第34話 フィスリールの生い立ち

 東の大陸のエルフの里で大精霊の儀が終わってしばらくした後、西の大陸でフィスリールの大精霊の儀が無事執り行われた事が映像記録と共に送られてきた。

 西の大陸のエルフの長老たちは、西の大陸のエルフに伝わる精霊舞と寸分すんぶん違わぬその扇の舞の様子を見るにつけ、海を隔てているはずの東の大陸のエルフと西の大陸のエルフは、遠い昔の起源ルーツは同じ可能性に思い至っていた。


「言葉も同じわけだし、思い至って当然よの」

「それにしても美しい舞よ」


 伝統の衣装に身を包み、連綿と受け継がれた精霊舞を舞台の上で完全にトレースしてみせたフィスリールの姿は、東西エルフに共通する感銘を与えていた。しかし問題はそこではなかった。


「最後の虹色砲弾エレメンタル・バスター……とんでもないのぅ」


 大精霊の儀を他の幼子と時期をずらして行うために、予定より早い四十三で執り行ったため五十になるまで仮成人という扱いとのことだが、控え目に見ても成人の資格は十分以上だった。

 西の大陸のエルフたちはフィスリールが全力で精霊魔法を放つ姿を一度も見たことはなかったので、大精霊の儀という嘘偽りが許されない場で撃たれた全力の虹色砲弾エレメンタル・バスターに度肝を抜かれていたのだ。当たり前だが、六属性を完全に均等な割合で収束させる必要がある虹色砲弾エレメンタル・バスターは複合魔法の最高峰だ。当然、それより少ない属性の複合魔法は全て使いこなせるだろう。それも、あの規模の精霊力でだ。


「なるほどねぇ。制御ができるまで港町ボルンの庭園に戻ってこられなかったわけだ」


 こんな威力の精霊弾を撃つフィスリールが制御を誤ったら、精霊の守護を持たない人間の体など直撃せずとも余波のみでバラバラに吹き飛んでしまう。そんなことになれば、あの優しい子の心は壊れてしまうだろう。あの子が全力を出さねばならない機会が訪れないことを祈るばかりさね。


 ◇


 同じころ、シリルの里では絶え間ない訓練が続けられていた。そこには、目隠しをしながら三方向から絶え間なく投げつけられる木片の悉くを、魔力感知による剣の結界で余裕をもって撃ち落とすセイルの姿があった。


「よし、もう近距離感知は完璧だな」


 三方向から木片を投げつけていたエルフの男が投擲をやめセイルに終了の合図をすると、セイルは息を吐いて目隠しを外した。


「これからは戦時魔力維持の方に重点を置くか」

「そうだな、従属精霊に魔力を蓄積する必要もあるしな」


 わかったと言葉短く答えるセイルは、すっかり精悍な顔つきに変わっていた。グレイルが三年で成長したように、シリルの里の総力を挙げて英才教育を施したセイルも心身ともに目覚ましい成長を遂げていたのだ。強靭に鍛えられながらも動きを阻害しないしなやかな筋肉、剣の結界を維持する常時魔力展開。いまやセイルは魔獣の洞窟でボス級魔獣を一人で討伐できるまで成長していた。


 そんなセイルの様子を見ながら気楽な様子で話しかける成人エルフの男たち。


「いやぁ、本気でよくここまで育ったと感心してるわ」

「俺らが同じ年齢のときを考えたらヤバイくらいに成長してるぜ」

「ほんとに、何と戦うんだって話だよなぁ」


 しかし喜ぶ素振りも見せず男たちに黙礼し、木に吊るした木片に向かってストイックに剣を振り始めるセイルに、顔を見合わせて肩を竦める三人。しかし、ふと何かを思いついたのか、後ろを向いて悪戯っぽい表情を浮かべるとボソッっと呟いた。


「この間のフィスちゃんの精霊舞、綺麗だったな」


 ゴツン! 後ろからセイルが反動で帰ってきた木片を頭にぶつけた音がした。まだまだ修行が足りないなとばかりに、顔をニヤニヤとさせて振り返った男たちは口々に話し始めた。


「精霊の儀の映像記録を西の大陸に送ったらしいぜ」

「あの舞を見たら向こうの若いのも黙っちゃいないだろうな」

「ああ、今頃死ぬほど鍛えているに違いない」


 なんせライルさん、剣でパパに勝てない男には嫁にやらんとか言っていたしな。そんな馬鹿なと酒の席での冗談と笑う三人に、ライルは息を巻いて言い放った。


「絶対に僕が先にライルさんに勝って認めてもらう!」


 いや、そりゃ無理だろ。と、柔らかい物腰とは裏腹に剣の鬼のようなライルを思い浮かべ、そこで三人は突然理解してしまった。


「待てよ? ひょっとしてフィスちゃんの頼りになる男性像は父親のライルか」

「嘘だろ!? きっつ!」

「おいセイル、冗談抜きでまだまだ全然足りないぞ」


 いつの時代どの種族でも、嫁取りに立ちはだかるのは父親であった。セイルが望むところだと! と気合を入れ直して木剣を正眼に構えたのを見た三人のエルフは、互いを見てうなずき合うとギアを最大に上げた速度で打ち込んだ。

 シリルの里に、いつまでも木剣を打ち合う音が木霊した。


 ◇


 グレイルとドイルは、コルティール婆さんが持ち帰ったフィスリールの大精霊の儀の様子を食い入るようにみていた。伝統の装束に身を包み、扇を巧みに操りながらクルクルと回転して紫銀の髪と衣装の装飾を舞わせる姿は、ただただ美しかった。


「綺麗だ……」


 それと同時に、四十三にして見せた一切の淀みのない精霊舞は、彼女が体術において並々ならぬ鍛錬を積んでいることを証明していた。

 やがて、最後に大空に向かって打ち上げた虹色の霊弾を見て驚嘆した。これは複合魔法? 一人で? そう思って茫然としていると、いつの間にか宴会の様子に変わっていた。その中で、かつて商業ギルド前で合った剣聖級の殺気を感じさせたフィスの父親が、自分に剣で勝てない男じゃないと嫁にやらんと言っている様子が映っていた。


「婆さん、里の剣聖に勝つにはどれくらいかかるんだ?」


 なにを寝ぼけたこといっとるんじゃとコルティール婆は胡乱な目を向けたが、いいから教えてくれと強く言うグレイルに、考え込むようにして答えた。


「そうさの……そなたなら数千年あれば十に一つくらいは勝てるじゃろ」


 なぜそんなことを聞くのか問う婆さんに、先程の酒の席のライルの映像を再生してみせて、初めて会ったときにフィスを背に守る父親から里の剣聖に近い気を感じたことを告げると、婆さんは少し考えたあと、嬢ちゃんの祖父母は二人とも碧眼の瞳を持つから血の滲むような鍛錬を積んだのだろうと、パズルのピースがはまったかのような納得した表情をみせて話を続けた。

 祖父母は息子におのが持つ全ての魔法戦技を伝えられなかった分まで、常識からくる限界を一切排除した魔法教導を孫娘に施し、そして、おそらく緑瞳に生まれながらも碧眼の祖父母に恥じぬ息子であろうと弛まぬ努力と研鑽を積んだ剣術と体術を、それが当たり前というように振る舞う父を見てフィスリールは育ったのだろう。


「嬢ちゃんが天然に育つわけじゃ」


 誰ぞ嬢ちゃんに常識を教えてやれと思う一方、それを良しとはしない事をカイルの目から読み取っていた。また、コルティール婆も、それが全く正しいと理性ではわかっていたから、老エルフ同士ならではの阿吽の呼吸でフィスリールに告げる事はしなかったのだ。


「フィスちゃんはもう成人したのか?」


 なら結婚を申し込んでも大丈夫だな! と脳天気に言うドイルに思考の海から引き戻されたコルティール婆は、


「五十になるまでは仮成人さね」


 だから馬鹿な事するんじゃないよ! とがなり立てた。でも、そうさね……コルティール婆は口に手を当てて思案を巡らせ始めた。

 嬢ちゃんの父親はマメで娘には優しかろう。自分がそうして苦労した分、他人を思いやることには人一倍のはずだ。ならば、嬢ちゃんの留守中、庭園をさりげなく綺麗に手入れしておくくらいの男のマメさを見せるのは、父親を見て育った嬢ちゃんには刺さるかもね。

 目を閉じながらそんなことを呟いた後、まあ、そこまで気にすることは無いかと顔をあげると、魔導再生機だけを残してグレイルとドイルは忽然こつぜんと姿を消していた。


阿呆あほどもが! 片付けてから行きな!」


 知恵袋の婆さんが読みを違えたことは一度もないと、我先に港町ボルンの北の庭園に駆けていった二人に、コルティール婆の怒鳴り声が響き渡った。

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