第四十八話 祝福
足元からの光が静まり、俺は元の視界を取り戻す。
第二幻影殿の魔法陣の上に、俺は立っている。幻影闘技場で魔力を消耗はしたが、特に疲労を感じてはいない。
振り向くと、カノンとミューリア、そして少し離れたところにセイバ教官がいる。最初に拍手をしてくれたのはカノンで、他の二人もそれに続いた。
「兄様が勝つと、信じていました。何も心配なんてしていません」
神殿に差し込む光の中で、妹は微笑む――悪戯なことを言っているつもりのようだが、その姿はまさに天使そのものだ。
「ん……?」
かすかに違和感を覚えて、俺は妹に近づく。妹は手を叩くのを止めて、俺を見ていたが――急にはっとしたように慌て始めた。
「あ、あのっ、これは……ほ、本当に心配していなくて、ひとりでに……」
頬に、涙が伝ったあとがかすかに残っている。どういうことかとミューリアを見やると、彼女は頬に手を当てる。
「お兄ちゃんがあんなに魅せつけるからいけないのよ。誰だって、本当に心を掴まれると涙が出てしまうものなの」
「そ、そうではなくてっ……わ、私は……」
カノンはハンカチを手に持っているが、その柄には見覚えがある――確かミューリアのものだ。
俺はそれを受け取ると、妹の頬をそっと拭った。綺麗になったところで、頬に手を当てる。
「っ……にぃ……さまっ……」
「魔皇姫殿下はとても強かった。けれど僕は、負けるわけにはいかなかったから……カノンに兄らしいところを見せられたかな」
「……は、はい……とても……」
カノンは俺の目を見ようとせず、口を動かしているが、最後までは音にならなかった。
「ロイド、お母さんも息子の晴れ姿を見守っていたのだけど……?」ふふ
「は、はい。もちろん、ミューリア母様にも感謝しています。いえ、今はミューリア教官補佐と呼ぶべきでしょうか」
「むぅ……お兄ちゃんったら、露骨にお母さんと妹で対応を変えて。そういうことをする子は、あとでいっぱいお祝いの
どう転んでもそういう方向に持っていくつもりなのでは、とはとても言えない。アイマスクをしていないミューリアは、視線だけでも油断すれば魅了されそうなくらいに艶美な空気を醸し出している。
「セイバ教官も、立ち会ってくださりありがとうございます」
「いえ……こちらこそ、拝見させてもらったという気持ちです。この世界魔法学園では、在学中の生徒が教官を凌ぐ能力を持っていることは往々にしてあります。分かってはいたつもりでしたが、やはり君は別格だった」
セイバ教官は手袋を外し、俺に右手を差し出してくる。握手をすると、彼は爽やかに笑う――今までならどこか含みがあるような表情だったのに、今は違うようだ。
「いつか手合わせをさせてもらう時が楽しみです。私のほうが教えられる立場かもしれませんが、一緒に頑張って行きましょう」
「こちらこそ、お世話になります。妹の護衛として、学業と共に務めを果たしたく思います」
「兄様が教室にいらっしゃれば、私は何も怖いことなんてありません。私だけでなく、クラスの方々はみんな……教官はどう思われますか?」
カノンが俺の腕を取って言う――少々人前としては大胆な振る舞いに、セイバ教官はわずかに目を見開いたが、すぐに楽しそうに笑った。
「ご兄妹でこれほど仲が良いとなると、二人が家族であると知らない他の科の生徒はお二人を恋仲と思われるやも……いえ、ミューリア補佐、これは軽口ではなく一般論というもので……」
「二人とも、私は教官補佐だけど、ミツルギ君にとっては先輩の立場だから。この人が不謹慎な発言をしたらいつでもお母さんに報告するのよ」
「い、いえ。妹は兄の僕から見ても、人目を惹く容姿をしていますから……僕も誤解を受けないような振る舞いに努めたいと思っています」
「それは駄目です」
「……え?」
兄妹であらぬ誤解を受けてもいいということか――何ということだ、妹がそんなことを考えていたなんて。最近は一緒に入浴もしなくなったし、兄妹であっても学園では厳正な距離感で接するのではなかったのか。
「兄様を放っておいたら、そのほうが心配ですから。私がしっかり傍で見ていないと」
そう言って、カノンが俺の腕を取ったままで回復魔法を発動させる――詠唱変換を行っている魔道具は、外からは見えないが、彼女が首にかけているネックレスだ。
「偉いわカノンちゃん、お兄ちゃんを癒やしているのね。でも、魔力を使った一番の理由は……」
アウレリスの牙を素手で受けたとき、『吸魔』の効果で魔力を持っていかれた。
魔力は時間が許せば『練る』ことで増やすこともできるのだが、カノンが自分の魔力を分けてくれた。俺の腕にカノンが触れた部分が
「カノンの魔力を貰うと、何というか……お風呂に浸かってるみたいだね」
「それは、身体の自然治癒力が活性化しているんです。兄様はすぐに魔力が活性化して、いっぱいまで回復してしまいますから……」
俺の魔力は特異なものであるため、他者の回復魔法が効きにくい――そう、千年前は言われていたのだが。
カノンの魔力は彼女の言う通り、少量が俺の身体に入っただけで抜群の治癒効果を発揮する。いつも、回復しようとしてくれたカノンに魔力を返すことができるほどだった。
「っ……に、兄様、お返しは、大丈夫ですので……っ」
「せっかくだから、ふたりとも万全にしたほうがいいからね。母様はお疲れではありませんか?」
「……そこで『はい』って言ったら、さすがに教官補佐失格よね。ミツルギ君も見ているし、家に帰るまでは自重することにするわ」
「私のほうこそ、家族のお邪魔をしてしまって心苦しくなってきたところです。いや、本当に仲がいいんですね、お三方は」
セイバ教官は蚊帳の外でも気を悪くした様子はなく、笑ってみせる。そして幻影殿の外を見やった。
「そろそろ、第一幻影殿から皇姫殿下たちが出ていらっしゃるようです。どうぞ、ロイド君。勝者は胸を張るものです、たとえ魔皇姫殿下が相手であっても」
「はい。ありがとうございます、教官」
俺がまず初めに第二幻影殿を出る。太陽の位置は直上に近い――眩しい光の中で、水路を渡る白い石で作られた道が伸びている。
第一幻影殿から出てきた皇姫たち、そしてレティシア教官は、通路の左右に別れて並んでいる。俺がそちらに向けて歩いていくと、向こうから歩いてくる少女の姿が見えた。
魔皇姫――彼女は従者の女生徒に支えられていたが、途中で彼女に一言断ると、こちらに一人で歩いてきた。
改めて見ても、二つ年下とは思えないほど大人びた姿をしている。幻影舞闘の結果を受け入れているのか、その表情は落ち着いたものだった。
「つい先程まで戦っていたのに、久しぶりのような気がしますわね」
そう言って、微笑んでみせる。俺に対する対抗心などは、今の彼女からはほとんど感じられなかった。
ほとんどというのは、少しは残っているということだ。今は淑女の振る舞いをしているが、勝ち気なところはもう十分に見せてもらった。
――しかし考えているうちに。アウレリスは不安になったように、胸に手を当てる。
「……何か、言ってくださいませ。それとも、こんな女と交わす言葉は……」
「いえ。魔皇姫殿下と同じことを思っておりました」
「ふふっ……あれほどの強者でも、あまり嘘は上手ではありませんのね。分かっていますわ、あなたに一方的に要求をして、それで負けた私を滑稽だと思っているのでしょう」
「そのような考えは、心の端にもございません」
「……本当ですの?」
アウレリスは俺を睨んでみせるが、その瞳には鋭さがない。
弱気になるなど、彼女らしくはない。不安になる理由があるのなら、それはおそらく――。
「……皆が聞いていた通り。幻影舞闘の勝者は、敗者に一つ命令できる。ロイド・フィアレス、あなたにはその権利があります」
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