第八話 天使の適性
フィアレス邸の裏、北に広がっている森は、奥の方に入らなければ危険な動物と出会うこともなく、いつも静かな場所だ。
カノンと一緒に来たことはあるが、そのときは数人のメイドが一緒だった。俺たちは遊んだりもせず、カノンは咲いている花や蝶などを見て興味深そうにしていた――俺はというと、森の奥から感じる強者の気配に胸が躍っていた。
強い魔獣は、訓練の良き相棒になる。彼らの中には知能が高く、魔力による感応で会話ができる者もいる――千年前に俺と心を通じた魔獣たちがいた場所は、今の時代はどうなっているだろう。
「……兄様?」
「あ、ああ。大丈夫、何でもないよ」
「けがを治すので、じっとしてないとだめです」
大樹の幹を背にして座ると、カノンが目の前に屈み込む。金色の髪が頬にかかるので、彼女はゆっくりかきあげて、俺の頬にある傷を間近で観察した。
「……線みたいになってる。血はもう止まってるけど、あとが残らないようにしたいです」
子供らしいあどけない口調と、丁寧な言葉遣いが交じる。
普段がどれだけ完璧でも、やはりカノンは七歳で、理知的な振る舞いが本来の姿でもあるというのは、少し違う。
「完全に消えなくてもかまわないよ。傷は勲章だからね」
「兄様はやんちゃすぎます。やっぱり、私が見ていないとだめです」
俺はやんちゃなのだろうか――と、ヴィクトールを投げ飛ばしたあたりは確かに言い訳できない。戦いということにおいてはつい血が熱くなるほうだ。
「……兄様が自分で治癒の魔法を使ったほうが、私より上手ですか?」
俺が全属性の魔法を使うというのも、さっき魔力感応をしたときに伝わっていたようだ。今は心の中が伝わってしまうことはないが、仮にも『護衛契約』を結んでいるので、これからはいつでも感応できてしまう。
誰にでも隠したいことはあるので、見せたくないところを見ないということは可能だ。カノンが俺をどう思っているかについては――正直を言うと、俺のほうが恥ずかしくなるくらいには感じ取れてしまった。
「治癒に関しては、僕よりカノンの方が上手くなると思うよ。僕も使えるけど、適性が高いわけじゃないんだ」
「適性……兄様の魔力の色が見えないって、ヴィクトールが言っていました。でも……」
「何か気になることがあったら、何でも聞いていいよ。せっかく仲直りができたんだから」
「っ……」
そんなことを言ったら、またカノンが頑なになってしまうのでは――というのは、心配のしすぎだった。
「兄様の魔力は、きれいです。何も見えないなんてことないです」
「そう言ってくれると嬉しいよ。ありがとう、カノン」
カノンは耳まで赤くなって俯いてしまうが、俺の顔を頑張って見ようとしながら言う。
「……私は、兄様にミューリア母さまをとられちゃうと思って……うらやましかったんです。兄様のことを、母さまはいつもいっぱい褒めているんです。マリエッタさんもです」
「そ、そうなのか……でも、僕はみんながカノンのことを褒めているのをそれ以上にたくさん聞いているよ」
「……兄様は、そういうとき、いやな気持ちには……」
「ならないよ。カノンが冷たかったときは切なかったけど、僕が兄としてまだまだだからと思っていたから……」
「そんなことありませんっ、兄様は……っ」
カノンが身を乗り出してくる――大樹を背にして俺はこれ以上下がりようがなく、妹に迫られているような状態になってしまう。
もちろん子供同士なのでこんなじゃれあいも問題ないのだが、俺の妹こそ、実はおてんばすぎるところがあったりしないだろうか。
「……兄様は、優しいです。私が子供っぽいことをしても、怒らなかったです」
「僕のほうこそ、カノンの考えてることを知りたかったのに、そういうのを出さないほうが大人みたいにしていて……本当にごめん」
なぜ、俺たちはもうお互いを許しているのに、謝りあっているのだろう――それはカノンも可笑しかったようで、口元を隠して笑う。
貴族の慣習でもあるが、皇家の人々もそうだった。アルスメリアは御簾の向こうでさえ、笑うときは同じように口を隠していた。
「……兄様?」
「ごめん、また別のこと考えたりして。ちゃんと目を見て話さないとな」
「ごめんなさいは、しなくてもいいです。でも、兄様の考えていること、ときどきでいいから、良かったら教えて欲しいです」
そう言って、カノンは俺の頬に手を当てる。
治癒魔法は、間接的ではあるが魂魄に干渉する魔法だ。魂魄は肉体を形作る雛形であるため、例えば怪我をしたときも、魂魄が肉体を形成する過程に魔力で干渉することで、再生を早めたり、あるいは治らない病気や怪我を治すこともできる場合がある。
俺も治癒魔法を使うことはできる。しかし俺の魔力は全属性に対応できる特性を持つが、何かに特化しているわけではない。
カノンの魔力は光系統に属する――光系統は治癒魔法を扱う適性が高い。最高の適性ではないが、現時点でも治癒魔法を扱う資質は目を
「……お願い、きれいに治って……」
高位の治癒魔法には詠唱が必要だが、カノンは願うだけで治癒の効果を発現できる。屋敷で飼っている犬が怪我をしたときも、カノンは『治ってほしい』と願いながら付き添っているだけで治療できてしまった。
その彼女が、俺の傷に指を触れるか触れないかのところでなぞらせれば――かすかに続いていた痛みは消え、ただくすぐったさだけが残る。
「……よかった。上手にできました」
「ありがとう、カノン」
「これからも兄様がやんちゃをして怪我をしたら、私が治します」
もう『ロイド』から『兄様』に呼び方が変わっていることを、改めて聞く機会も過ぎてしまった気がする。
「あっ……やっぱり、怪我をするのは駄目です。兄様が危ないことをしたら、私が守ります」
「じゃあ僕は、カノンが大人になるまでしっかり護らせてもらうよ」
「……私の方が兄様を守りますっ」
カノンは譲る気がないようなので、俺は妹の気持ちを尊重することにした。カノンが危ない目に遭わないのが一番いいが、できるだけ傍で見ていて護ってやりたい。
転生したアルスメリアを探し出せるその日は、まだ遠いように思える。それまでに俺がどうやって生きていくか――やはり『護衛』として生きることが、最も俺らしいと思える。
「さて……ヴィクトールのこともあるし、一度屋敷に戻ろうか」
「はい。きっとお母さまなら、お話しをちゃんと聞いてくれます」
ミューリアに心労をかけなければいいのだがと思いつつ、俺は倒れているヴィクトールを見やる。起きた後にはそれなりの罰を受けることになるだろうが、それは甘んじて受けてもらいたい。
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