第二十九話 白い部屋

 幻影の荒野にも風は吹く。巻き上がる砂埃の中で、俺はジルドと対峙する。


 赤い魔力がジルドの幻体を包み、まるで全身が炎に包まれているかのようだ。感情の高ぶりで魔法が乱れることもあるが、怒りは攻撃魔法の威力を増幅させる。


 しかしジルドはそのまま感情に身を任せることなく、震えるような息をして一度は抑えてみせた。


「……三度で幻体を焼いてやると言ったな。あと二度だ。俺の炎指弾フレギスを防いだことは褒めてやろう。しかしロイド、この魔法は防げるか……?」


 ジルドの右手に赤い魔力が集まり、燃え上がる――その手を前にかざすと、魔法陣が展開された。


「煉獄で戯れる炎精よ……我が敵を追い、その影を地に焼きつけるがいい。『炎精召喚フレーガ・ロゼナ』……!」


 召喚魔法――魔力が限られている状況でも、一定の威力が保証される魔法を選ぶ戦術。


 炎精フレーガ召喚は上位魔法にあたる。魔法陣から炎の塊が二つ現れ、人と蛇の中間のような形状に変化したあと、炎の槍を振りかざしてこちらに迫ってくる。


「どうだ、防いでみろ! それともさっきのは運が良かっただけか、ロイドッ!」


 挑発は俺の注意を引きつけるためのものにすぎない。


「――炎精よ、『分かれろ』っ!」


 二体の炎精がさらに分裂する。前方に二体、分裂した二体は両の側方から。


 炎精が突き出した4本の槍が、俺を貫く――正確には、『俺のいた場所を』。


 《第一の護法 その気は近づくものを猛らせる――『残気』》


 炎精の攻撃には、ジルドの意志が忠実に反映されている――ならば。


 そこに俺がいると感じさせるだけの闘気を残してやれば、攻撃は誘導される。


「また……今度は消えただとっ……!?」

「――前ばかり見ていていいんですか?」

「っ……!?」


 ジルドは炎精の攻撃にばかり目を向けている。死角があまりにも広い――そこを突いて裏に回ることはさほど難しくない。


 振り返り、大きく飛び退くジルド。その顔は驚愕の一色で塗られている。


 ジルドの背後では、炎精がその熱量を失って消えていく。炎を炎の盾で防ぐこともできるが、水の魔力で相殺することでも消すことはできる――炎精の場合はその方法で対処する方がより有効だ。


「何を……何をした、貴様……この俺に、一体何を……」


 戦いの中で相手にそれを聞くのは、負けを認めることと何ら変わりない。


 生まれ持った魔力に任せ、強力な魔法をぶつけるだけで勝ってきたのだとしたら、俺の戦い方が理解できないのは仕方のないことだ。


「……これで終わりにしますか? それともまだ続けますか」


 ジルドの頬に汗が伝う。何を言っているのか理解できないというように、彼は唇を震わせ――ギリ、と歯を食いしばる。


「終わり……終わりか。そうか……」


 納得などしていない。するわけがない――分かっていても、こうしてここで向き合った以上は。


「ああ――終わりにしよう」


 ジルドの幻体に残された魔力。それが全て炎魔神に捧げられ、炎に変換されていく。


 赤の炎は怒りに染められ、黒に変わる――魔族は全ての魔法に、闇の属性を乗せられる特性を持っている。


「――炎の魔神よ、裁きの炎で全てを焦がせ……! 『業炎焦熱球フレギア・シュガル』!」


 ジルドの両腕が黒い炎に包まれ、それを俺に向けて突き出した瞬間、燃え盛る炎球に変わる。


 この距離でも、回避することは難しくはなかった。詠唱破棄、高速詠唱、術式変換などを習得しなければ、俺に攻撃魔法を当てる条件を満たすことはできない。


 ――だが、俺は動かない。迫る黒炎を前に、右手を差し出す。


「俺が貴様に敗れることなどありえない! グラウゼル侯爵家の力を見たか、ロイドォッ!」


 高らかに宣言するジルド。その声を聞きながら――俺は。


 三度目の詠唱を聞いたことで、ジルドが炎魔神の力をどのようにして借り、魔法を使っているのか。その解析を終えていた。


 《第三の護法 水面に映る月のごとく――『湖月』》


「――炎の魔神よ。今一度我が声に応え、その力を示せ」


 俺の幻体、その片手を包む魔力が赤く色づき――炎に変わる。


「な……っ!」


 ジルドは声が出せないでいる。彼の契約を、俺が『借りた』こと――それで魔法が発動したなど、簡単に受け入れられはしないだろう。


 魔族の闇属性に対抗するには、聖帝国の人々――聖族の持つ、神聖属性が必要となる。


 あるいは、天人族のごく一部――俺の妹が持つ光属性。


 そのいずれにも、俺は自分の魔力を変化させられる。


「――『業炎焦熱球フレギア・シュガル』!」


 右手には白い炎、左手には赤い炎。二つの炎が混じり合って打ち出された炎球は、ジルドの黒い炎球とぶつかり合い、せめぎ合う。


「うぉぉぉっ……ぉぉぉ……あ、ありえない……この俺がぁぁぁっ……!」


 魔法を立て続けに使って消耗していたジルドは、じりじりと下がり――そして幻体を維持できる限界が訪れた。


「――うぐぉぉぁぁぁっ……!!!」


 白い炎球が黒い炎球を飲み込み、ジルドのいた場所を突き抜けていく。さらに後方の岩を幾つか貫通してそれでも止まらず、荒野の彼方へと飛んでいった。


 少しやりすぎたか――いや、あれくらいでないと薬にはならないか。


 俺が消耗した魔力は、ほんの僅かな量でしかない。ジルドは俺を『魔力なし』と言ったが、あの橋を通れたこと、幻体を作れたことをそのまま受け止めていれば、認識を改められた可能性はあった。


 そもそも、あの橋の仕組みを理解していないということがありうる。俺たちは橋の途中で港に転移させられた生徒を見たから気付いたが、ジルドたちは目にしていなかったのかもしれない。


 いずれにせよ、試合には勝った。過剰な攻撃をした場合は減点ということにならないよう祈りたいところではある。


 そのうちに、目に映る全てが見えなくなり、黒に染まっていく。


 『幻影舞闘』が終わり、幻体から意識が離れようとしているのだと思った。


 しかし、俺の意識は自分の身体には戻らなかった。


 黒に染まっていた風景が再び明るくなり、違うものに変わっていく。


 俺はどこかの城の中のような、広い部屋の入り口にいた。俺の横を通り過ぎて、何人もの少女が歩いていく――それが現実でないことは、彼女たちの半分透けた姿を見ればわかった。


 聖皇姫、魔皇姫、竜皇姫、人皇姫。獣皇姫二人と――もう一人、鬼の角隠しをつけているのは、鬼皇姫なのだろうか。


 彼女たちは部屋に置かれた白い机を囲む椅子に座っていく。そして、俺を見る。表情までは、この距離ではうかがえない。


 なぜ、こんなものを見ているのか。俺は今、どこにいるのか。


 疑問に思う以上に――自分でもわけがわからないままに、奇妙な感覚を覚えていた。


 『幻影舞闘』に皇姫たちも参加したか、試験の一環で幻体を幻影闘技場に送り込むなどして、思念が残留しているのか。


 分からないことばかりで。けれどこの時間が、大きな意味を持つように思えて。


 ――そのとき、俺は。


 誰かが後ろに立っている気がした。それでも、どうしても振り返ることができない。


 何かを語りかけられている。すぐ後ろからのはずなのに、声は聞こえない。


 それでも、必死に耳を澄ませて。


 やっと聞こえた、かすれた小さな囁きは――ひどく懐かしいと、そう感じた。

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