第四章 7
「アルフレッド!?」
「人の婚約者をいきなりこんなところに連れ出して何のつもりなのかなあ?」
言いながら背後から体ごと抱き込まれる。
「連れ出すも何も、ここは城の敷地内だろ?」
「外れも外れ、人も獣も近付かない禁足地おまけにさっき君ら二人がいた場所から二キロ以上、これを拉致と呼ばずしてなんて呼ぶつもりなのか聞いてみたいね僕としては」
「城内を移動しただけなのにか?」
「その手段が問題だって言ってんだよ、いくら君の後見人がナディル準公主でも城内で魔法を自由に使っていいなんて許可は出していない」
「魔法なんて使ってないぞ、俺は魔法使いじゃないからな」
「何、だと?」
アリスティアから丁寧に腕を外したアルフレッドがゆっくりカイルの胸倉を掴む。
「高速で移動しただけだ。移動手段は俺の足だ」
「はっ!?」
ぐい、とアルフレッドがカイルの掴んだ胸倉を更に引き寄せる。
「ティア?」
埒があかないと察したアルフレッドはカイルから目も手も離さず声だけで問う。
「えぇと……」
カイルの許可なく今の話を伝えていいものか迷うアリスティアをよそに、カイルは淡々と口を開く。
「俺は母方から魔獣の血を引いている。だから人より少しばかり身体能力が高いんだ」
「貴様…!なんでそれを今まで黙ってたっ?」
「あんた達が俺を雇わなかった時は必要のない情報だからな」
「へぇ?なのになんで俺の婚約者にだけは話したんだ?」
「彼女は変わってるからな。言っても引かない気がしたし言わなくてもいずれ気がついただろ」
妙に確信めいたカイルの言にアルフレッドの顔が険しくなる。
「それが、俺の婚約者を勝手に連れ出したことへの言い訳になると思ってるのか?」
「連れ出した訳じゃない、ただの城内散策だ。閉じ込められて気が滅入ってたみたいだからな」
「閉じ込めてた訳じゃない!彼女を守る為だ」
それがわかってるからアリスティアも従ってるのだ、でなければ勝手に出て行ってしまっていただろう___こいつは、何もわかってない。
「賊の一人や二人、護衛がいなくても自分でいなせるだろ?何故閉じ込める必要がある?」
「あるからやってるんだ!いいか?ティアは聖竜の加護を持つ乙女だ、各国から狙われてる。いくら彼女が強い魔力の持ち主でも単純な力比べでは男に勝てないし、意識を失わせれば無力化したも同然なんだ。お前の物差しで測ってんじゃねぇ、危険は常にあるんだよっ!」
常にないアルフレッドの様子にアリスティアは息を呑む。
「いいか?お前の戦闘力がいかに高くたって肝心な時にそれが役に立つとは限らない、強すぎる力は「そうか__」は?」
「ライオスの言ってた聖竜の加護を受けた乙女って、あんただったのか」
「……は?お前まさか知らなかったのか?」
毒気を抜かれたのか、アルフレッドの声音が呆れを含んだものに変わる。
アリスティアも同様だが、言われてみればライオスはあの時セイラ妃殿下のメッセージを受け取った云々と言っていただけで聖竜の事については言及していなかったなと思い至る__そもそも興味がなさそうだったし。
アルフレッドも少し考えて同じ結論に至ったらしいが、
「だとしたら尚更だ、聖竜の翼を借りられるなら彼女はどんな相手からも逃げ出せる。何故城に閉じ込めようとする?」
「聖竜の翼は辻馬車みたいにほいほい借りられるものじゃないからだ」
それは言えてる、とアリスティアはアルフレッドの背後でこくこくと首肯する。
何しろジャヴァウォッキーには「気がむいたら」と言われているのだから。
「信頼しあってるから婚約したんじゃないのか」
「何だと?」
「信頼してるなら閉じ込める以外の方法が取れるはずだろう、何を不安がってる?」
「…!…」
「彼女はあんたの婚約者としてここにいるのに、何が不安なんだ?」
「貴様、今の俺の話聞いてたか?__まあいい、いずれわかる時が来る。ティアの側にいるならね。帰るよティア、護衛が心配してる」
カイルから手を離してアリスティアの肩を抱くと、アルフレッドはカイルを置き去りにしてその場を後にした。
「あの…、ごめんなさい、まさか二キロ以上も離れた場所に来てるとは思わなくて」
護衛からもあれでは一瞬で目の前から消えたようにしか見えなかっただろう、申し訳ない事をしてしまった。
「いいけど。奴の言うことも一理あるし」
「え?」
「奴のあの能力も使い方さえ間違えなければティアを守る盾になる。けど、番いを求める獣は何より危険なものになる__だから、気をつけてね?」
「? はい」
「うん、全然わかってないのがティアらしいけど、とにかく奴と二人きりにならないこと。いいね?」
よくわからないが頷いてみせると、
「はぁ、普段はあんなに舌鋒鋭いくせに……」
アルフレッドが項垂れながらぶつぶつ言ってる内容は聞き取れなかった。
その日の夜、アリスティアは与えられた部屋のバルコニーから夜の庭園を見降ろしていた。
ここは一般家屋では五階に相当する高さなのでバルコニーに出るのは禁じられておらず、眼下には月明かりの下様々な花が咲き誇っているのが見渡せ、人の往来もないので花の香りだけが漂うのを思い切り吸い込む__と、そこへ「ご機嫌だな」と声がかかり固まった。
「カイルっ……!?」
いつのまにかバルコニーの手すりにカイルが腰掛けている。
今しがた来たばかりの筈なのにまるでずっといたかのような佇まいで__いや、そこではなくて。
「あの、何か緊急の用でも……?」
そうでないなら、早々にお引き取り願わないといけない。
アルフレッドに注意されたばかりだ。
「心配だったんだ。あの王子、婚約者とあの後喧嘩になったんじゃないかって__あいつ、頭が固そうだったし」
「かっ……!」
思い切り噴き出しそうになり慌てて自分で口を塞ぐ。
この城の中で一番柔軟に考え行動するアルフレッドをして「頭が固そう」ならばあの石頭の王太子やギルバートならどうなってしまうのか__、想像して堪えきれずにクスクス笑うと、怪訝そうに訊かれた。
「……そんなに笑えること言ったか?」
「ええ、だって、レッドは私が知る限りとても柔軟な思考の持ち主ですもの」
「……本当に仲がいいんだな。あんたが聖竜の加護を持つ乙女だって聞いたからもしかして政略なのかと思った」
「良いかどうかわかりませんが、ちゃんと私の自由意思を尊重してくれる人ですよ?」
「__ならよかった」
その顔を見て“ああそうか”、と納得する。
普通ならここは「これ以上誤解を招くといけないから」と近寄らないようにするところだがこんな風に様子を見にきてしまうあたり__彼はそうした貴族の扱いを受けて育ってきていない。
だからその辺りのことも読めないのだろう、無垢な人だ。
「__あんたと、毎日言いたいこと言い合って喧嘩もしたり__そんな風に過ごせたら楽しいんだろうな」
「番いじゃなくても、そんな時間は過ごせますよ?友達として散歩したり話したり、それから好きなものについて語ったり。それなら簡単でしょう?」
「俺に、そんな相手が出来ると思うか?」
「はい」
間をおかず首肯くと知らず互いの距離が近付いているのに気付く。
密やかな約束をするように顔を寄せて会話をしてしまっている状態に(いけない)と慌ててカイルと距離を取ろうとするより先に、
「ティア!」
とドアを蹴破るようにアルフレッドが飛び込んできてしまった。
「これ以上彼女に近寄るな。騎士採用の話は無しだ、貴殿にはすぐに国にお帰りいただこう。手続きはこちらでしておく」
とだけ告げ、アリスティアを抱き上げて部屋を出た。
__
アルフレッドはアリスティアを抱いたまま自室まで辿りつくと、ベッドにアリスティアを放るようにして、そのまま覆い被さってきた。
「レッド……?!」
アリスティアがのし掛かってくるアルフレッドを腕で押し戻そうとするも、その腕は簡単にアルフレッドに押さえ込まれてしまう。
腕をベッドに押し付けられる形で胴体までぴったりと密着した状態でまともに息もつく事も出来ず、目の前のアルフレッドを見つめる。
「奴と、二人きりにならないって、約束したよね?」
きゅ、と握られた腕に力が込められ、耳元を吐息が掠めたかと思うとチュ とリップ音が耳に響く。
首筋にキスを落とされたのだ。
「気がついたら、バルコニーに、いて……!」
痛みと息苦しさに呻きながらそれだけ言うと、
「うん。それで?」
そのままぺろりと舌を首筋が這い、
「ま、待って!レッド、違うのカイルは……!」
「“カイル”ねぇ。君が男のファーストネーム呼び捨てにするって凄く珍しいよね?しかも出会って間もない相手に」
「それはっ……、」
それ以外知らないからだ。
自己紹介の時「カイルだ」とだけ名乗られた、それだけなのに。
そんなアリスティアの内心をわかっているのかいないのか、アルフレッドは冷淡さと獣欲の両方を滲ませた瞳で見降ろし、
「君ってほんと残酷だよね?__僕が今までどれだけ自制してたかわかってて言ってるの?」
言いながらアルフレッドはアリスティアの服の胸元を乱暴に引き裂く。
「レッド……!」
いきなりの暴挙にさすがにアリスティアも非難の声をあげそうなるがアルフレッドの唇がそれを塞ぐ。
そのまま抑えこまれ、胸元に伸びてくる手から逃げようと足掻いて。
「やぁっ……!」
恐怖と共に叫ぶが、アルフレッドが止まる様子は無くアリスティアの両腕を頭上で絡げると、もう片方の手でスカートをたくしあげながら足を下からまっすぐになぞり出した。
「いやっ!」
叫ぶアリスティアに、
「駄目だよティア?もう僕たちは婚約者同士なんだから、何かあったって問題ないんだよ?紳士でいようと思ってたけど、君は獣の方が好みみたいだから、さ?」
そうペロリと赤い舌を覗かせる姿は獣にしか見えなくて。
「おとなしく僕のものになって?」
その瞳にアリスティアは総毛立つ。
これは誰?
__知らない。
こんな人、知らない__チャラいところはあっても、本音をいつも隠していても、約束はちゃんと守るし、いつだって自分の意思を尊重していてくれたアルフレッドのこんな顔を見た事は無い。
アルフレッドの知らない顔に、アリスティアは心底戦慄して悲鳴をあげた。
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