第18話 結婚についての妄想

 ルルタも侍女になるまでは、若い娘らしく結婚に対する漠然とした憧れを抱いていた。

 中流階級の女性にとって、一生のうちで自分が生きる環境が劇的に変化する出来事は「結婚」くらいだ。おのずと結婚に対して夢を見、希望を託すようになる。

 だが今は、「後宮に……シャナラのそばにいるという望みをかなえる方法」として結婚を考えるようになっていた。

 

(この人と結婚すればずっと後宮にいられる、っていう人と結婚できないかなあ。そうすれば母さまも『結婚結婚結婚結婚結婚』って言わなくなるだろうし)


 だが、「妻を無条件で後宮にい続けさせることができる」という地位や権力を持つ人間が、平民の娘であり、容貌も能力も平凡な自分を見初めてくれる、そんな絵巻物のようなことが起こるだろうか。

 後宮に上がる前に、何度か婚約の話や求婚の申し込みが来たことがある。もちろん好意や恋心からではなく、父親の財力や後ろ盾を求めてのことだ。

 だからかもしれないが「結婚」というものに漠然とした憧れを抱いていていても、いざその相手を思い浮かべようとしても霞が固まったようなモヤモヤした人物像にしかならない。


(ちょっと話した程度じゃあ、相手のことなんてわからないもんなあ)


 今までは「結婚とはそういうものだ、それが当たり前だ」と思っていた。だが今は何故か「相手から一方的に選ばれること」が理不尽なことに感じられる。

 自分の内心の変化が何によって起こったのかわからないまま、ルルタは未来の結婚生活を思い浮かべてみた。

 以前と同じようにモヤモヤした影のようなものが浮かんでくる。

 だがこれまでとは違い、影の輪郭は自然と鮮明になっていき、あれよあれよと思う間に見慣れたほっそりとした姿に変化した。

 長い黒髪に青い瞳を持つその人は優しい眼差しでルルタを見つめて「ルルタが作ったパタ茶にも慣れた、これはこれで悪くない、ずっと飲みたい」と言って笑ったり、故郷の美しい風景や部族の風習について熱心に語り「ルルタもきっと草原が気に入る」と頬をうっすらと染める。

 自分の想像の世界に浸りきり「どこまでもお供します」と呟きかけたところで、ルルタは不意に我に返った。


(はわわわーーっ! だ、だ、駄目! 駄目駄目駄目っ、駄目ーーーっ!! シャナラさまは陛下がご寵愛されるお妃さま、雲の上のおかたなのよ! そんなとうといかたを、け、結婚相手として妄想するなんて……! な、なんて畏れ多い)


 ルルタは自らの妄想を振り払うために、頭をブンブンと勢いよく振る。


(そ、それはシャナラさまはとてもお優しくてお美しくて、何でも出来て、お話ししていてとっても楽しくて、ずっと一緒にいても全然飽きなくて、それどころかもっと一緒にいたい、出来れば一日中おそばにいたい、もうこの先ずっと一緒にいたい、陛下が羨ましい! 私も陛下になりたい! って思うけれど……け、結婚なんて! シャ、シャナラさまと結婚……できたら、もし結婚できたら……あああーーーっっ! じゃなくて、そうじゃなくて! ……そ、そう! そうよ、ルルタ! 第一、シャナラさまは女性、女性なのよ! そ、それなのに……何を考えているのよ、しっかりして、ルルタ!)

「ルルタ、大丈夫? どうしたの?」


 気遣わしげなユンカの声で、ルルタはようやく我に返る。


「妄想の世界に入っちゃっていた」

「そうだよね、顔を真っ赤にしてはわはわしていたもん」


 ルルタはユンカのほうへ上半身を傾け、耳打ちする。


「ごめん、ユンカ。先に抜けていい? 母さまに返事を書いちゃいたいんだ。遅くなると勝手に話が進んでいたりするから」

「うん、監督の人が来たら適当に誤魔化しておくから大丈夫だよ」


 ルルタは礼を言って立ち上がり、辺りを見回して食堂から抜け出す。

 本来は食事の終わりを告げる終礼までいなければいけないと規則で定められている。だが、年配の侍女がなかなか食事にやってこないなどの理由で時間が長くなった時は途中で抜け出す者も多い。

 余りに頻繁にいなくなる者は叱責を受けるが、多少ならば監督を任されている侍女も黙認してくれる。

 ルルタは大食堂から目立たないように抜け出し、回廊を歩いて自室へ向かった。


 ※※※


 夜になると両端の壁につけられたランプに灯りがともされるが、それでも昼間とは比べ物にならないくらい暗い。


 長い歴史を持つ宮廷には、嘘か真かわからない数々の不気味な伝承があり、宮廷人たちが集う社交界でも侍女たちのあいだでもよく話されるよもやま話のひとつになっている。

 王の寵愛を独占していた側妃が、王の死後、生きたまま後宮の壁の中に塗り込められ、夜中にはそのすすりなく声が聞こえるとか。

 宮廷が建てられた時に脱出のための地下道を掘った人足たちが外に出れなくなり、未だに地下を掘り進めているとか。

 王位継承争いのために井戸に投げ込まれて殺された王子がおり、夜中に井戸に行くと中に引きずり込まれそうになるとか。

 大勢でいる時は他愛もない噂話としか思わなかったものが、暗い宮廷に一人でいると本当にあったことのように感じられてくる。


(考えない、考えない。全部作り話なんだから)


 そう気持ちを励まして、ルルタはところどころに闇がわだかまるシンと静まり返った廊下を一人で進む。

 ふと。

 少し先の薄暗い部分で何かが動いたような気がした。

 ルルタはビクリと震え、反射的に足を止めた。


(な、なに?)


 怯えてジリジリと後退りしようとした瞬間、そこから誰かが飛び出てきた。


(!!)


 ルルタは恐怖の余り、ありったけの声で叫ぼうと口を大きく開いた。

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