第5話 いいこと思いついた。

 慌てて拝礼しようとしたルルタの動きを制するように、マーリカは口を開いた。


「ルルタ、きちんと寵妃さまに仕えていますか? 何か不自由はないですか? 一人で行き届かないことは?」

「その……」


 ルルタは思い切って言った。


「マーリカさま、寵妃さまは、私一人だけのお世話ではご不満ではないでしょうか。後宮に来たばかりだし、あんまり気もきかないですし、そそっかしいし……」

(ううっ、自分で言ってて落ち込んできた……)


 マーリカは感情が窺えない淡い水色の瞳で、ジッとルルタの顔を見つめる。

 ルルタがそわそわと身動ぎを始めるくらい、その眼差しは鋭かった。


「あなたが寵妃さまをお世話することに、特に支障は感じていないのですね? このまま一人で続けられそうですか?」


 いつになく強い口調で問われて、ルルタは戸惑う。


「わ、私は、そ、その頑張りますが、寵妃さまは……」

「寵妃さまからは、特にご不満は……何のお言葉もありません。世話係は少なければ少ないほどいい。それだけです」

(それだけかあ)


 シャナラは自分の働きに何も興味がない、というより、ここにではないどこかに心があり、いま現在の後宮の生活にはほとんど関心がないことはわかっていた。

 それでも、「シャナラからは何も言葉はない」という言葉は、ルルタを落胆させた。

 そんな内心が露骨に出てしまったのか、マーリカの表情が微かに強張った。


「ルルタ」


 思わず身体を硬直させたルルタを、マーリカは厳しい口調で諭す。


「主君に何かを求めるなど、心得違いもはなはだしいですよ。相手がどんなかたであれ、どんなご様子であれ、ただ己のやるべき務めをこなすことが侍女に求められることです。わかりましたね? 余計なことはしないように」

「……はい」


 小さな声で呟くルルタを見て、マーリカは珍しく語調を和らげた。


「あなたはよくやっている。これまで通り、務めればそれで十分です。この役目を務めあげた暁には、あなたの将来は後宮の名において保証しましょう」


 マーリカの言葉に、周りの侍女たちから羨望の吐息が漏れる。

「後宮によって身元が保証される」

 それは女性として最高の品格と作法を身に付けている、と箔付けされたと同義だ。高位の貴族、運が良ければ王族に連なる者から妻に、と望まれてもおかしくはない。

 だがマーリカの言葉も、ルルタの心を浮き立たせはしなかった。



 この夜は、国王であるエルシドからの要望に応え、シャナラは自分の部屋から王の私室へ向かった。

 妃が王の要望に応えて、寝所へ向かうことを「渡り」と言う。

「渡り」はその準備も含めて、妃付きの侍女にとっても、侍従にとっても一大事だ。

 どの妃が王に寵されるか、子供を産むかで、権力の構図がガラリと変わる。後宮の勢力図が表舞台の権力闘争につながるため、というよりはそのものであるため、「渡り」の頻度は単なる色恋の範疇には収まらない。政治的な重大事だ。

 王が寵愛する妃に仕える者たちは、時に大貴族や高位の官僚をしのぐ権力を持つ。


 本来であれば、「渡り」は二、三人の侍従が先導し、十人近い侍女が付き従う。「王の求め」という権力を誇示する意味もあるため、その行列は華々しいことが多い。

 だがシャナラの「渡り」は前国王の時代から常に簡素で密やかであり、もっぱら侍従長が先導し、マーリカが付き従うだけだった。


 侍女たちは、渡殿わたどのを歩き王の私室へ向かうシャナラを、拝礼をして見送る。


「今日のお召しものは、黒の長衣に真珠色の薄羽織だったわね。ちょっと地味かなあと思ったけれど、シャナラさまが着られるとむしろ華やかに見えるから不思議よね。お美しかったわあ」


 回廊の奥へシャナラの姿が消えるのを見届けると、ユンカはうっとりとして言う。


「青玉の髪留めもよくお似合いだったわ。シャナラさまって、やっぱり青が似合うのよね」

「あの髪飾り、陛下からの贈り物よね。検品したのを覚えているわ。いくらするんだろ」

「やだあ、キラったら。お金のことなんて言わないでよ。夢が壊れるじゃない。そりゃあお金だって大事だけど、ねえルルタ……ルルタ?」


 ユンカから軽く肩を揺さぶられて、ルルタはハッと我に返る。


「え……? な、なに? 夕食の話?」

「やだ、ルルタ。お見送りをしながら、ご飯のことを考えていたの?」


 あんなに幻想的で美しい光景を見ていないだなんて、とユンカは嘆く。

 キラも呆れた口調で言う。


「しっかりしなさいよ。仮にもシャナラさまの一の侍女でしょ? 主人が何を着て、どういう様子かを見るのも仕事のうちじゃない」


 ルルタは誤魔化すために、へへっと笑ってみせた。


 だが心の中は、先ほどみたシャナラの美しさでいっぱいだった。遠目で見たシャナラの横顔は、内心の感情が一切浮かんでおらず、冷たい彫像のようだった。青い瞳は生命のない硝子玉のようで、ここではない、どこか遠くを見ているように見えた。

 部屋にいる時も、シャナラはいつも同じように遠くを見ている。時間があれば、生まれ故郷の東方世界のことや、その言語で書かれた本を読んでいる。


(シャナラさまは……ふるさとに帰りたいのかな。それでお寂しいのかな)


 シャナラの故郷は、遥か東にある。隊商が長旅に備えて隊列を組み、何十日とかけて通る道のりだ。とても女性一人で行ける場所ではない。

 シャナラが故郷に戻ることは、もうないだろう。

 

(せめて、シャナラさまの故郷のことを知っている人がいて、その人と話でも出来れば慰めになるんじゃないかな……。うん……?)

「そ、そうだ!」

「え? な、なに? ど、どうしたの? ルルタ」


 突然、ルルタが大声を上げたので、ユンカとキラが驚いて振り向く。

 ルルタは大きな茶色の瞳を輝かせて、呆気に取られている二人の手を取った。


「キラ、ユンカ、書庫に行こう」

「しょ、書庫?」

「あんた、夕食は? どうするのよ?」

「そんなの、後でいいよ」


 ルルタは、満面の笑顔で二人に言う。


「急がなくっちゃ! シャナラさまがお戻りになるまでに出来るだけ調べたいの」

「ちょ、ちょっと、ルルタ、どこへ……」


 二人の声などろくすっぽ耳に入っていないかのように、ルルタは廊下を歩きだす。辺りを見て誰も見ていないことを確かめると、書庫に向かって駆け出した。

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