第9話 元勇者の魔王、刺激的な目覚め
何だろう。
何故だか身体が気持ちいい。
目覚めよりも早く、身体からの感覚によって意識の覚醒が促される。
起き抜けの上手く回らない頭で、どうにか現状を把握しようと努める。
視線を下げれば、身体には布団が被さっている。
異常はやはり、そこにあった。
布団が不自然に蠢いている。
当然、自分で動かしているわけではない。
その異様な光景を目の当たりにして、一線級の冒険者としての反射神経が働いた。
布団を思いっきり剥ぎ取る。
すると、そこには透明なゲル状のものに覆われた自分の下着姿の肉体があった。
しばらく思考が停止していた。
ようやく再起動を果たした思考が、現状への解を導き出してみせた。
スライムだ。
理由は定かではないが、何故かスライムたちが俺の身体を覆い尽くしていた。
……これは一体何のプレイでしょうか?
今なお俺の身体の表面を、スライムたちが蠢いている。
何のつもりかは知らないが、取り敢えず離れて貰おうか!
スライムを鷲掴みにして、放り投げていく。
一回、二回、三回。
別段、濡れているわけでもないが、未だ滑り気を感じずにはいられない。
手で触れてみると、何とも意外なことに肌がスベスベになっている。
試しに顔を触ってみるが、こちらはいつもと変わらない。
どうやら、スライムが張り付いていた箇所だけがスベスベになっているようだ。
老廃物やら角質やらを取り除いてくれたのだろうか?
む、ちょっと待てみようか。
それってつまりは、俺が食べられていたに等しいのではなかろうか?
…………。
ベッドに上がるように促したのは俺だが、それは寝るためであって、俺を饗するためでは断じてない。
いやいや、少し落ち着こうか。
相手は魔物。
人間とは生態も思考も異なるのだ。
人間の尺度でのみ物事を考えるのは、早計というものだろう。
身体に異常は見受けられないし、感じられもしない。
溶かされていたとかではないし、そう目くじらを立てるものでもない。
逆に肌がザラザラとかガサガサとかになっていたら、少しは文句の一つも言ってやるべきだったかもしれない。
だが、肌がスベスベになったんだから、むしろ良かったではないか。
仲間の一人だった僧侶さん辺りが知れば、きっと狂喜したことだろう。
すぐさま奪い取って利用し兼ねない。
普段は大人しい清楚な人柄だったが、美容とかには人一倍気を使っていたようだったし。
今も元気にしているだろうか。
……いや待て、何だって?
僧侶さんがスライムを身体に張り付けている、だと?
…………………………………………………………。
――ハッ!?
い、いかんいかん、何を考えているんだ。
いや、何も考えてなどいない、断じてだ!
昨日といい今日といい。
妙に仲間のことを思い出している気がする。
王都で別れた後、思い出すことも無かった。
まさか、な。
仲間を心配する気持ちもまた、抑制されていたのだろうか。
それか、単に薄情なだけか。
『マオウサマ、オメザメ!』
『ナゲラレタ!?』
『オコッテル?』
思考が逸れていたところに、頭の中に声が響いてくる。
例に違わず、スライムたちだった。
「……念の為に確認しておきたいんですが、どうして俺の身体に張り付いていたんですか?」
万一ということもある。
相互理解のためにも、疑問を疑問のままに放置せず、色々と確認しておくのは大事なことだ。
『オナカ、スイテタ!』
『ハラヘリ、ヘリハラ!?』
『ゴハン、チョウタツ?』
するとそんな答えが返ってきた。
そういえば、俺も昨夜は食事をすることなく、寝落ちしてしまっていた。
スライムの一日の食事量は不明だが、腹が減るのは生きている以上仕方の無いことではある。
その食事が俺であったことを除けば、だが。
「……それで俺を食べていたんですか?」
『タベル、チガウ!』
『チョット、ダケ!?』
『イツモハ、ハッパ?』
「ん?」
『ドウブツ、ハリツク!』
『ヨブン、モラウ!?』
『モチツ、モタレツ?』
「んん?」
根気強く話を聞いてみると、どうやらこういうことらしい。
普段は動物の表面に張り付き、俺にしたように余分な老廃物や角質やらを取り除き、栄養の足しにしているらしい。
まぁ、それは本格的な食事というわけではなく、あくまでも間食というか、場繋ぎ的なもののようではあるが。
ちなみに、主食は生物の死骸や落ちている果実や枯草なんからしい。
これは結構意外な真実だった。
というのも、先入観というか、スライムの一般的なイメージとして、生物を吸収して溶かしている印象があったからだ。
もしかしたら、俺が討伐した魔王が存命の頃は、狂暴化したスライムが生物を捕食していたのかもしれないが、今現在ではそういうことはないようだ。
やはり、魔物の生態を正しく知る必要がありそうだ。
スライム以外にも、今現在では無害化している魔物が多数存在していてもおかしくない。
現に、魔物による被害どころか、魔物の目撃例すらも稀になっているのだから、それ程的外れな想像ではないように思える。
ともあれ、俺も食事を取りたいところだが、例によって宿屋での食事は宿代の滞納により、俺には提供されていない。
必然的に外に食べに行く他ないのだが、昨日の分で軽食すらも購入できない残金しかない。
……そういえば、昨日利用した転職場で支払いを要求されなかったが、あれは無料だったのだろうか?
うーむ、確か国営だったはずだし、それでかもしれないな。
あれが有料だったら、転職することすら叶わなかったかもしれない。
昨日支配してしまった王様に感謝の念を送っておこう。
――あなたのお蔭で魔王に転職することができました。
あれ?
何か違くね?
ま、まぁ、何においてもまずは金だ。
今から冒険者ギルドに向かい、採取クエストをこなして食事を取るとしよう。
――と、そこでスライムたちをどうしようかと思い至る。
この部屋に残しておき、何らかのトラブルに見舞われたりでもしたら。
それこそ宿屋の女将が掃除のために入室して来ないとも限らない。
部屋に残していくのは危険か。
部屋を漁り、旅で使用していた大きめの肩掛けバッグを見つける。
この中に入っていてもらうとしよう。
クエストついでに、スライムたちの食事も見つけられれば言うことなしだ。
「それでは、食事のためにも仕事をするとしましょうか。君かちはこのバッグの中に入っていてください。良いですか? くれぐれも動かないようにお願いします」
『オデカケ、オショクジ!』
『オシゴト、オツトメ!?』
『ショクジ、モトム?』
スライムたちをバッグの中へ入れ、手早く身支度を整える。
防具は昨日、洗濯籠に入れたばかりだ。
代えもないし、普段着でいいか。
どうせ今のステータスなら、初期防具なんか必要ないしな。
そうして部屋を後にする。
相も変わらず、外は雲一つない晴天だった。
珍しく宿屋の女将と遭遇することも無く、宿屋を出ることができた。
いつの間にかそばに居たり、扉を開けた先に居ることが多い。
宿屋の中限定とはいえ、かなりの遭遇率を誇っている。
不意に遭遇すると、今でもかなり怖い。
その所為か、宿屋の中では気配を探りながら移動する癖が付いてしまった程だ。
にも拘わらず、不意の遭遇を回避できないのは如何なる理由か。
Sランクの冒険者を出し抜いてみせたのだから、宿屋の女将は只者では無い。
……実は真の魔王とかではないよね?
それだと俺、勝てる気しないんだけど。
妄想を繰り広げる頭を余所に、足は着実に冒険者ギルドへの距離を縮めていた。
バッグの中のスライムたちも大人しくしてくれている。
一番の難所は冒険者ギルド内だ。
あの場所でスライムたちの存在が露見すれば、火が付いたような騒ぎとなるであろうことは想像に難くない。
今の俺でもその場の全員を制圧するぐらいは訳無いだろうが、冒険者ギルドで依頼を受けられなくなっては目も当てられない。
なるべく目立たず、素早くクエストを受領して立ち去るのが無難だろう。
考えをまとめつつ、冒険者ギルドを目指す。
四階建ての建物。
冒険者ギルドへとやってきた。
建物内に入ると、昨日訪れた時より人が少ないのか、カウンターにいくつか空きが見受けられた。
その内の一つへと向かう。
するとその途中、正面カウンターの左右にあるテーブル席の内、左奥から騒がしい声がした。
内容までは聞き取れないが、誰かが怒声を上げているようだ。
トラブルは避けたいので、なるべくそちらは見ないようにして、カウンターへと辿り着く。
「お疲れ様です、冒険者様。ご用件は何でしょうか?」
受付嬢がすぐさま応対してくれる。
昨日とは違う人だ。
シルバーブロンドのショートヘアで、知的な印象の眼鏡美人。
一般人とは気配が異なる。
元冒険者だろうか。
「採取クエストを受けたいのですが」
「採取クエストでございますね? それではギルド証の提示をお願いいたします」
「はい、これです」
「――はい、ご本人様であると確認させていただきました。ギルド証はお返しいたします。現在、採取クエストは三つ依頼がございます。一つ目は薬草を10個、二つ目は毒消し草を10個、三つ目は月下草を1個の納品となっております。如何なさいますか?」
「そうですねぇ……」
薬草と毒消し草に関しては、かかる労力は左程変わらない。
月下草だけは、夜間、それも月が出ている間しか花を咲かさない珍しい植物だ。
これだけは採取時間と納品時間が限られている。
月の出ている間に採取と納品を済ませなければならないのだ。
だが、条件が限定的であるが故に、報酬は他の採取クエストよりも桁が一つ違ってくる。
本来であればこれ一択なのだが。
如何せん、今はなるべく早く食事にありつきたい。
「では、薬草と毒消し草の二つでお願いします」
「畏まりました。――では、こちらが依頼書の写しとなります。ご用件は以上でよろしかったでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
「本日はご利用いただきありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
受付嬢に見送られながら、二つの依頼書を手に、冒険者ギルドを後にする。
――つもりだった。
だが、そこで思わぬ邪魔が入る。
「――おい、そこのオマエ! やっと見つけたぞ!」
「やっぱり冒険者だったのか、テメェ! 昨日はよくもやってくれたなぁ、オイ!?」
「…………」
先程騒がしかった左奥のテーブル席。
そこから身を乗り出してこちらに向け大声を張り上げているのは、昨日の下水道の三人組だった。
いや、正確には、騒がしいのは二人だけで、もう一人は相変わらず無言。
どうやら無事に自力で起きられた様子だ。
もっとも、元気が余り気味だったらしい。
起きてすぐ、この冒険者ギルドで網を張っていたのだろう。
……もう少し強めに一撃を見舞っておくべきだったか。
あからさまに面倒事の気配が増していく。
「テメェ、人の獲物を横取りしておいて、何シカトぶっこいてくれてんだ、コラァ!?」
「払うもん払ってから、オレたちに詫び入れろや!」
三人組が席を立ち、こちらへと近づいてくる。
しかし、よくもまあ、あれだけ一方的にあしらわれたにも拘わらず、こうして絡んでこれるなぁ。
ある意味関心してしまう程の無神経さではあるが、今は迷惑極まりなかった。
仕方がない、路地裏辺りに連れ出して大人しくさせるに限るか。
そんなことを考えていると、女性の声が掛けられる。
「――冒険者様。大変申し訳ございませんが、当ギルド内での暴力行為は一律禁止されております。こちらに違反されますと、向こう一年の当ギルドの利用資格の剥奪となりますが、それでも構いませんでしょうか?」
先程の受付嬢だった。
眼鏡の淵をクイっと手で押し上げつつ、眼鏡の奥から全く笑っていない目でこちらを睥睨している。
「えぇっ!? い、いや、それは困るぜ。なぁ、おい?」
「あ、あぁ、そんなことになったら、食いっぱぐれちまうぜ」
「――では、暴力行為は行わない、と?」
「あ、あぁ、勿論だとも!」
「そ、そうだぜ。オレたちは暴れたりなんてしねぇよ!」
「――畏まりました。ですが、余り悪目立ちされますと、当ギルドから罰則が与えられる可能性もございます。今後とも適切なご利用をお願いしたします」
「わ、分かりました!」
「い、以後、気を付けますですはい!」
……とりあえず、ひと悶着起こさずに済んだらしい。
やはりと言うべきか、あの受付嬢は元冒険者なのだろう。
それも、このフロアの冒険者たちよりも、かなり強いランクの。
Bか、もしかしたら、Aに届くかも。
ともあれ、受付嬢に感謝!
三人組の気が俺から逸れている隙に静かにその場を後にする。
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