名付けと見た目

正月気分も薄らぐ季節となり、町の正月飾りが取り払われた安政元年一月————


土方は、桜色の髪の女の子と出会い、"千夜ちよ"と名付けた。


名前の由来なんて、出会ったその日の空に星が幾つも輝いていた。千以上の綺麗な星を見て、彼女に出会ったのが、もう夜に近かかったこともあり、その名を付けた。


子供らしいふっくりとした小さな手は、白い餅の様に柔らかく、それを覆い隠してしまう自分の手は、彼女の手とは対照的に、黒くゴツゴツとして薄汚れている様に感じた。


「お兄さん、名前なんて言うの?」


クリクリとした透き通った目が、こちらを見る。全てを見透かしてしまいそうな碧い瞳に、土方は、目を背けながらも


土方歳三ひじかたとしぞう。」


そう名乗った。


「じゃあ、"としにぃ"だね。」


そう呼んでくれ。と言った訳じゃない。ニッコリと微笑みながら、彼女がそう呼ぶと決めたのだ。どう呼ばれようと構わなかった。


毎日が退屈で、毎日が同じ事の繰り返し。土方にとって彼女との出会いは、宝物を見つけた時の様な驚きと興奮があった。


***


少し前の記憶を思い出し、腕の中の小さな温もりを抱きしめ直す。スヤスヤと寝息を立てる彼女を見て、口角が上がるのは、その穏やかな時が土方にとって、かけがえのないものとなっているからだ。


しかし、何処の誰とも分からない子供を連れ帰って歓迎してくれる筈が無く、異人の様な容姿に、土方の兄弟ですら、嫌な顔をした。


それが、よほど気に食わなかったのか、土方は、自室に彼女の腕を引き閉じこもった。犬、猫とは違う!っと、大声を上げた、親代りのノブにも目もくれずに…


それが、一週間も前の話しだ。


彼女は、この家に来てから六畳の部屋からほとんど出た事が無かった。厠は、土方の部屋を出て、すぐ側にある。風呂は、皆が居ない昼時と決まっていたし、家の中が、どうなっているのかさえ知らなかった。


腕の中の温もりをそっと離し、よく眠っている彼女の寝顔を見てから、土方は、厠に行こうと部屋を出る。だが、すぐに部屋へと戻ろうとした。


「————歳三っ!!」


出くわしてしまったのは、口煩い"ノブ姉"だ。


「デケェ声出さねぇでくれよ。起きっちまうだろ?」


観念したのか、振り返った土方の前には、気の立った目付きでこちらを見据えるノブの姿。


その瞳の底には凄まじい嵐が潜んでいる様に見える。


「………。」


だが、いくら待っても何も言わない彼女に土方が痺れを切らす。


「なんだよ?

話しがあるから引き止めたんじゃねぇのか?」


何も言わないなら部屋に戻るだけだ。と、襖に手を掛けた。


「どういうつもりなの?あんな小さな子を部屋に閉じ込めてっ!!」


ノブの金切り声がその場に響く。

千夜を心配しての言葉だと土方は、思った。しかし…


「あんな、

あんな————化け物みたいな子っ!」


一瞬、耳を疑った。己の血を分けた姉が、千夜を化け物だと言った。どこにでも居る可愛らしい女の子を…


ただ、髪と目の色が、他の子と違うだけなのに————


じんじんと音を立てて湧き上がる怒りは、とどまる事を知らない。己の手が伸び行く先は、ノブの胸ぐら。


しかし、その手は、風を掴む。


————ガタンッ!


そう部屋から音が聞こえたから…


あの穏やかな時が、ガタガタと音を立てて崩れていく。そんな感覚が土方を襲った。


「……ちぃ?」


いくら待っても、呼んだ人物から返事は返って来なかった。いつも、どんな時も、返信をしてくれたのに…


「————ちぃっ!?」


急いで襖を開ければ、中から冷たい風が吹き抜けた。中庭に抜ける戸が開いて居て、布団には、誰も寝て居なかった。


まるで、あの桜色の髪の女の子は、居なかったかの様で、土方は、誰も居ない布団に手を置いた。


アレは、幻なんかじゃない。それは、布団に残ったぬくもりが教えてくれた。


「早く、見つけなきゃ…。」


————早く、見つけてやらなきゃ。


堪えがたい焦燥しょうそうを感じながら、土方は、辺りを見渡す。


「居なくなったら、ほっときなさい。」


まるで、邪魔者を追っ払ったかの様な姉の声に、土方は、苛立ちながら声を出した。


「異人がどうなるか知ってるか?

見世物にされて、————殺されるんだとよ。」


そんな事件が多発していると聞いただけで、それがしょっちゅう行われている訳では無い。実際のところ、土方だって見た試しは無い。


だが、それを聞いたノブの顔は、明らかに青ざめていった。


「それでも、ほっとけって言うのかよ?」


「……。」


「人は、見た目で判断しちゃならねぇ。そう教えてくれたのは、ノブ姉じゃなかったか?」


そう言うや否や、土方は、千夜を探す為に外へ飛び出して行った。ただ一枚の着流しだけを着た薄着に素足のままで…


「……私、なんて事……。」


やり場のない後悔が胸を噛んで穴をあける。どんなに悔いても、一度言ってしまった言葉は、取り消せない。


その場に取り残されたノブは、膝から崩れる様に冷たい床に腰をつけたのだった————

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