閉じた扉と嵐のような

「今日の『潜航』は中止」

 私の言葉に、刑務官に連れられて研究室に来たXは首を傾げた。何故、と問うていることはわかった。

「装置の調子が悪いの。『異界』への扉を作れないみたいで、今、エンジニアが診てるところ」

 Xの視線が、研究室に鎮座まします異界潜航装置に向けられる。Xを『異界』に送り込むのに必要不可欠なそれは、天井にも届きそうな仰々しいサーバーラックの形をしている。実際には、その内側に詰め込まれたコンピューターが、異界潜航装置の本体だ。

 フロントパネルのLEDは普段通りに点灯しており、異常が発生しているようには見えないが、どうも思ったような挙動でないらしく、サーバーラックの前に座り込んだエンジニアが、コンソールを眺めながらしきりに首を捻っている。構成する部品のいずれかが消耗して悪さをしてる可能性が高い、とのことだが、ここはエンジニアにしか判断がつかないので、彼に任せるしかない。

 Xは装置と私とを交互に見ている。独房に帰っていいのか、ここに残るべきなのか迷っているようだ。『異界』では高い思考能力と決断力であらゆる事態に対応するXだが、『こちら側』では自分で考えるということを全くしない。私が命じなければ、その場に延々と立ち尽くしているに違いないのだ。

「今日は予定を変更して、ヒアリングを中心にしようと思う。上に提出する報告書には、あなたの主観情報も必要になるから」

 私の言葉に、Xはおずおずと頷く。何を話せばいいものやら、といったところか。Xは表情こそ硬いが、仕草や醸し出す雰囲気がやけに雄弁だ。

「座って楽にしてくれていいわ。発言も許可するけど、聞いておきたいことはある?」

 定位置である『潜航』用の寝台に腰かけたXは、私がメモ用のボードを取り、側の椅子を引き寄せて座ったところでXがぽつりと言う。

「ひとつ、質問が」

「何でもどうぞ?」

「まず、異界潜航装置、って、どういう仕組みなのですか」

 何でもとは言ったが、Xの言葉には思わず「あっ」と小さく声を漏らす。

 案の定、というべきか。

「ちょっと、今何て言った?」

 唸り声をあげながら潜航装置と向き合っていたエンジニアが、ぐるりとXを見る。びくっ、と身を震わせるXに構わず、エンジニアは耳にうるさい声でまくしたてる。

「Xには何も話してなかったっけ? あー、いや、当初はアタシもバタバタしてたから何だかんだ話す機会なかったかも。『潜航』できなくて暇してるってんなら、今のうちに一通り教えとくから耳の穴かっぽじってよく聞いとくことね」

「あの、」

「まず、『異界』へのアプローチ方法には古くからいくつか存在していた。例えば既に『こちら側』のどこかに開いている『異界』への扉をくぐったり、『異界』から『こちら側』に来た連中と接触して向こう側に連れてってもらったり。ただ、どちらにせよ狙ってやれるものじゃない。前者にせよ後者にせよ、見つけることそれ自体が至難の業なのよね」

 始まってしまった。このエンジニア、とにかく話が長い。特に自分野に関する話の長さは折り紙付きだ。私は彼の話を特別苦痛だと思ったことはないのだが、他の面々が不用意に話を振って後悔しているのはよく見かけるので、まあ、そういうことなのだろう。

 エンジニアはXから視線を外し、コンソールに流れるログを見ながら手を動かしはじめる。それでも、Xに向けた澱みない説明は続く。

「仮に『異界』にアプローチできたとしても、発生すると考えられる問題は枚挙にいとまがないんだけど、その中でも最大の問題が、行けても帰ってこられるとは限らないってこと。昔から『神隠し』って言葉があるくらいだし、流石のXも『通りゃんせ』の歌詞はご存じでしょ? 行きはよいよい、帰りはこわい。これも、神域――つまり『こちら側』とは異なる場所へ向かう際の心構えである、と考えることは容易いわけ。まー、要するに昔から『異界』って『こちら側』から見るとそういう場所なのよね」

 Xが目を白黒させている。真面目なXのことだから、「聞いているふりでやり過ごす」という選択肢は取れないに違いない。逃れることも、抗うこともできないXは、ただただ矢継ぎ早に放たれる言葉を浴びせかけられるばかり。

「帰ってこない気ならそれでもいいけど、アタシらの仕事はただ『異界』を観測するだけじゃなくて、観測した結果を次に活かさなきゃならない。トライアンドエラーをしたいのに一回だけのトライしか許されないのって、とびっきりナンセンスでしょ?」

 ただ、エンジニアの説明は極めてわかりやすい方だとは思う。昔からの異界研究者ではないため一般のそれに近い目線である、というのも要因かもしれない。私や他のメンバーだと、どうしても専門的な用語を織り交ぜてしまいがちだから。

 そもそも当異界潜航プロジェクトは少数精鋭で、主要メンバーは私を含めて六人。これは望んで少数精鋭にしているのではなく、我々より上の世代がことごとく「いなくなってしまった」からなのだが、この際それは横に置く。

 ともあれ、今ここに集っているのが、贔屓目抜きに精鋭なのは間違いない。

 中でもエンジニアは精鋭中の精鋭と言うべきだろう。元々は在野のシステムエンジニアで、研究者としての経歴はメンバーの中でも断然浅い。それこそ我々が「新人」と呼んでいるメンバーよりも『異界』の研究に費やしている期間は短いのだが、その経歴とは全く無関係に、当プロジェクトになくてはならない存在だ。

「ってなわけで、アタシが、問題を解消するために、異界潜航装置を作りました」

 ――そう、異界潜航装置を「作る」ことができる唯一の人材ゆえに。

「どうやって、という話は割愛。その話をしだすときりがないから」

 実際、装置の「仕組み」に関しては私すら全容を把握していない。単に私が技術面に疎いというのもあるが、それ以上に装置の中身は「常人には理解しえないもの」であるがゆえ。

 とはいえ、だ。

「仕様書くらいは作ってね。こういう時にあなたしか対処できないのは、やっぱり大きな問題があると思うの」

「善処するわ……。だって死ぬほど苦手なんだもん、人にわかるように書くの」

 エンジニアはコンソールを見つめたまま頭を掻く。何しろ上から散々「属人化」だの「エンジニアに何かあったらどうするつもりだ」だの言われているし、何一つ否定ができない。他の誰よりも替えが利かない人材、それがこのエンジニアなのだ。

「とにかく、この潜航装置には主に三つの機能がある。一つ目は、『こちら側』に隣接する『異界』を探す機能で、二つ目が見つけた『異界』に一時的な扉を作る機能。で、三つ目はあんたもおなじみ、意識と肉体とを切り離して『異界』に送り込む機能。で、今日は二つ目の機能が調子が悪くて難儀してるわけなんだけど、実際に『扉を作る』ために必要なのは、まず『異界』の座標。『異界』ってのは通常我々には認識できない次元を彷徨ってて、これを一つ目の機能で特定するわけ。んで、『こちら側』から『異界』に向けてアンカーを打つことで互いの道筋を作ってから、無理やり扉をこじ開けるんだけど――」

 カタカタと手元のキーボードを叩いていたエンジニアが、突如として動きを止める。そして、コンソールからぱっと顔を上げる。

「あっわかった! ちょっと手ぇ貸してくれない、一旦装置バラすから!」

「じゃあ、私が……」

「リーダーはそこにいて。じっとして。動くな。いいわね?」

「はい」

 腰を浮かせかけたところで制される。エンジニアは私にはやけに厳しいが、過去にやらかした実績があるのでそうそう反論もできない。私の代わりに新人を捕まえたエンジニアは、即座に装置の解体にかかる。もはやXに話していた最中であったことも、すっかり意識の外にあるに違いない。

 その様子をぼんやりと見ていたXは、ぽつりと言う。

「嵐のような、人ですね……」

「そうかも」



     *   *   *



「結構、びっくりしました」

「ごめんなさい。エンジニア、いつもああなのよ」

「彼とは、今まで、ほとんど、言葉を交わしたことが、なかったので……」

「普段は私かドクターとしか喋らないものね、X」

「しかし、驚きましたが、お話は、面白かったです」

「でしょう。頭は切れるし、話それ自体も上手い方だと思う。話し始めると止まらないことだけが玉に瑕」

「なるほど」

「リーダー! ちょっと部品買ってくるから許可ちょうだい!」

「許可は全然構わないけど、私は行かなくていい?」

「事後にリスト確認して上に渡してくれれば十分。どうせ見たってわかんないでしょ」

「はい」

「じゃ、行ってきます。あ、ニュービーも借りてくわね! ねえねえ車出して~!」

「……あー、嵐、過ぎ去りましたね」

「本当に、いつもああなのよ。『潜航』のときは操作に専念してるから、あんまり口数多くないけど」

「なるほど」

「私がちょっと頼りない分、彼がしっかりしてくれてるっていうのもあるしね。頼りになるのは、本当」

「その、もう一つ、気になったことが、あるのですが」

「何かしら?」

「彼が女言葉で喋っていることには、何か理由が?」

「それね、私もよく知らないの。彼、初めて会った時からずっとそうなんだけど」

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