33.眠り姫は王子様のキスで目覚める
「きゃあ⁉」
私の中に、異世界の悪魔と言われた黒い
せっかくキレのいいビンタを練習していたのに台無しだ。今度は外さないようにしないとっ……!
でも、二度目のチャンスは巡ってこなかった。
「ふっふっふ、このままあなたは永遠の眠りに落ちるのよ! あーっはっははは!」
「うう……」
瞼を開いていることが出来ず、私はその場で崩れ落ちた。
殿下たちが私を呼ぶ声が聞こえた気がするが、それが意識のあった最後。
夢の中の世界は寒くて何もない、暗黒の世界だった。
~バスク~
僕は倒れた姉さんの傍に屈みこんで、手を握った。
アイリーン姉さん……。いや、アイリーンを必ず僕のお嫁さんにすると決めたにも関わらず、最後の最後で彼女を守ることが出来なかった。それがとても悔しかった。
僕が養子としてリスキス公爵家で家族同然に打ち解け、こうして暮らせているのは全て彼女のおかげだ。両親が事故で
それは今も同じだ。
ショッピングに出かけては荷物持ちをしたり、一緒に外で食事をしたりする。それが、別に僕を男として見ているから、というわけではないことに、実は気づいていた。
でも、そうだとしても、諦めるつもりなんてなかった。
アイリーン、あなたのことを愛している。だから、どうか眠りから覚めて欲しい。異世界の悪魔なんていう、訳の分からないものに負けないで欲しい。
そう強く願いながら、僕はぎゅっと、彼女のほっそりとした手を握ったのだった。
そうすると、少しだけだけど、握り返してくれた気がした。
~ミーナリア~
アイリーン様! 私は憑りつかれて倒れたアイリーン様に駆け寄った。
私の家は子爵家であり、本当だったら公爵家の御令嬢と、こんなに気安く話すなんてことはあり得ない。実際、もっと高位の貴族の令嬢の方の中には、私のような小さな家柄の令嬢をイジメるような方も多いのだ。それは社交界に出れば嫌でも経験する。でも、両親からはそういった人たちとも親交を深めるように強く言われていた。飛べば吹くような、私のような末端の貴族に人脈はとても重要な財産だからだ。私は子爵家にとってそういう
私が入学の日に、あの学院の『精霊の森』にいたのは、そういった方達と机を並べることになるのが怖くて、悲しくて、少し一人になりたいと思ったからなのだった。でも、そんな時、あの黒い靄は襲ってきた。それは私の中に入り込もうとしていて、意識が遠のいていくのを感じていた。家のために心を塗りつぶして頑張って生きて来たのに、これが最期になってしまうのかと、なかば絶望していた。
その時でした。アイリーン様が王子様のように駆けつけてくださり、軽々とその悪魔を退けてくださったのは。
その時は、確かに彼女のことをただの勇敢な、素晴らしい方だと思っただけでした。
でも、考えてみれば、あんな得体のしれない者に立ち向かうのが怖くないはずがないのです。少なくとも、彼女は自分の身の危険を
そのことに気づいてから、私は変わろうと決意したんです。もう家のためだけに動く人形ではなく、あの方のように自分らしく生きられる人間になろう。家柄だなんだと、自分の殻に閉じこもっていた私は、イジメをする貴族令嬢たちと同じ存在だと気づかされたのです。だから、それをやめて、アイリーン様のようになろう。そう思ったのでした。
それから、私は少しずつ何かが変わり始めました。今まであったイジメも減ったし、両親とも思ったことを言い合えるようになりました。両親との喧嘩も増えたけど、何だか前より家族としての距離が近づいたような気がします。
今の私があるのはアイリーン様、あなたのおかげなのです。私の人生を変えてくれた素敵な方。
だから、お願いします。私のアイリーン様、どうか目を覚まして。そう、強く強く、神様にお願いしたのでした。
すると、気のせいかもしれませが、彼女の険しかった表情が、少し
~クライブ副騎士団長~
くそ、なんてことだ!
副騎士団長を名乗るのが恥ずかしい。私の剣は異世界の悪魔をすり抜けて空を切ったのだった。どうやら、悪魔にはどんな攻撃も通用しないという伝承は本当のようだった。やはり、聖女にしか……。
私はその聖女の傍らに座り、彼女の手を握る。
その
そんな彼女の美しい容貌を見下ろしながら思い返す。
彼女との出会いは本当に偶然だった。公爵領に別用で赴いた際に自分のカフェの建設現場を視察する彼女を
だが、一方でその生き方は眩しく思った。我がグランハイム伯爵家は武門の家柄だ。長男の自分はその家柄に恥じない武勇を修めることを求められたし、その求めに応じて自分を鍛え上げて来た。騎士団長は
だが、そんな決められた生き方しか出来ない自分を恥じる気持ちがどこかにあった。私には、私の生き方に自分の意思などどこにもなかったのだから。
だからこそ、公爵令嬢という身分でありながらも、自分でカフェを作り、自分がやりたいことをして生きて行こうとするアイリーンという存在に強く惹かれた。まるで夜空に浮かぶ星のようだとすら思った。自分を導く、美しき鳥、アイリーン=リスキス令嬢。
だが、その時、私はまだ彼女を侮っていたのだろう。彼女が誘拐された時、賊に見せた態度はまさに自分が剣を捧げたいと思わせる女神のような存在だった。
彼女の宿り木になれればどれだけ幸せであろうか。
決められた人生を歩む自分にとって、初めてそのレールを外れ、手に入れたいと思ったものだった。殿下に半ばたてつくような真似をしてでも。
だからどうか。
私はもう一度、冷たい彼女の手を強く手を握る。どうか、もう一度、その美しい瞳を開いて欲しい、アイリーン様。私はそう願ったのである。
すると、彼女の手に少し
~キース王太子~
倒れたアイリーンの傍に屈みこみながら、彼女の頭を膝の上にのせた。
最初、婚約者になる予定だと言われて出会った時は、とてもお
王太子など国の道具であり、自分の人生を決めることは出来ない。民のために、他の貴族たちのために、専らそれだけを考えて生きていくだけだ。自分らしさなど求められない。
だからこそ、久しぶりに会ったアイリーンが僕の婚約を断った時は耳を疑った。
彼女は公爵令嬢だ。ならば、彼女だって決められた人生を生きなければならないと思っているはずではないのか?
そこからだ。僕と彼女の何が違うのか。そればかり考え始めたのは。
そして、そのために彼女には頻繁に会いに行った。その都度、彼女が実はとても素敵な人だということが分かった。公爵令嬢という身分でありながらも、自分らしさを失っておらず、自らの考えに基づいて生きようとしていた。それは、自らの出自によって、自分らしく生きることを諦めていた自分にとっては、衝撃的なことだった。そして、同時に自分にも実はもっと別の生き方が出来るのではないかと思わせてくれたのだった。
今まで他の家臣の言いなりだったことや、慣例だからと押し付けられていたこと、そういったものに
自分の人生が決まっていると思い込んでいたのは、単に僕がそう思っていただけで、実は人生は大きな可能性に満ちていたのだ。そのことをアイリーンは教えてくれた。彼女なくして、僕の人生はあり得ない。君が欲しい、アイリーン。
そんな彼女が僕の膝の上に頭をのせて、意識を失っている。
どうか、彼女の命を救ってほしい。僕はそう思って、彼女の額にそっと口づけをしたのだった。
すると、彼女の美しいまつ毛が僅かに震えて……。
~アイリーン~
暗闇の中、わずかに声が聞こえた気がした。誰のものか分からないけど、声がする方へ歩いて行く。でも、真っ暗で正確に声の方角に歩いて行くことが出来ない。
それに寒い。
歩いても歩いても、どこまでも暗くて寒い。
何時間、歩いただろう。声はどこからか響いている。でもどこに行けばいいのか分からない。
いつの間にか、私は歩くことをやめようかと思い始めていた。
……でも、
「あれ? この香りは……」
私は懐かしい匂いに思わず顔を上げる。
子供の頃、優しい手で頭を撫でてくれた人。抱きしめられれば、その香りに包まれて、とても幸せな気持ちになったことを思い出した。
その香りはある方向から漂ってきているようだった。まるで、声のする方向へ導いてくれるように。
そして、また何時間くらいだろう?
その香りと声をたよりに歩き続けているうちに、徐々に目の前が明るくなり始めた。
目が覚める時のように。
明るい陽射しがレース越しに瞼に優しい光を落とすように。
そして、
「アイリーン! 大丈夫ですか!」
「おお! 目覚められた! 本当に良かった!」
「姉さん、僕だよ、分かるかい?」
「アイリーン様! 良かったです、本当に!」
目覚めると、友達の顔がすぐ近くにあった。
「あれー? みんなおはようー」
そんなのんびりとした私の声に、必死だった彼らの表情がゆるみ、微笑みやら苦笑を浮かべたのだった。
同時に、
「ぎゃあああああ! く、くそう! まさか普通の人間どもにまで邪魔されるなんて! でも無駄よ、もう一度よ!」
異世界の悪魔の声がすぐ近くでした。
私から追い出された彼女は憎々し気な様子で宙に浮いていて、再度私に接近してきたのだ。
でも!
「みんなに助けてもらって、出来たチャンスよ! 今度は外さないんだから!」
私は立ち上がって、大きくふりかぶる!
そして、
『バシイイイイイイイイイイイイイイイイイン!』
「ふんぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ⁉」
日々の素振りの成果を存分に発揮するビンタが、悪魔に炸裂したのだった。
どうだ! 1日10回の素振りで強化されたビンタの力は!
「くそう、くそう。口惜しい。あんたみたいに全てを持ってる女が
異世界の悪魔は呪詛のような声を上げながら、徐々にその影を薄くしていく。
そして、最後は風に舞い散る塵のように、消えていったのである。
「さすが聖女ですね」
「?」
殿下が何か言っているが、私がそんなものであるはずがないのは明白なので、冗談のつもりなのだろう。
さすが、将来の王様というのは、いつでも冗談を言えるくらい余裕があるのだなぁ、と感心する。
ともかく、こうして舞踏会を騒がせた前代未聞の騒動は、何とか幕を下ろしたのだった。
ちょっと、お礼を言いに行くところが出来たなぁ、なんて思いながら。
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