのなら、規律は遵守しますわ。種族や得意な魔法がそれぞれ違うので、個別の授業もあるそうですが……私の希望としては、ロイド様と可能な限り一緒に学ばせていただきたいですわ」
ロイド『様』と連呼されているのも恐れ多いのだが、そこに関しては教官も含めて誰も指摘しようとしない――これで定着してしまうのだろうか。
戦々恐々としている俺を見て、レティシア教官がくすっと笑う。どうにも悪戯な笑顔だ――いつも硬い表情しか見てこなかったので、少し新鮮に感じはするが。
「アウレリス殿下のおっしゃる通り、副学長からも、ロイド君には少し特別な……そうですね、クラス委員として、授業にも協力をお願いしていただきたいと考えています」
クラス委員――この教室における、生徒の代表のようなものだと思うが、皇姫たちの集まったこのクラスで、俺がそんな役割を与えられていいのだろうか。
『ロイドはお兄ちゃんだから、実は向いてるんじゃないかしら……大変なときはお母さんもサポートするから、安心して頑張りなさい』
ミューリアが魔力感応で語りかけてくる。力を貸してくれるのはありがたいが、何か楽しそうなのは気のせいだろうか。
「兄様、お忙しい中でも、私のことを忘れないでくださいね」
そしてカノンからも釘を刺される。もちろん妹のことを忘れるわけもないのだが――具体的に俺はどんな役割を求められているのか、教官の話を心して聞く必要がありそうだ。
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