第一話 婚約者候補に拒否られました⑥


 『ぼ、僕はベルトリオ・メルキオルニ、メルキオルニ侯国の第三王子なんだ』


 私は私の両側に立っていたロヴィーサとファンヌに手で合図して一歩下がらせると、利き手に持っていた訓練用の模造剣を持ち替え、利き手でこぶしを作り、それを胸に軽く押し当てて軽く首を垂れる。ログネルの騎士礼の一つだが、ログネルの王族にするものではなく、他国の者に行う略式礼になる。まあ、他国の者がログネルを公式訪問などした場合の、会談とかのあいさつならば、略式ではなく正式礼を行うが、今は公式の会談ではないため、略式でよいだろう。礼をしながらちらりと左右に視線を走らせると、ロヴィーサもファンヌも略式での礼を行っていた。


 『・・・失礼致しました。メルキオルニ侯国の第三王子殿下とは知らず、失礼にもお許しが出る前に話してしまいました。申し訳ございません』


 『あ、ああ、気にしないでくれよ、僕が勝手にな、名乗らないで話しかけたんだ。し、失礼だなんて、思ってもいない』


 『・・・寛大なお言葉、ありがとうございます』


 私の堅苦しい言葉を窮屈と感じているのだろうか。


 『皆、面を上げてくれ。顔を上げてくれたなら、話もできると思う』


 『・・・わかりました』


 『・・・顔を上げてくれたなら、ぼ、僕の、お、お願いも、聞いて、も、もらえないだろうか・・・』


 見ると第三王子が顔を赤くしていた。


 『・・・お願いですか?』


 許しがなかったが、思わず尋ねてしまう。


 『あ、失礼致しました、許しがないのに話してしまいました』


 『あ?あ、いや、その、えーと、も、問題ないよ、た、対等の立場としては、話してほしい。そ、そなたはが、学生であって、メルキオルニ侯国の臣ではない。普通にが、学生同士としては、は話なして欲しい』


 『・・・畏まりました』


 私が再度略式礼をし、すぐさま頭を上げる。そして先ほどの言葉の意味を尋ねる。


 『それで、私にお願いとはどういう事でしょうか?』


 『・・・』


 『?』


 顔を赤くして硬直したまま立ち尽くしているようだ。


 『・・・どうかされましたか?』


 『・・・あ、あっと、えっと、そ、その、あの・・・』


 口を開くが、私を見ることなく、左右や上を見たり下を見たりして、なかなか話そうとしない王子に私は軽く威圧をかけるような、目の笑っていない笑顔を見せる。


 『お早くお話しいただけませんでしょうか?そろそろ身体が冷えてしまいそうで、お願いの中身をお伺いして、返事は後日ということにして、早く寮に戻りたいのですが?』


 私の言葉に、私を見た後、視線をそらしてから、一度大きく深呼吸した第三王子は、汗をだらだら流しながら、顔を俯かせて口を開いた。


 『・・・そ、そなたに、け、剣術を、お、教えても、貰いたいのだ!』


 『・・・はあ・・・?』


 ええっと?剣術を指南する騎士とか、メルキオルニ侯国にはいないのかしらね?


 正直なところ、私の感想はそれだった。まあ、求婚を断ってからは、あの訓練場の出来事はベルトリオ・メルキオルニ王子の芝居の一部だったことが判っている。王子はわざわざ私と一緒に過ごすために自分が下手だという剣術にかこつけて、私との時間を持とうとしたのだろう。確かに王子の言う通り、剣の腕は使い物にならないモノで訓練したとしても上達は望めなかった。それはメルキオルニ侯国での訓練で判っていたはずだった。手厳しいカイサの言う通り、私の気を引くための芝居だったのだろう。だが、彼の真意はどこにあったのかわからないが、私を気に入ったことだけは正しいのだろう。


 ベルトリオ・メルキオルニ王子のお願いは結局、聞き入れることにし、数か月私は早朝の数時間を、彼とともに過ごした。ちなみに、早朝の訓練は専属侍従と男の専属護衛が付いてきた。


 そして王子と親しくなったと思った私は、つい気が緩み、自分のことを話してしまった。


 曰く、今は留学して学年にいるが、卒業すると同時にログネルに戻り元の仕事にまた就くこと、またログネルに戻れば、多分親の決めた結婚相手に引き合わされて、政略結婚をするだろうこと、ただ留学中に気に入った相手ができれば親に引き合わせろともいわれていること、を早朝訓練中の休息時に、話のタネになればと思って話したのだった。


 それからだった。急にベルトリオ・メルキオルニ王子は口が重くなり、訓練を再開した後ミスを連続して私の剣を体中に受けて、ついに立ち上がれなくなったほどだった。一緒に訓練をするようになったとき、多分王家の侍従だろう人物二人と連れ立ってきていたが、倒れて起き上がれなくなったときは、侍従二人が助け起こして戻って行った。

 ちなみに、王子は緊張すると吃音になるそうで、私と初めて会ったときは、緊張のあまり吃音がひどくなっていたそうだ。打ち解けないと吃音でうまく話せないらしい。その吃音で人と話すことは好きではないと言っていたが、私とどうしても話したかったために勇気を出してよかったと、訓練の合間の休息時に笑って話してくれたことがある。微笑ましいなどとその時は思ったのだが、カイサをはじめとする専属侍女とロヴィーサをはじめとする護衛たちは王子の魂胆が分かっていたようだ。私の危機になったときは助けるつもりだったが、極力手を出さずに見守れと私の親から命じられていたようだ。あの求婚を断った後、世間知らずすぎると、カイサとロヴィーサに他人の魂胆についてこんこんと説明されて、私は相当落ち込む羽目になった。


 訓練で倒された次の日、訓練場に来ると、王子が正装して花束を持って立っており、その場で花束を手渡され、求婚された。


 初めてのことで混乱した私は、動揺しまくってしまった。笑うことはできても、言葉が出てこないのだ。ただただ私はベルトリオ王子にこわばった笑みを見せるだけだった。


 何も話せなくなった私の様子に、見かねた私付きの侍従マテウス・ビルトが冷静な調子で後日改めて求婚の返事をすること、もしお嬢様が求婚をお受けになるのなら、ログネルのしきたりに従って、長子になるお嬢様の婿となるためにログネルに来てもらうことを話した。その時のことを思い出すと、王子はただただこわばった笑みを見せる私を見つめて悦に入っているようで、マテウスの言うことなどほぼ聞いていない様子だった。


 私は私で、何も言葉にすることはできず、その日は訓練をすることもできず、花束を抱えて寮に帰り、結局のところ学園の授業にも欠席してしまったのだった。


 実のところ私は求婚を受けるかどうかで丸一日悩んでいたのだが、私の専属侍女や侍従たちは即日ログネルに急使を送り、両親の考えを確認していたのだった。そして、両親の答えが来てから返答するようにとカイサやロヴィーサに説得され、結論を出せなくなっていた私は一も二もなくその意見に従うことにした。なんせ初めての経験で全然頭が回らないし、出会って数か月にしかならないのに求婚をされたので、相手のこともあまり知らない。好ましいと思うより、当惑が先に立っていた。


 一度王子と会って、すぐには結論を出せないこと、だが必ず答えるのでもう少し待って欲しいと、伝えたが、マテウスが当日話したことを思い出した者が居たのだろう、自国の返答が来ないまま、私はメルキオルニ侯国の第三王子ベルトリオ・メルキオルニとしての呼び出しを受けて話さなくてはならなくなったのだった・・・。


 幼馴染で、専属侍女で、ログネル王国マイエル男爵家の貴族令嬢であるエレン・マイエルが音もなく私の前にお茶を置いた。私は今朝早く届いた手紙に目を通していた。


 あれから三日が経っていた。昨日は王子が居たら極まりが悪いなと思いながら、恐る恐る早朝の訓練所に赴いたが、もう王子は現れなかった。一時は本人や取り巻きに襲撃されるかもと考えていたために拍子抜けしたが、そんな私を見たカイサは、気を抜くなと釘を刺してきた。執着しないとも限らないからとの言葉に、それで周りが納得するのならと、受け入れることにした。

 しかし今のところそういう気配もないようだ。このまますっぱりと諦めてくれるとよいのだけれど。


 「・・・お嬢様」


 「・・・うん、なあに?」


 私は読んでいた手紙から目を上げて答える。エレンの改まった呼び方にエレンは今侍女の立場で発言したのだろうと思った。


 「・・・ご両親はなんと?」


 「・・・そうね、前にカイサが言っていた通りのことを書いて来たわ。ただ、私が良いならメルキオルニ侯国に行っても良いとも書かれているわ、何事も私次第ということみたいね」


 「・・・左様ですか・・・」


 珍しくエレンの歯切れが悪い。


 「エレン、・・・どうしたの?」


 少々暗い表情のエレンがためらいながら、口を開く。


 「・・・お嬢様は家を継ぐのが嫌になられたのでしょうか?」


 ああ、心配させたかと、思った。幼馴染でほぼ一緒に過ごし、さらに我儘な私に仕えることを選んでくれたエレンに申し訳なく思った。だけどね、最悪なことは考えなくてもいいよ。


 「・・・いえ、そんなことはない。私は長子、ログネルのしきたりについてはわかっています。私のことを尊重してくれる方なら、私がログネルに帰ることも分かってくれると思ってる」


 「・・・はい、そうですね・・・」


 私はエレンが入れてくれたお茶をゆっくりと口に含む。寮の裏庭に面したテラスは、草木をさわさわ鳴らして柔らかな風が吹いている。その風に吹かれて、私は、できれば一緒になる人とは分かり合いたいなと、ふと考えた。


 わかりあえた二人が微笑みあいながら、こんなテラスでお茶できたら。


 少々強くなってきた午後の日差しの中で、私は一瞬だけお互い笑いあう私たちの幻を見たような気がした。


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