王様の言うとおり
「お客様なんて久しぶりだね」
「嬉しいね、王様も喜ぶよ」
そう言いながらXの周りを飛び回っているのは、着せ替え人形を思わせる大きさの人間に、蝶々や蜻蛉の翅を生やした――いわゆる「妖精」のような『異界』の住人たちだった。一様に美しく整った、言い換えれば同じような姿をしている彼らは、凹凸の少ない体に柔らかな光沢をもつ薄絹を纏い、Xに群がる。
「さあさあ、さっそく王様に会ってもらわないと」
「でもちょっと待って」
「王様はちょっと気難しい」
「王様の言うとおりにしないと、すぐに機嫌が悪くなる」
「機嫌が悪くなったら、あちこちに八つ当たり」
「わたしたちも迷惑しちゃう」
あちこちから聞こえてくる声に、Xは「はあ」とどこか気の抜けた声を返す。その間にも、妖精たちはXをぐいぐいと通路の奥へと導いていく。
この、外装も内装も色とりどりの草花や鮮やかに染め上げられた布で飾り立てられた建造物は、どうやら彼らの「城」であるらしかった。毛足の長い絨毯をサンダル履きの足で踏みしめるのをディスプレイ越しに眺めながら、果たして空飛ぶ妖精たちにこの絨毯が何の意味を持っているのか、ということを考えずにはいられない。
「だから、王様に会う前に、しっかり支度しないと」
「支度だ!」
高い声で「支度だ」と騒ぐ妖精たちは、通路の先にあった扉を開いてXを押し込んだ。
真っ先に目に映ったのは、妖精を肩やら頭やらに載せた、冴えない顔をした男性――Xの姿。要するに、扉の先にあったのは一枚の鏡だ。見渡してみればそこは大小さまざまな箱が積みあがった部屋で、一面の壁が鏡になっていたのだった。
そして、鏡に映っている妖精たちがXから離れたかと思うと、部屋中の箱にとりつく。箱を開け、中のものを取り出そうとしているいるようだ。
唯一Xの頭の上に残っていた妖精が、明るい声で言う。
「さあ、着てるものを脱いで」
「服を、ですか?」
鏡の中のXがわずかに眉を顰めてみせる。しかし、妖精はXの怪訝な顔にも構うことなく続ける。
「王様は見た目にうるさいの」
「そんな格好かわいくない」
「かわいくないのはよくない」
よくない、と妖精たちの声が唱和する。かわいいは正義、という言葉は『こちら側』でもちょくちょく聞かれる言葉だが、どうも彼らの価値観では「かわいい」かどうかは大事な要素であるらしい。同時に、Xの姿は彼らの言う「かわいい」に相当していないということも伺える。
妖精たちに見つめられ、Xは戸惑いを隠せない。鏡に映るXは、表情こそ薄いが、どこか落ち着きのない様子で妖精たちを見回していた。すると、妖精たちがXに向かってちいさな手を伸ばして、トレーナーの袖やら裾やら、果てには履いているズボンにもとりついてくる。
「脱いで脱いで!」
「こんなかわいくない格好、王様が見たらどうなるか!」
「かわいくしてあげるんだから、早く早く!」
「すみません脱ぎますから無理やりはやめてください」
妖精たちの前で服を脱ぐのには抵抗があれど、無理やり脱がされるのは更に嫌だったと見える。妖精たちが「はーい」と返事をしながら離れて箱の中身の物色に戻ったのを確認してから、Xは服を脱ぎ始める。
視線を目の前の鏡から外している辺り、妖精たちに見られたくないのと同時に、自分の視界を通して我々に見られるのも気恥ずかしいのだろう。Xは我々からどのような扱いを受けても動じない割に、時折人並みの羞恥心を垣間見せることがある。
脱いだ服が片っ端から妖精によって持ち去られ、代わりに、箱の中から出てきたものが目の前に運ばれてくる。
それは、奇妙な質感の布だった。薄黄色をベースとした、ところどころに薄茶色の淡いグラデーションのかかった布を、妖精たちがよってたかってXの体に巻き付けていく。
そこに、別の妖精が持ってきたのはつくりものの花。赤に黄色、白に青。原色の花々が、布の上に飾り付けられていく。ついでに、光沢のあるリボンも添えられ、無地だった布がどんどんデコレーションされていく。
Xの視線がちらりと鏡に向けられる。そこに映るのは、飾りつけられた花やリボンによって何とも鮮やかに映えるドレスだ。膨らんだ肩の辺りからふわりと広がる袖に、腰から下を覆うのは波のように幾重にも布が重ねられたスカート。布の上に散らされる、きらきら光る薄片がドレスを更に彩っている。
ただし、着ているのはぼんやりとした顔つきをした、いがぐり頭の中年男性なわけだが。
それでも妖精たちはドレスの出来に満足しているのか、くるくるとXの周りを回りながら「かわいい」と口々に言うのだ。
「仕上げにこれを被ってね」
真珠のような白銀の球体を飾った虹色のヴェールを、頭の上から被される。Xはされるがままになっていたが、指先でヴェールをつまみながら言う。
「なんか、甘い匂いで、くらくらしてきますね……」
我々にはXの視覚と聴覚しか伝わらない都合上、「匂い」を知ることはできない。Xの周りに漂う匂いがどんな甘さなのかもわからないのだ。
「これで王様の言うとおり!」
「どうぞどうぞお客様、この先が王様のお部屋だよ」
Xは素足で――当然ながらサンダルも奪われていた――いつの間にか現れていた、入ってきたのとは別の扉から外に出る。
妖精の言葉の通り、そこは玉座の間だった。小さな妖精たちには似つかわしくない、否、仮にXが座るにしても巨大すぎる玉座。そこに腰かけているのは、妖精たちと同様に見目麗しい、しかし「妖精」より「巨人」という形容が似合う存在。
「王様、新しいお客様ですよ!」
Xを取り巻く妖精たちの言葉を受けて、虹色の光を纏った巨人の「王様」は、長い睫毛に縁取られた目を細め、柔らかく色づいた唇を開く。
「素敵なお客様だ。かわいらしく仕上がっていて、とても、」
――おいしそうだ。
真っ赤な長い舌が、ぺろり、唇を舐める。
ああ、この状況には覚えがある。実際に経験こそしていないが、とある物語で読んだことがある。そうだ、これは……。
「注文の多い、料理店……?」
どうやらXも気づいたのか、呟かれたのは私の想像と同一のタイトル。ものを知らないことに定評のあるXが、宮沢賢治を知っていたことには驚いたが。
西洋料理店『山猫軒』を訪れた紳士が己の体にクリームを塗り、酢をかけて、食卓に載せられそうになったように、今のXが纏わされているのはクレープ生地に飾られた砂糖菓子の花にキャラメルのリボン。真珠に見えたのは、もしかすると、アラザンだったのかもしれない。
お菓子は特に見た目が大事だ。そう、言ってしまえば「かわいらしさ」が。
「さあさあどうぞ王様」
「久しぶりのお客様、きっと王様のお口に合いますよ」
その場から逃げようにも、妖精たちが小さな体に似合わぬ力でまとわりつき、Xの身動きを許さない。その誰もが、愛らしい笑みを浮かべている。「王様」も、無邪気な笑みを浮かべてXに巨大な手を伸ばし――。
Xは、長い長い溜息とともに、言った。
「『潜航』、継続不能と判断します。引き上げてください」
* * *
「発言を許可するけど、Xは好きなお菓子とかある?」
「……お菓子、ですか?」
「日々の食事に多少は甘いものも出ると聞くけど、特別好きなものがあるというなら、上に掛け合ってもいいかなと思って」
「ありがとうございます。しかし、そうですね……」
「甘いものは嫌い?」
「いえ、嫌いというわけではありません。食べすぎはもちろんよくないですが、適度な糖分は、体にも頭にも必要なものですし」
「趣味の筋トレといい、私たちよりよっぽど健康志向よね、あなたって」
「人間、体が資本ですからね」
「それはそうだけど、何というか、人並み以上にストイックだと思って。私には真似できそうにないわ」
「そうですかね……? ああ、そう、好きなお菓子ですよね。洋菓子と和菓子なら、和菓子の方が好きですね」
「あら、そうなの。でも、和菓子といっても色々あるけど。餡子が好きなのかしら」
「おはぎや羊羹など、餡子を使ったものはもちろん好きですが、特に好きなのは、すあま、でしょうか」
「すあま……」
「もちもちしてて控えめな甘さが、おいしいと思います」
「わかるけど、随分渋いわね……」
「でも、しばらくお菓子は避けたいところですね。甘い匂いを嗅ぐだけでも、ぞっとする気がします」
「まあ、お菓子として食べられそうになったんだから、それは、そうよね……」
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