第四十四話 決闘装束
◆◇◆
幻影闘技場に幻体を送り込むための魔法陣は、干渉の仕方を変えることで闘技場の光景を映し出すことができる。
第二幻影殿でロイドとアウレリスの試合を見守っていたミューリアは、アウレリスの瞳が赤く輝きかけた瞬間に、全力で精神防御を試みた。
「……っ」
ミューリアの感覚が誤っていたわけではなかった。しかし、直接アウレリスを見たわけでもなく、映像を見ただけだというのに、その違和感ははっきりとしていた。
アウレリスの身体から、赤い霧状の魔力が爆発的に溢れた。その次の瞬間、霧は晴れ、映し出された光景は一変していた。
「兄様……一体、何が……」
カノンはすぐに理解することができずにいた。彼女には、「ずっと見つめていたはずの兄の姿」が、突然に移動しているようにしか知覚できなかった。
距離を置いて対峙していたはずのロイドとアウレリスの位置が、入れ替わっている。
映像の中で背を向けていたロイドが振り返る――無傷のまま。
アウレリスはまだ動くことができずにいる。ミューリアは自分の身体を抱くようにして、震えを抑えることができない。
「魔皇女殿下が、開始と同時に固有魔眼を使った……本気で、自分の眷属たりえるかを確かめるための儀式。それを、あの子は防いでみせた……」
「防ごうとして防げるものではないはずです……これで終わっていたかもしれなかった。しかし終わらなかっただけでなく、ロイド君は……」
セイバは感嘆だけでなく、畏怖を込めて呟く。彼もまた、魔皇姫が幻術系の魔法を使うものと見て抵抗を試みたが、何が起きたのかを全て知覚することはできていなかった。
◆◇◆
第三幻影殿に集まった五皇姫と、立ち会いのために随伴しているレティシアもまた、ロイドとアウレリスの戦いの始まりを驚愕とともに受け止めていた。
「……魔眼を防いだっていうことは、ロイドは魔帝国の皇族と戦ったことがあるっていうこと?」
「あたしたちでも二人でやっと防げるようなものを、一人で……それに、魔眼を受けたあとにあんな優位な位置にいるなんて」
「後ろへとすり抜けた……裏を取ることができていた。それなのに、ロイド殿は剣に手をかけた様子もない。いや、それよりも……あの魔眼を受けて、『なぜ無事でいられる』……?」
ユズリハとクズノハ、スセリはアウレリスの魔眼の原理を一部だけ理解している。
エリシエルは動くことができずにいるレティシアに近づき、肩に触れた。我に返ったレティシアは、小柄なエリシエルに無言のまま見上げられ、思わず一歩下がってしまう。
「っ……も、申し訳ありません。教官として不甲斐ないところを……」
「いえ。アウレリスの魔眼は、事前に知っていなければ熟練の魔法使いでも術中に落ちることがあるほど強力なものです……けれどロイド・フィアレスは、『あえて魔眼を発動させたのちに』対応しています」
何が起きたのかを理解しているのは、エリシエルだけではない。
言葉を発せずにいるリューネイアが、自らの胸に触れる。それは、自分が想像もしていない方向に感情が動いたからだった。
「……アウレリスは想定していたよりも強い。けれどロイドは、もっと底が知れない」
リューネイアの言葉に、四人の皇姫は息を飲む。
陣の上に浮かび上がった幻影には、振り返ったアウレリスとロイドが言葉を交わす光景が映し出されていた。
◆◇◆
アウレリスは一瞬だけ俺に強い瞳を向けたが、すぐに悠然とした態度に戻る。
「私たちの一族が、近年天人族と戦ったという話は聞いていませんが。あなたは、私と同種の魔眼を経験したことがあるようですわね」
「血晶術については、恐れながら多少の知識があります。しかし、上手く行くかは賭けでもありました」
「……謙遜もほどほどになさいませ。魔眼単体ではなく、血晶術との複合を行っていると理解し……あなたは後手でありながら完全な対応をしてみせた」
通常なら『魔眼を受けてから対応する』ことは不可能に近い。魔眼の影響を受けるということは敗北に直結するからだ。
「アウレリス殿下の展開した魔力……吸血鬼自らの肉体、あるいは魔力を霧状に変える特質。その霧に包まれた領域に影響を与える魔眼。それがどのような効果を及ぼすかは、殿下の瞳を見れば理解することができました」
「……魔眼を見ることの意味を理解しているのですか? 視線が合わずとも魔眼は効果を発揮しますが、直視すればなお抵抗の余地はなくなるはずです。普通であれば、それは愚か者のすることですわ」
「魔眼を破るには、目をそらすことをしてはならない。それが僕の個人的な結論です」
「っ……そんな力押しで、私の『紅刻眼』を破って見せたというんですの?」
魔眼の全てについて、その効果を一瞬で看破するということはできない。
しかしアウレリスの魔眼であれば、『目が合った後』『魔眼の効果が発動する前』その一瞬だけで、対処は完結する。
彼女の能力について明かせば、見ている全員に知られることになる。俺は会話がそのまま観戦者に伝わることのないよう、魔力を声に乗せることで内容をある程度隠蔽し、そして言った。
「魔眼を目にした者の連続した意識に、強制的な欠落を生じさせる。殿下の赤い霧に変化させた魔力が及ぶ範囲では、意識の欠落時間は延長され、『僕がアウレリス殿下に倒されるまで』効果は持続することになる。例え霧の中にいなくても、発動時の魔眼を見ただけで影響を受けるでしょう」
「……それをどうやって防いだのかと、恥を承知で聞いているのです」
「意識が欠落した間にも、予め魔法を使っていれば身体を動かすことができます。それに、アウレリス殿下は僕をただ一撃で倒そうとされた。その一撃を回避する行動を、魔力による身体操作に置き換えることは可能です」
――第一の護法、『
連続する意識に隙間を作られることで生まれる無意識。その空隙においても、俺は完全な無防備になることはない。
無意識の中でも身体が動くように、予め魔力で命令を与えておくことができる。そうすることで魔眼を見たことによって生じる催眠の影響は無視される。
「……私がどう動くかを完全に読み切っていたと言うんですの?」
「想定を外れる可能性はありましたが、その場合でも僕の身体はひとりでに動いたでしょう。糸を切られても動く人形……自動人形のようなものだとお考えください」
「人形……あのように私の攻撃を避けてみせて、それが予め織り込み済みであったものでしかないと、そう言うんですのね……?」
俺が自分の魔法について話せば、魔皇姫に屈辱と受け取られる可能性がある。
魔皇姫は俺を睨みつけている――その赤い瞳が細められ、憂いを帯びる。
「あなたは剣を抜かなかった。突進する私の力を、強い風にも折れずにしなる枝のように逃がしてみせた……『指一本も』触れることなく」
アウレリスの怒りの理由は一つ。俺が、あくまでも彼女を尊ぶべき存在と考えたままで、試合の舞台に立ったことだ。
「魔眼を破られた時点で私は一度負けています。しかし今だけは、あなたが膝を突くまではそのことを忘れましょう。最後に私が立っていればそれでいいのですから」
魔皇姫の衣服が、無数の小さな赤い蝙蝠に変化して、彼女の身体から離れ――そして、もう一度集まって違う形の衣服を形成する。
それは紛れもなく、皇姫が決闘に臨むための衣装。深紅のドレスを身にまとったアウレリスの両腕に、赤い文字が浮かび上がる――それこそが、血晶術の本領だ。
「あなたは門を開き、私の城に足を踏み入れた。いえ……入ってきてくれたと言うべきですわね。それがあなたにとって降りかかった災難でしかないのだとしても、私は……」
――是が非でもあなたが欲しくなりましたわ。
それを言葉にすると同時に、赤い魔力を纏った両腕を広げたアウレリスは、瞬きの間に俺の間合いの中に踏み込んでいた。
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