詰め合わせ⑤

Twitterへ掲載した短い話を集めました。

基本的には笹木さん視点、時期や長さはまちまちです。


◆恵方巻き

 昼休み。

 今日の夜は予定がある、そう言って倉田がフロアの冷蔵庫からとってきたのは海苔巻きだった。カレンダーを見るまでもなく今日は二月三日、つまり。

「昼から恵方巻か。結構デカいけど、食い終わるまで話すの禁止なんだろ。大変そーだな」

「これでも小さめにしたんやけど。ということで、さっさ」

 スマホのアプリで恵方を確認した倉田がぱちり、片目を閉じる。

「俺が食い終わるまで電話番よろしく」

「へーへー」

「意外に素直やん」

「後で鬼やってもらうつもりだからな。俺のトコロは落花生だ」

 結構痛ぇからな、覚悟しろ。どこでやるかは考えずに買った豆を思い浮かべて微笑むと、倉田は顔のパーツを中央へ寄せるようにして恵方巻にかぶりついた。



◆ウインク再び

「そういや」

 恵方巻で口の塞がった倉田が視線だけをこちらへ寄越す。電話はまだ鳴らず、律儀にルールを守っている。

「オマエ、いつからウインク出来るようになったんだよ。前はしっかり両目つぶってたのに」

 そう、出来ない倉田を喫煙所で嘲笑った記憶があるというのに。倉田は目を細め、まだ口をもぐもぐと動かしている。呑気なヤツめ。

 恵方巻の尻尾を飲み込んだところで、

「十回に一回は成功するようになった。いい男は進化するもんなんやで、さっさ」

「何だ、ほとんど偶然じゃねーか」

 お手本にしろよ、音が聞こえるようなウインクをしてやればまたぱちりと対抗してくる。今度は両目を閉じていた。やっぱりな。



◆行方 倉田さん視点

 書類を届けに行ったついで、日下のデスクに寄れば真剣な顔でパソコンの画面を見つめている、こりゃ邪魔かもしれん、踵を返そうとするのと、画面が見えるのは同時だった。バレンタイン用のチョコレートが自分を選べと主張している。

「おい」

「うわ、誰かと思った。どうしたのさ倉田」

 漫画のように肩を跳ねさせてから振り返る顔には驚きはあっても、罪悪感は見当たらない。また、製品待ちが発生しているのかもしれない。

「ずいぶん真剣に吟味してるなって。自分用? それともプレゼント用?」

「両方ー。そんなにチョコレートが好きじゃなくても、この時期限定ってこれだけ宣伝されるとねぇ」

「わかる。俺もちょっと買ったもん」

 専門の売り場にはそれこそ老若男女がひしめいていた。これ買うた、僕このブランド好き、ひとしきり盛り上がったところで日下は瞬きを増やし、

「あげるのはこれにしようかな」

 ページの中でもひときわ目立つ最高級チョコレートに指を当てる。気合の入った眼差し。

「……相手に伝わるとええな、その気合」

 応援してんで、俺の言葉に、まかしといてよ、笑う顔はいつもの日下だった。決戦はバレンタインって歌詞みたいやな。



◆眠りの前に

 読みたいと思って買ってくるのに、ベッドサイドには手つかずの本が地層を織りなしている。興味の向くまま積み上げた本には、自分が選んだということ以外法則性は見当たらない。

 一番上にあるのは平積みにされていたフィボナッチ数列に関しての論文、その次は台湾の家庭料理についてのエッセイ、更に下の地層には人類の進歩に伴う倫理について、宝石の価値鑑定法、夢と希望の少年漫画と続いていく。小説は、ない。

 ルイボスティーを並々注いだマグカップを慎重に地層の脇へ置き、ベッドに寝転んでから一番上の本を手に取る。少しでも発掘作業を進めなければベッドへ知が降り注ぐかもしれない。

 一、一、二、三、五、八……美しい数列はルイボスティーからすっかり温度を奪い、最後は夢にまで独特のリズムを持ち込む。数字の飛び交う夢は短絡的でちょっとした悪夢だった。やっぱ数学は苦手だ。



◆トラブル 倉田さん視点

 呪詛でも吐いてやりたかったが、パソコンに呪いは効くのだろうか。むしろこの状況が呪われているのかもしれない。何度画面を見てもカーソルはくるくると青いリングから変化せず、インストールはまだ終わらない。呪われたメリーゴーランドやな、空想へ逃げても状況は一向に改善しなかった。

 さっさへデータ渡さないとあかんのに。焦る気持ちとは裏腹にパソコンはまだ昼休みだと言いたげにのんびりしている。ピコン、社内メッセージの通知。

『コーヒーでも飲んで落ち着け。ついでにこっちにもおすそ分けよろしく』

 パソコンから顔をのぞかせると、笹木が両手の人差し指をハの字にして眉へ当てていた。八の字眉ってことか。俺に出来ることはないしな、立ち上がりフロアに設置されたコーヒーメーカーでコーヒーをひとつ淹れ、少しだけもうひとつの紙コップへと移す。

 手慣れたはずの動作は思えば久しぶりで、一筋、褐色のラインが俺の紙コップへ色を添えた。

「サンキュ、クラ」

 一番待ち侘びているはずの笹木はにやけながら紙コップへと口をつける。俺も息を吐き、

「なぁ、パソコンに呪いって効くと思う?」

 自分の席に戻った。メリーゴーランドはまだ回転している。



◆さぁ、食うぞ 倉田さん視点

 昼休みを告げるチャイムが鳴った途端、笹木はこれ以上ないくらい顔を輝かせた。眉間の皺は消え、強い瞳は細められて存在感を失い、年齢よりもややあどけないような顔に目を奪われつつも、いやこれ絶対危ないやつやん。脳内で警報が鳴り響く。

 腹が空いていたからランチが待ち遠しかったにしては高すぎるテンションだ。普段ロー気味の男が見せる新たな一面に、喜びよりも恐怖が勝る。未知こそが最大の恐怖やったか、同じ表情を作ろうとしても強ばるのが自分でもわかった。

 そんな俺の気持ちをあえて無視した笹木は、デスクの向かい側から何かを突き出す。それは一本の大ぶりなスプーンだった。金属らしい硬質な光が目を射る。

「⋯⋯⋯スプーン?」

 困惑した声には応えず、笹木は続いて手のひらよりもやや大きな箱をふたつ取り出した。重厚な紙箱は自分には価値がある、と存在の全てで語っている。

「クラ」

 予め決められていたかのような流れに圧倒されている俺へ、厳かな声が語りかけた。

「好きなものは最初に食べる派か? それとも最後派か?」

「⋯⋯最初やけど」

「オレもだ」

 さぁ、食うぞ。開かれた箱の中にはスプーンとは異なる、滑らかで蕩けるような光沢を放つ二枚貝を模したチョコレートの蓋。半ば無意識にそれをも暴けば、中には器を並々と満たす茶色の湖面が広がっていた。

 いつぞやバレンタイン用カタログで見た、器まで食べられる生チョコレート。それが笹木と自分の前に。

「食いたかったから買ってきた。好きなものが最初派なら、デザートからでも問題ねぇよな?」

 ハッピーバレンタイン、お返し寄越せよ。笑う笹木の口元にはもう、甘い名残がついていた。



◆黒猫(猫の日)

 黄水晶がふたつ、暗がりに浮かんでいる。それぞれの真中には黒い亀裂が走り、周囲の細かなヒビも見えた気がして瞬きをすると、黄水晶も応えるように明滅した。

 ビルとビルの隙間、それにしても光を拒んでいるかのような暗闇に近づいて腰を落としても、黄水晶は変わらず宝石のままで在るべき躯は見当たらない。

 結構大きそうなんだけどな、伸ばした指先に生暖かで湿った息がかかる。気づけば輝きは塗り潰されひとつに減っていた。あれ片目、残った輝きの下には柔らかな白い模様が浮かんでいる。

 視線をそこにやれば、ぽつり、インクのシミのような黒点。瞬きをするたびに形が変わるのは錯覚か、それとも暗闇に目が慣れてきたのか。躯が見えないのに白く、変化する胸毛だけはしっかと際立っている。

 指先へ僅かな、削ぐような痛み。この模様は、

「何してるん、さっさ。落としもんか?」

「……クラ。いや、」

 一度倉田を見上げてから振り向けば、暗がりの黄水晶は跡形もなく消えていた。捨てられた空き缶の錆までが見える、狭い空間。

「黒猫……だったと思うんだけどよ」

「今日猫の日やもんなぁ、いい思いしに出てきてるんやろか」

 俺犬派やけど。どうせなら飯でも、歩き出す倉田の背を追って立ち上がる。まだ湿った指先、残念そうで微かな鳴き声が聞こえたが振り向かなかった。絞首台なんざ時代錯誤だぞ。



◆赤いドレス(猫の日答え合わせ) 倉田さん視点

 古い事件だと聞く。そもそも本当にあったのかもあやふやな、都市伝説と呼ぶには局地的でマイナーな話。

 会社の入っているビルから程近く、煉瓦調のいかにも年季が入ったビルと隣接したビルの隙間、黒猫が呼ぶのだと言う。黄に輝く瞳、白い胸毛、相当に大きい躯、そこまでしか見ることの出来ない黒猫が、呼ぶ。お前の罪を知っていると。

 応えた者が案内されるのは煉瓦の中へ塗り込められた主の元。溢れ出したばかりの血で染め上げられたかのような、ぬめる赤のドレスを着た女が煉瓦の内側から現れて、それから。それから?

 話していたのは誰だったか。帰り道、ビルとビルの隙間へ向かってしゃがみ込む見慣れた後姿を視界へ入れた瞬間、思い出した話だった。まさかな、が七割、あかん、が二割。残りの一割が何なのか理解する前に声が先行する。隙間は見通せない程暗い。

「何してるん、さっさ。落としもんか?」

 こちらを見上げる目が一瞬黄色い光を帯びていたのは、気のせいだろう。

「……クラ。いや、」

 名残惜しそうに振り返る笹木を急かすよう爪先を道の先へ向ける。黒猫だったと思うんだけどよ、寒気のする呟きへ適当な相づちを打って歩き出せば、笹木の気配も後を追うのがわかる。

 残念そうで微かな鳴き声が聞こえたが振り向かなかった。派手な女はさっさのタイプやないで。

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