第一幕 1 『目覚め』

 優しい風が頬を撫でる。


 かすかな花の匂いが、鳥のさえずりが、春の柔らかな日差しが、目をつぶっていても感じられる。

 穏やかな自然の空気の感触を久しぶりに確かめながら、徐々に意識が浮上し【俺】は目覚めた。




「……うぅ、ん〜」


 少し伸びをしながら、まだ幾分ぼぅっとする頭を軽く振り意識をはっきりさせる。

 辺りを見回すと、そこは踝程の丈の草花が一面を覆う平原だった。



「え……と?」



 だんだんと、思い出す。


 【俺】の魂の記憶と、この体にある【私】の記憶が呼び起こされ、しばしの間混乱が生じる。

 そして……


「えっ!?ウソだろ……?」




 【俺】はーーーー。


 何らかの原因で死んでしまい、女神エメリールの願いに応じて転生を果たした。


 転生先の世界は俺がどっぷりハマっていたVRMMOに酷似した世界で、転生先の体は俺が使っていたアバターにそっくりの人物で、それは男だった……はずだ。

 しかし、この体の持つ記憶は……



「……カティア?ああっ!?そっちか!?」



 【私】はカティア。


 記憶によれば……私はある旅芸人一座の歌姫であり、一座の仲間とともに冒険者としても活動する15歳の少女。


 そして、確かにーーーーのアバターでもあった。


 メインで使用していたのは、ゲーム開始から使っていた男性アバターだ。

 【俺】が転生先として思い浮かべていたのはこちらの方。


 そして、カティアは元々NPCとして登場したキャラだが、とあるイベントのクリア特典でアバターとして入手した。

 入手時点でメインのアバターが覚えていたスキルやクラスの一部を引き継いでいる上、このアバターでしか入手できないクラスやスキルを覚えられるので、カティアの方も合間に少しづつ育てていたのだ。




「はぁ〜、マジか……女神さま教えて下さいよ……」


 いや、俺も聞かなかったのが悪いんだけどさ……


 ちょっと話しただけだけど、意地悪するような人……じゃなくて神様じゃないと思うし、多分うっかりなんだと思うけど……


「女神さま、初っ端から変化に戸惑う事態になってます……」


 意識の主体はあくまでも【俺】だし、やはり違和感が。

 う〜ん……そのうち慣れるのだろうか?


 まあ、どうにもならないことで悩んでもしょうがない。

 そのうち慣れると信じるしかないだろう。



 それにしても、記憶によれば今のカティアの立場はNPCの設定とは大分違ってるような?

 全く同じわけでは無いと言っていたし、考えて分かるものでもないかな……



「そうだ、倒れる前の記憶は……?」


 そもそも、【俺】が転生するきっかけとなった、【私】の魂が損傷してしまった原因は?


 記憶を探ってみるが……

 ダメだ。

 その部分だけ何も覚えていない。


 朝一番でギルドで依頼を受け、その足ですぐにこの平原に向かい……

 そこからの記憶が途切れている。

 依頼自体はなんの変哲もない採取依頼だ。


 倒れていた周囲には特に変わった様子はない。

 この辺りは特に危険な魔物がいるわけでもないし……何らかの痕跡もない。

 やはり記憶が残っていないと原因はさっぱりわからない。



 はぁ……少しは何か分かるかとも思ったが、そう上手くはいかないか。


 太陽の高さを見ると、倒れていたのはそう長い時間ではなさそうだ。

 長くともせいぜい一時間は経っていないくらいだろう。



「……取り敢えず、依頼を片付けておきますか」


 今の街には数カ月滞在しており、何度か依頼を受けてるので、それなりに土地勘が出来ている。

 この草原で依頼のものは採取できるはずだ。


 さっさと終わらせてしまおう。

 早く街に戻って、落ち着いて色々考えたいし。



「あ、そうだ。確かあっちの方に……」


 ふと、思いつき記憶を頼りに向った先には小川があった。

 澄んだ水は流れも穏やかで、日の光を反射し鏡のようになっていた。


 自分の姿は【私】の記憶にあるが、実際にこの目で見てみようと思ったのだ。


 小川を覗き込んでみると……


「……」


 思わず絶句する。


 【私】自身は自分の容姿に対して特別思うところはなかったが、【俺】の意識で改めて客観的に見てみると……



 大きな瞳は菫色、すこし垂れ目で優しげな雰囲気。

 すっと通った小さな鼻梁は高すぎず低すぎず。

 唇は紅をささずとも艷やかな薄い桜色。


 冒険者として外の活動が多いはずなのに日に焼けてはおらず、色白だが血色がよいため健康的に見える。


 髪は腰までの長さを首の後ろでまとめており、その色は日の光のあたり方で金にも銀にも見える不思議な色合い。

 一本一本が絹糸のように細く滑らかであり、無造作にまとめてる割に癖ひとつなく、まっすぐサラサラの極上の手触りだ。


 それぞれのパーツが整ってる上に、それが理想的に配置され、幾分幼さを残すものの女性としての美をこれ以上ないくらいに体現している。



「……いや、NPCのわりに随分気合いの入ったデザインだと思ったけど、現実になると半端ないな……そう言えば、ちょっと女神さまに似ているような?もう少し大人になったら、もっと似てきそうだな。気にかけているってことだし、何か関係があるのかな?」


 神殿に行ったときに聞いてみるか。



 改めて、今度は全身を見てみる。

 身長は150〜160cmくらいだろうか。

 記憶では同年代の女子と比べても大きな差は無かったはずだ。

 全体的に細いが、冒険者として鍛えられているためか適度に筋肉が付き、それでいて女性的なしなやかさ、柔らかさは損なわれていない。

 胸は……きっと、これから成長するのだろう……


 服装は膝丈半袖の若草色のワンピース。

 素材はよく分からないが、手触りは綿っぽい。

 下には、膝丈で脚にフィットする伸縮性のある素材の黒スパッツ……のようなものを履いている。


 靴は革製の焦茶のロングブーツ。

 運動性を損なわないように可動部は柔らかく、脛や足の甲の部分は硬めの革で補強されている。


 こちらも革製の白い胸当て。

 防御力は微妙なところだが、軽く、動きを妨げないし、デザインも凝っているので気に入っている。


 防寒と雨具を兼ねた膝まである紺色の外套。


 右肩から斜めにかけた鞄。

 実は魔道具で、見た目よりも大きな容量を持ち大体40リットルのリュックくらいの荷物が入る。

 高価ではあるが、中堅以上の冒険者ならば大抵は所持している。

 今回は日帰りの探索なのでそれ程荷物は入れておらず、水筒と携帯食、包帯や傷薬などの救命キット、その他細々とした道具類くらいだ。


 そして、腰に下げられたショートソード。

 使い込まれているが、よく手入れされている。

 【私】が冒険者になる際に、養父から贈られたものだ。

 特別高価な名剣という訳ではないが、腕の確かな鍛冶師によるものらしく品質はしっかりしている。


 全体的には女の子っぽい可愛らしさがあるが、冒険者の活動をするのに十分機能的であり、なかなかよく似合っている。

 センスの良いコーディネートではないだろうか。

 ……自画自賛になってしまうが。


 しかし、物凄い美少女なんだけど、それが自分だと言うのが何とも言えず複雑なところだ。






 さて、ちょっと寄り道してしまったが……依頼を済ませますか。


「確か、この辺に……あ!あった」


 依頼にあった透魔草を見つけて必要な数だけ採取する。

 これは魔素が浸透しやすい植物で、様々な魔法薬の素材となるものであるためそこそこ需要がある。

 しかし、詳しい生育条件が分かっていないため栽培ができず、頻繁に依頼が出ている。

 生育地は知られているので、採取はそれ程難しいものではない。


 特に時間もかからずに採取完了。



「じゃあ、帰りますか」


 ここから街までは休憩を入れて四〜五時間くらいの道のりだ。

 この場所は街から東に伸びる街道を進み、途中から街道より離れて北にしばらく進んだ位置にある。


 今は多分、正午過ぎくらいだろう。

 日が落ちる前に十分帰れるはず。


 道すがらもう少し記憶の整理をしながら行こう。


 そう考えながら、まずは街道に出るべく南に向かって歩き始めた。









 三時間ほど歩き、もう少しで街道に出るという辺り、ふと不穏な気配を感じて立ち止まる。


(右側の森……魔物かな。こんなに街道近くに出るのは珍しいな。それにしてもこういう感覚って【私】の経験によるものみたいなんだけど、変わらず使えるようだ。【俺】も剣術はやってたし、ゲームでの戦闘経験はあるけど、リアルな実戦経験があるわけじゃないからな。ありがたい)


 そう思いながら、襲撃に備える。

 すると……



『グルルルルッ……!』


「来た!あれは……グレートハウンドか!」


 こちらが立ち止まったのを見計らったか……森から猛烈な勢いで飛び出してきたのは、体長2m程の大型の犬の魔物であるグレートハウンドだ。


 私からすれば単体ではそれほど脅威を感じる相手ではないけど、戦う術を持たない人にとってはかなり危険な魔物だ。

 こんな街道近くで放っておいて良い相手ではない。


 ただ、本来は群れでの行動が多いはずだが、幸いにも今回は単独行動のようだ。


 魔物は飛び出してきた勢いそのままに数十メートル程の距離を一気に駆け抜け、こちらまであとほんの2、3メートルのところまで来ると大きく跳躍し飛びかかって来た。


 私は特に慌てることもなく、タイミングを合わせて左に避けながら剣を抜き放ち、交差する瞬間に相手の勢いを利用しつつ軽く首を撫でるように切断する。


 魔物は断末魔をあげることもなく、切断面から大量に血を吹き出しながらあっさりと絶命する。




(……【俺】としては、初めての実戦で、生き物を殺すのも初めてなんだけど……特に動揺はないな。意識の主体は【俺】とは言え、【私】の経験も生きているという事か。先程の感覚もそうだけど、まあ助かった。)


(それにしても、【私】の剣技は養父に教わったものだけど、【俺】が教わった剣術にも随分似てるな?これも類似の一つってことだろうか……)





 さて、討伐の報告も必要になるし魔核を取り出すか。


 他の生物と魔物の違いはこの【魔核】にある。

 正確には普通の生物にも同じ役割の器官は存在し【核】と呼ばれているが、その大きさや機能に歴然とした差があり分別している。

核の機能とは魔素の貯蔵と制御だ。


 魔素と言うのは、簡単に言えば魔法を扱うために必要となるエネルギーのようなもの。

 魔物は魔核によって身体能力を増大させたり、高等な魔物になると魔法を操ったりもする。


 そして、人間にもこの核は存在するが……その機能については個人差が大きく、魔法の扱いに長けた人のそれは魔核に相当する。


 ゲームにはこのような細かい設定は無かったので、これは【私】の知識だ。


「グレートハウンドの魔核は確か……心臓の近くだったっけ?」


 他の臓器と異なり、核の場所は生物によって大きく異なる。

 一番多いのはこいつのように心臓の近く。

 人間の場合は脳の中だ。


「うーん……解体する方が早いけど、死体の焼却も必要だしな……せっかくだから魔法を試してみるか」


 グレートハウンドは食肉には向かないし、死体を放っておくと別の魔物や肉食獣を呼び寄せてしまうかもしれないので、冒険者の心得としても処分が必要となる。


 魔核は石のように硬く燃えにくいので、死体を燃やしても骨と一緒に残るため問題ない。

 なので、魔法で焼却してから魔核を採取する事にした。

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