第4幕 さいたま2000
「えっ、私!?」
敗北に打ちひしがれたまま時は流れゆきたり。授業を受けた記憶がないまま、気付けばホームルームの時間になっていた今日のことだった。こいついつもホームルームしか記憶にないな。次のテストもレッドポイントが見えてくる。登山用語で二回目以降の挑戦で登りきる意味らしい。要するに補習ということだ。
「えっと、演劇もお化け屋敷も出てて……」
周囲から聞こえる喧騒をBGMに、窓の向こうの雲をぼんやりと眺めていた。そんなとき、聞き慣れつつある声がカクテルパーティーの中から耳に飛び込んできた。
「……サーカス、とか?」
意識をクラスの中に急いで戻すと、案を促されたのか恐る恐る提案をしているクラスメイトがいた。厄介なファンだった。深山美史だった。
書記係の生徒がその文字を黒板に書くと、もぞもぞと席についた。教室の空気がザワつく。文化祭にあんまり詳しくない自分だが、それでもサーカスなんて提案がされるのはレアなことくらい分かる。票が入るのは難しそうだな。
呆れと蔑みを混ぜた目でその後ろ姿を見ていると、こちらを振り返り両手を合わせてきたので、お返しにサムズアップを逆さまにして返してやった。
その後も、黒板に書かれているもの以外にもいくつか案が挙がる。
印象的だったのは、飲食店をするには保健所の許可が必要で、そのためには検便を提出しないといけないと担任に言われたことだ。それ以降、女子全員の圧力で飲食店案が軒並み却下されたことだろうか。そうだな、女子は妖精さんだからウンコに行かないもんな……。
他にはメイド喫茶と提案した勇者な男子が、それも飲食店扱いだということで女子から却下をくらい、それはもう漢泣きに泣いて抗議していたのにはとても胸を打たれた。最終的に、クラスの女子、言いたいことを言う方のポイズンこと今旗に「死ねうんこ野郎」とボソッと言われて泣いて喜んで幕を閉じていた。マゾが最低二人いる教室が怖い。
やがて多数決で意見はまとまり、先生の号令とともにホームルームは終了した。
放課後が訪れ、皆が帰宅や部活の準備を始めるなか、こちらを見る深山美史を手招きする。席が一番後ろのなので、少し広めのスペースを確保して深山と向かい合う。
「殿、お呼びでしょうか。あ、ログインボーナスはこちらです」
平身低頭でやってきた武士みたいな女の手のひらにはきえちゃうキャンディ。舐めると色が変わる占いキャンディーらしい。開けてみると緑色。どうやらハズレらしい。口の中に放り込むとマスカットの青く甘い味が溶け出していく。ハズレのくせに美味しいじゃねえか。当たりだな。
「どうかされましたか、殿」
「まず第一に殿じゃねえよ」
「……姫?」
「……すぞ」
「わー、嘘です嘘ですごめんなさい 殺人 懲役 で検索しないで」
殺人は基本的に執行猶予は付かないのか。また一つ賢くなった。覚えておこう。別の手段を考えないと。
「どうぞ、お話を続けてください」
「第二にあれはなんだ」
「あれとは」
「サーカスだとかほざいたことでございます」
「殿のお怒りごもっともにござる」
サーカス案は勿論却下された。票が全く集まらず、演劇に決まった。何故サーカス?というみんなの心に全く届かない空気感のまま得票数2でフィニッシュ。あと一人は田中さんだった。
演劇の演目は未定。完全に見切り発車。高校の文化祭ってこんなに雑なものなのか?
納期も予算もプログラムも人員も組まないで進むの怖すぎる。うちの小心者代表の副団こと糸又さんが聞いたら卒倒して気絶しながら全ての手配を始めてしまいそうだ。
「嫌がるだろうなぁとは分かってはいたでおじゃるが、つい追い詰められてしまい、ドロリと口から願望が出てしまいました。お詫びに切腹します」
見えない刀をお腹に突き立て、その場に倒れて苦しむふりをする女。しばらく黙って見てると、介錯、介錯と囁かれる。見えない刀を引っこ抜いて、首を斬ってやるとそのまま力尽きた。
「これが噂の関西伝統芸か」
一応拍手を送る。立ち上がり一礼される。指で作った銃で撃ってみる。胸を押さえ血が出てる(出てない)ことを確認するともがき苦しみ助けを求めるようにこちらに手を伸ばし再び倒れた。
こいつなら演劇の舞台に立たせても大丈夫だな。
「で、何の話だっけ」
蘇り立ち上がったゾンビ深山は記憶を失っていた。
「別に案出すのは人の自由だからいいんだけどさ、通ったらどうしてたわけ?」
「そりゃあもちろん」
「まさか俺を宛てにしてないよな?」
「いやー、そんなことないですヨ?ええはいまあちょっとしか」
深山は俺から視線を外し床を見つめ誤魔化している。
採用されなかったからよかったものを。
俺は今はもうサーカスしてないんだって言ったはずなのに。
「だってぇ、好きなものって自分でもやりたくなるのって自然の摂理じゃないですかー」
「要するに何やりたいんだ」
「私の必殺十丁ブランコで全校生徒を啓蒙してサーカス沼に叩き落とすプランが台無しです」
「ブランコ多いわ絡まるわブランコから叩き落とすな必殺するな」
ナイスツッコミと、飴ちゃんを追加で渡される。何故か時々、こっちに馴染んだかツッコミ確認テストが始まる。西は怖い。きえちゃうキャンディーかなり美味しいなこれ。
「そもそもブランコやったことあるのか?」
「近所の公園で。立ちこぎも出来ます……」
「じゃあステージで立ちこぎやってもらうか。靴も飛ばしておくか?」
そもそも、空中ブランコなんざ設備もなければ練習の時間もないし、素人がやるなんて危険極まりない。学校側が許可するはずもない。
「それでもピカ様が教えてくれれば、きっとどんな空も飛べるはず!私空を飛んでみたい!!」
「おいお前二度とピカ様言うなよコラかみなり落とすぞ」
ナイスノリツッコミと、追い飴ちゃん2個。またハズレだ。ラッキー。ラッキーでもハピナスでもない。結構嫌いなあだ名なんだよなぁ。そういえばこいつ、ピ……って何度か言いかけてたな。
花籠光宙。それが俺の名前である。
光宙という名前は、残念なことに今や全国的に有名な名前の一つだろう。それは俺が有名というわけではなく、ピカチュウ君が有名なわけだけど。キラキラネームが広まった象徴的な名前だ。一方で俺はミツヒロ。今までこの名前で散々ピカチュウピカチュウとイジられてきた。とんだとばっちりだ。名付けた親父は殺す。なんなら親父が一番イジってきた。親父は絶対に殺す。お前が付けた名前だろうが。空中ブランコしている俺を空飛ぶピカチュウ扱いしやがって。
ちなみに向こうの俺の部屋にはピカチュウのぬいぐるみが沢山ある。客席のファンからたまに投げられたりするからだ。それ以外にもピカチュウグッズがたくさんある。初めてそれを受け取ったとき、ピカ様と呼ばれていることを知ったあの日、俺は全ての恨みを拳に乗せて親父に殴りかかった。喧嘩に負けて、次の公演でピカチュウのTシャツ着て舞台に立たされた。そして名付け親に気を遣って呼ばなかった団員たちが俺を一斉にピカと呼び始めた日でもある。
いつか必ず親父に恥をかかせると心に決めている。
「とにかく、俺が元サーカス団員ということは秘密ということでよろしくお願いします。関わりたくないので」
手を合わせて頭を下げる。改めて今一度、周囲に聞こえない程度には小声で、深山にはしっかり届く程度には力強く頼み込む。
「あの、出来ればもう少しときめく感じでエッチにお願いできますか?」
何でお前が要求する立場なんだよ。
恥も外聞もないのか。
「俺とお前、二人だけの秘密だから誰にも言うんじゃねーぞ。じゃないと、お仕置きするから」
台詞を囁やきながら壁にドン。されるやいなや、ふぉぉぉぉぉと珍妙な叫び声をあげてみせると、鼻血を吹き出してバタンと倒れてしまった。奇行が過ぎる。怖い。少なくとも二光年くらいはこいつと距離を取りたい。ネタかどうか分からないんだよ。
「ミフーがまた倒れた!」
教室で他の友達、為近とのおしゃべりに興じていた浅利が、ダウンした死体の回収にくる。俺はキルリーダーに選ばれました。
「また五分以上おしゃべりして。推しの過剰摂取は命取りってあれほど言ったでしょ」
「し、師匠。でも、尊いんや……尊かったんや……」
「尊み深よし……」
為近もやってきて、深山のもとにシャゲダンしながらそう呟いた。意味が分からない。
「それなのだ信長」
と、浅利。やはり意味が分からない。
「それはよ言え康」
と、再び蘇るゾンビ深山。
イエーイと女三人でハイタッチをしていた。最後文脈繋がってないだろ。というかお前元気じゃねえか。なんだこの茶番。
イマドキのJKは本当に理解できない。
白けた目を向けると、それに気付いて死んでいることを思い出した深山は、ばたんきゅ~と死に際の一言を、それはもうわざとらしく言い残して息を引き取った。本日三度目の死亡。この女、一時が万時ふざけ倒している。ネタのために必死すぎる。
なんとなく、変な展開に巻き込まれた苛立ちもあった。単に叩いても喜ばせるだけだという学習もあった。だから、倒れた拍子に服が少しめくれ露わになってしまった、その白く綺麗なお腹をペチンと叩いてみた。
やにわにものすごい勢いで深山が体勢を起こした。それに驚きこちらは隣の求名の机に抱きつくように避難する。
「セ、セクハラ!エッチ!」
そんな背を向けてしまった俺の尻をバスンバスンと叩いてくる。何度も何度も叩かれる。そのとおりではあるので甘んじて受け入れる。ハリのある滑らかな肌の感触は手のひらにまだ残っていた。
「仏頂面!ムッツリ!特殊性癖!」
「ハーレム!ラブコメ!主人公!」
何故か為近と浅利まで野次で参戦している。しかも罵倒が的確にムカつく。
「おい残り二人は違うだろ。やるなら参加料として同じように腹触らせろ」
言うや否や豪雨の如く勢いを強め、俺の尻でさいたま2000が始まった。ドンはともかくカッはやめろ骨盤を狙うな。
これにはたまらず逃げ出すことにした。なんか途中から一人、叩くというか撫で回してるやついたし。誰か分からんが人の尻でmaimaiをするな。それこそセクハラだろ。
求名の机を障害物にするように三人と相対する形となったが、しかし人数的に分が悪い。逃がしてたまるかとヒートアップした尻叩きマシーンたちは、しつこく回りこんでは追いかけ回してくる。これにはもう降参だ。
慌てて自分のカバンを掴むと、教室から飛び出して扉を勢いよく閉めた。
振り返ると窓の向こうで為近と浅利は姦しく笑っている。一人は顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいたが。その他の生徒も笑っていた。
ようやく一息ついた。
なんだか二学期になってから、毎日が騒がしくなった気がする。深山とも流石にここまで話をすることはなかった。どうしてこうなったのだろう。
だけど、それが不思議と心地よく感じてしまう自分もいる。だからこそ、身体の、いや心の奥底から心地悪さがより一層滲み出してくる。
葬式から1ヵ月くらいしか経っていないのに、もうこうして楽しく生きようとしている自分が嫌になる。誰も責めたりしないけれど。
もう一度タメイキ。
その後、相棒の自転車で帰り道をゆうゆうと漕ぐと、サドルから尻に伝わる振動が大層痛かった。
これで大義名分を手に入れた。いつかあいつらを同じ目に合わせてやろうと誓ったのだった。
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