第6話 過去編 【室町時代 山城国 陰陽寮】其三

 安倍有世の屋敷から一寸も休まず陰陽寮まで走った可重は、まずは陰陽生、暦生、天文生(共に学生)を叩き起こしにかかった。

 祭祀に使う鐘を打ち鳴らし、「全員起床!!」と叫んだ。

 いきなりの雑音に、半目を擦って何事かと言っている学生に「これからの二刻が、お前らの人生を決める。さっさと布団を片付けろ!」と発破をかけた。

 そう言われては起きるしかないと、学生たちは渋々普段着に着替え、布団を片付け始めた。

 時間が惜しいので、学生たちが片付けている合間に話を進める。


「いいか。従三位安倍有世さまからの伝言だ」


 ここで学生たちの目が完全に覚めた。

 着替えの速さが一気に増す。従三位の有世の命令とあらば、命にかけてできる事はやらないといけない。

「先ほど鎌倉から早馬で書状が届けられた。

 それを見た従三位が、話があるので夜明けまでに陰陽頭、陰陽助、陰陽大充、陰陽少充、陰陽大属、陰陽少属に史生までをここに揃えろとおっしゃられた。各自手分けして全員を夜明けまでにここに連れてくるように」

 布団を片付ける手を止め、そんな人達をこの時間に起こしても大丈夫なのだろうかと、どうする?と言いながら学生たちは戸惑った。まあ、そうなるだろうと思っていた有重は、強引に端から順に五人を一組とした一団を作った。全員で三十人なので、人数も丁度合う。

「そっちの端から五人目まで。お前らは陰陽頭を呼びに行ってくれ。次の五人は陰陽助、次の五人は陰陽大充、次の五人は陰陽少充、次の五人は陰陽大属、次の五人は陰陽少属だ。私は史生の皆様を迎えに行く。以上だ。従三位の話の中身は全く分からぬが、非常に重要な話をするそうだ。早く行ってくれ。もう空が白み始めているぞ!!」


 学生たちは、我先にと陰陽寮を出て京の街へと走って行った。全員が行ったのを見届け、有重も史生を迎えに走った。


 太陽がようやく山から顔を出した頃、陰陽寮には異様な緊張感が漂っていた。


 普段なら怒鳴り散らすだけでは済まされない呼出しにも、陰陽頭を始め、史生に至るまでが皆が応じ、祭殿で従三位を待った。

 すると、玄関の方からドタドタと聞き覚えのある足音がした。

 有重は、すっと立って「従三位入られます!!」と皆に告げた。

 全員が一斉に立って姿勢を正し、安倍有世が入ってくるのを待った。

「おお、凄いなあ。全員いるじゃないか。おい、そこの有重と言ったか、お前やるじゃないか」

 有重は深々と礼をして「勿体無いお言葉です」と応じた。

「時に、お前は誰の子なのだ?」と有世は聞いてきた。

 さて、どうするかと有重は考えたが、ここは正直に本当のことを言ってしまった方がいい。有重が有世へこの話を持って行ったのは、そこも関係しているからだ。

「私の父は安倍泰吉です」

 一瞬、その場が静まった。

 それはそうだろう。安倍泰吉は、安倍有世の父でもあるからだ。有重は異母兄弟ということになる。

「何?冗談でなくてか?」

「はい。そう聞いています」

 有世は信じられないという顔をして「では母親は誰なのだ?」と聞いてきた。

「私は『狐』と聞いています」

 有重がそう言うと、有世は大声で笑った。その笑い声は、学生のいる奥の部屋まで聞こえたであろう。

「なるほど。安倍晴明と同じか。ふむふむ。親父もなかなかやるよのう。まあ、私は身分よりもその者に実力があればいいと思っている。其方が『狐』から生まれた遠く離れた弟であっても差別はせぬ。今回の事では存分に働くがいい」

 有重は驚いた。本来なら、いきなり政敵になりそうな弟が出てきたらこの仕事から遠ざけようなものだが、存分に働けと言う。有世はなかなかの傑物だ。

「ありがたき幸せです。できる事は全てやらせていただきます」

「うむ。期待しているぞ」

 そう言うと、有世は唖然としている皆へと目を向けた。


 安倍晴明が『狐』から生まれたという話は有名だ。当たり前だが、本当に『狐』から生まれた訳ではなく、所謂『遊女』から生まれたという言い回しだ。要するに、有重は父の泰吉が後年になって遊女と作った子になる。


「では、鎌倉公から来た書状について話す」 

 有世は、声を低くして全員を威嚇するようにギロっと睨んだ。この威圧感は物凄い。全員が石像にでもなったように動かない。この覇気こそが、有世をこの地位まで上げた原動力に違いない。


「簡単に言うぞ。まずは九尾の狐が復活した」


 一瞬の静寂の後に、陰陽頭が狼狽した声を上げた。

「な、なんですと!!」

 こんな早朝から、従三位が陰陽寮の幹部を集めたのはそういう訳だったのだ

「そして、九尾の狐は、事もあろうか鎌倉公の夢に現れ、宣戦布告をしてきた」

 だから、鎌倉から早馬が来たのだ。確かにこれは由々しきことだと思う。

「そ、それは九尾の狐が京へと来るという事ですか?」陰陽頭は、体を前のめりにして有世に聞いた。

「いや、まずは関東だと言っているようだ。だが、関東が落とされれば、次は幕府の本拠地の室町や御所が狙われるのは間違いない。だから、今のうちに九尾の狐を倒さなければならない」


 九尾の狐は、今から大凡二百年前に朝廷の派遣した武士によって退治されている。しかし、それについては様々な曰くがある。


「でだ。単刀直入に聞く。今『獣狩り』は作れるのか?」


 この質問の答えに陰陽頭は窮した。若干、呼吸が多くなっているようにも見える。

 有世は三年間とはいえ、元々は陰陽頭をやっていた。だからこの事については確実に知っているはずだ。しかし、それを敢えて聞いてきたと言う事は、この件は一筋縄ではいかないぞという共通認識を皆で持つ為だと言える。


 何も答えない訳にはいかない陰陽頭は、言葉を絞り出した。

「いえ。『獣狩り』の創設から二百年の時が経ちましたが、すでにその業は絶えております。したがって『獣狩り』は作れませぬ」

「ふむ。どうにもならんのか?」

「ご、ご存知の通り、あれは二度と創ってはならぬものとして、全ての書物が処分されております。口伝もございません。そして、かつて『獣狩り』に関わった者も二百年経った今では生きておりませぬ」

 有世は、顎を掻きながら上を見た。

「まあ、そうなるよな」と言って、若干の間を作り「じゃあ、ここからが本題だ」とゆっくり言った。


 その言葉に、祭殿に集まった全員が、まだ何かあるのかと顔を顰めた。


「この話。陰陽寮で全て解決してほしい」

 何を言い出すのかと、陰陽頭は蒼白になっていた。解決できる戦力がいないと言った矢先に有世は、それでもこれを解決しろと言うのだ。

 有世は続けて言った。「この件を解決すれば、幕府にも天皇にも大きな借りができる。そして、陰陽寮の存在もより大きくなる。いいか、よく考えてみてくれ。九尾の狐という怪異に対して、今の武士に何ができる?『獣狩り』なき今、九尾の狐に数十万の軍勢で挑んだとしても無駄な犠牲を出すだけだ。

 それに対して我々は、数は少なくなったが、未だ怪異と戦い続けている。幸いな事に、九尾の狐はまだ魂の状態だ。身体はまだ蘇っていない。だから我々にできる事もあるだろう」

 そうは言うが、本当にできる事があるのだろうか?陰陽寮の陰陽師が巨大な怪異を退けたという話をここ何十年と聞いた事がない。

 有重は思う。有世はきっと陰陽寮総出で解決策を見つけ出し、他が退治するよりも早くなんとかして欲しいと言っているのだ。そうすれば、有世の権力はさらに盤石となり、卜占だけでなく政治すらも動かせるようになるかもしれない。

「わ、分かりました。我々にできる事を探し、有世さまにご報告させていただきます」

 平伏すように頭を下げ、陰陽頭が言った。

「ふむ。くれぐれもこの事を他に漏らさないように。いいか、何としてでも九尾の狐を止めてくれ。その為には幾ら使っても構わない。いいな」

「承知いたしました」

 陰陽頭がそう言うと、有世は勢いよく立ち上がり、「では、頼んだぞ」と言って、またドタドタと大きな足音を鳴らし、祭殿から去って行った。


 有世は嵐のような男だった。


 残された陰陽師たちは、皆が困った顔でお互いを見た。従三位がそこまで言うのだから、陰陽寮は、どんな手を使っても、九尾の狐を退治しなければならなくなった。

「おい。有重」

 疲れた顔をした陰陽頭が、唐突に有重を呼んだ。

「はい。なんでございましょう」

「お前。本当に有世さまの弟なのだよな?」

「はい。もちろんです」

「では、今回の調査をお前に任せる。何か分かったら私に報告してくれ。では、解散」

 いきなり調査を任された上、誰に手伝えという事もなく会合は唐突に終わりを告げた。

 陰陽頭ははらわたが煮えくり返っているのだろう。だから、血筋のある私に無理難題をふっかけたのだ。失敗したのはあなたの弟ですよ。となる事を望んでいるのかもしれない。


 有重は、全員が祭殿を出るまで頭を下げ続けた。


 色々思うところはあるが、一つだけ確実な事は、九尾の狐を退治しなければ、日本が終わるという現実だ。

 有重は、その重責を果たすべく、最後に祭殿を出た。

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