第45話 足利義昭の御所を建設

孝一からの手紙

「織田信長という男について。信長の背丈は戦国時代としては普通、もしくは少し高めである。体躯は華奢で、軽量級のボクサーの様に筋肉質だ。髭は少ない方で、輪郭は細面で鼻筋が通っている。いわゆる男前といえよう。声質は快調で少し高めだが耳に心地よい。極度に戦を好み、軍事的修練に勤しんでいる。名誉心に富み、正義において厳格であった。気性の激しい面もあり、侮辱には懲罰をするが、人情味と慈愛もある。睡眠時間は短く、早朝に起床する。貪欲ではなく、決断を秘め、戦術には極めて老練で、とても性急である為、時に激高するが、平素は穏やかだ。戦雲が己に背いても、心気広濶、忍耐強い。信長は善き理性と明晰な判断力を有し、神や仏、占い、迷信などは信じない。幟にある様に、法華経を信仰しているかの様に振舞うが、それは形だけのものだ。ただ若干、禅宗には興味を示している。勿論、霊魂、来世の賞罰などの存在も信じていない。短所は、家臣の忠告を全くといっていい程、従わない。この頃になると家臣はみな信長を畏敬している。(あまり宜しくない)信長は好んで酒を飲まない。食も質素で少なめ。能や茶の湯を愛するが、趣味の範囲である。何事もほどほどを良しとした」


「織田信長を詳細に分析している。しかも全てが正しい。しかしなぜこんな事を書き記している?」


あおいは両手で紙を頭上に持っていき、暫くの間じっと字面を眺めていた。

岐阜城山麓には、掘割で囲まれた本丸があった。庭園造りの本丸の奥御殿には、ひと際目立つ建物がある。

地上四階建てのその建物の一階部分には、二十程の座敷があり、縁側の外には白洲が敷かれ、池や自然石を配した庭園が幾つもある。更に二階には、信長の正室である帰蝶の居室が設けられ、侍女の部屋も用意された。

二階にはとても美麗な縁側もある。三階、四階は茶室だが、開放的な御殿建築の上に望楼を乗せたものだ。

他の建物群とは外廊下で繋がっており、見た目は、庭園の中に造られた離れ座敷と茶室の様であった。


「それで、遥殿はなんと?」

読み終えた書状を畳む帰蝶の横で、志保が話し掛けた。

「息災だと申しておる」

「あの、あのお方に嫁いだのは、誠の事で?」

「遠山影影任の事か?」

そういわれると、志保は唾を飲み込んで頷いた。

「そう恐れる事はない。奥方が病弱で世継ぎもないと申すので、遥を行かせたのに、その後、直ぐに奥方がお亡くなりになり、遠山殿が遥を望まれ、婚姻したのである。遠山殿の希望じゃ」

「し、しかし、遠山様の亡くなられた奥方様おつやの方様は我が殿様の叔母で御座ります。すなわち、殿様のお父上である織田信秀公の妹、殿様の祖父である織田信定公の姫君」

「うるさい何度、殿様を繰り返すのじゃ」

帰蝶はいつもの様に両腕をひとつの脇息に掛け、上半身を置いた。

「おつやの方様がお亡くなりになった事を、未だ織田家に伝えていないのですよ。いつばれるかと、怖くて、もう夜も眠れない」

志保は大きな背中を丸め、頭を抱えた。

「伝えなかったのではない、お屋形が忙しくされていたので、お伝えする機会を失っただけじゃ」

「しかし奥方様、その後釜に遥が収まった事は?」

「後釜とは、口汚い」

帰蝶は自分の向きとは反対側にいる志保に振り返り、じろりと睨んだ。

「順序を違えただけじゃ。しかし今更、随分と前に叔母様がお亡くなりになりましたが、遠山様がお気に召されたので、わたくしの侍女であった遥が、めでたく正室となりましたと、いえるか志保」

「そっそんな口が裂けても」

志保は震える両手で口を押えた。すると帰蝶は脇息に凭れかけていた身体を起こし、自分の髪を撫でた。

「良いか志保、良く聞くのじゃ。殿が叔母のおつやの方様にお会いになる事は、この先もない。ゆえに遥が、おつやの方様と入れ替わった事も、殿は永遠に知らぬ」

「遠山様はともかくとしても、ご家来衆や、侍女らはお気づきになります」

「おつやの方様がお亡くなりになる前に侍女らは解雇しておる。家来衆は、織田家との諍いを嫌い、皆だんまりを決め込んだ。何も問題はない。全て順調に進んでおる」

「されど、かつてから気になっていることが御座います」

「なんじゃ?」

「果たして、どの様な伝手をお使いになり、遥殿を遠山家に遣わされたので御座りますか?」

「それはのう志保、あのお方じゃ」

帰蝶は窓の外に向かって顎を上げた。

「まさか」

顎の先には信長の生母、土田御前の居館がある。

「そのまさかじゃ。御母上は、遥を使って信長殿と、あの、あおいの仲を裂こうとお考えになったが、お屋形様が遥に興味を示す事はなく、それでも御母上様は諦めきれずに、ある日遥に、以前、身籠り死産した子は信長の子だと、お屋形様に直訴せよと仰せになり、その様な無謀な話を、遥もイチかバチか挑戦したが、当のお屋形様は知らぬ存ぜぬと。それはそうじゃあ、突然、身に覚えのない事をいわれてもなあ。いくらおなごをたくさん抱えていると申せ、酒を飲んで酔って記憶を失う訳もない殿に、そんな言掛りは通せぬ。おまけに頭に血が上った遥は、事もあろうに殿を討とうとし出奔。一人彷徨っていた遥を見かねた御母上が、遠山家に送り込んだのよ」

「遠山家に送り込んで、その先に何か企みがあるのですか?」

「わからぬ」

帰蝶は肩の凝りを解すかの様に首を回した。

「恐ろしい、何か、とても恐ろしい事が起きそうで」

「何が恐ろしいのじゃ」

腕を胸の前で十字にし、背中を丸める志保の顔を覗き込んだ帰蝶は、

「志保も歳を取ったのう、そないに怖がるのも、歳のせいじゃ」

「その様に仰せになられますが奥方様、殿様は、あの様なご気性のお方。奥方様も重々、ご存じの筈」

「志保、恐ろしいのは、お屋形様ではなく御母上様じゃ。既に遥に変わる次の刺客を、この城に送り込んでおる」

「傍女でござりますか?」

「そうじゃ、その彼女だ」

「しかしもう両手の指の数程、ご側室はいらっしゃいますし、それによって何が変わるので御座りますか」

「あのな志保。これまでのおなごは、お腹殿。あおいが二度と子を産めぬ身体ゆえ、他の側室は世継ぎの為の腹にすぎん。それでは意味がない。若くて見え麗しいとか、両家の御息女など、殿は興味がない。お屋形様のおなごの趣味は変わっておる。心安らぐ年増で、多少の醜女でも良いから、奥ゆかしい。亡くなった吉乃殿のような。あの方は美しかったが」

「はあ、で、そのおなごは?」

「御母上様がじっくり吟味したおなごじゃ。必ず殿の心に入り込むと自信満々じゃ。たしか夫が戦死した寡婦で子持ちじゃ。雅とか申したな?。京から殿が戻られたら、早速お目通りをさせると仰せじゃ」

「しかし、なにゆえ土田御前様は、それほどまでに殿様とあおいを引き離したいので御座りますか?」

その質問に、帰蝶は少し黙り込んでから眉間を指先で押さえた。

「簡単な事よ志保。慈しみ育てた次男を殺した長男が憎い。その長男が溺愛する、あおいが更に憎いのじゃ。これは愛憎劇じゃ」


その頃あおいは京都にいた。足利義昭の御所建築を見に来たらどうだと信長にいわれ、数日間だけ京都で過ごす事としたのだ。

きょうは細川邸に昔からある藤戸石という大石を御所に運ぶというので、その様子を見物にきた。

信長自身が細川邸に出向き吟味し、その石を綾綿で包み、色どり鮮やかな花々で飾り、大繩を何本もつけた。


「まあ、御石がきれいにお化粧されて」

同行していた侍女の美月が手を叩いて喜んだ。

「あれは、殿かしら?」

大石の周りには、笛、太鼓、鼓を持った沢山の人々が囃子たてている。その先頭に信長がいた。

「まあ、お殿様自ら」

見ると信長は大石を運ぶ指揮役を担っていた。大きな石を運ぶのは重労働である。それを祭りの様に騒ぎ立てる事で、通行人が足を止め、四方八方から歓喜の声が上がる。ただの労働を面白可笑しく演出し、人々の関心を呼ぶのが、信長の目的なのだろう。


祭り行列の後をついて御所に入ると、役目を終えた信長が走ってこちらにやって来た。

「あおい、おいで」

手首を持たれ、進んだ先には長方形の建物を囲むように桜の木が植えてあった。この日、あおいは平安貴族さながらの装束に、市女笠を被っていた。市女笠の周囲には薄い布、むしたれが垂れていたので、信長がそれを分けて、見やすい様にしてあげている。

「これは桜ですね。春になれば、ここでお花見が出来ますね」

「いや、ここは馬場だ」

「馬場、ここに馬小屋を建設するのですか」

「うん」

と信長は頷き、両手を大きく広げた。

「ここを桜の馬場と名付けようと思う。どうだ、御所にふさわしく雅であろう」

「本当に、雅で御座いますね」

といって、ふと何かが頭を過った。みやび?聞き覚えがある。

「あー」

と声を上げると、信長は訝し気な顔であおいを見た。

「如何した?」

「京に上る少し前、幼い男子をふたり連れた女性と麓の本丸で出会ったのです」

「お前、麓に下りていたのか?」

「ええ、雪が続いて暫く山から下りられなかったので、晴れたその日に、久しぶりに馬場に行き、とんじの様子を見に行っておりました」

とんじとは、あおいの愛馬の名前である。信長はうんうんと頷いていた。

「本丸の門で護衛の侍に、なにやら詰問攻めにあい困っている様子でして、近づいて、どうかしたのかと聞いてみたのです。すると、その女性は首を振るだけで何もお答えにならず、わたしとて、麓の本丸には入る術を知りませぬし、聞くところによると、麓の本丸には、帰蝶様がお住まいの居館があり、それはまあ豪華絢爛で、皆はそれを、麓の天守と呼ぶのだそうですが、家中の者、親しき者、何人なりと近寄れない堅固な警備が敷かれていると。なので、わたしなどが入れる筈もなく、どうしたら良いのかと悩んでいたのですよ」

「本丸には女子供しかおらぬゆえ、必然と警備が厳しくなる」

信長は腕を組み、よそを向いた。あおいは前に周り、あえて信長の視線の中に入った。

「暫くもたもたしていたら、突然、門戸が開き、中から見知らぬ女が、その女性を手招きし、雅殿とお呼びになったのです」

「それで、お前は何がいいたい?」

振り返った信長は眉間を寄せていた。こういう時は気分を害しているか、自分に都合の悪い時である。

「何が言いたいって、どういう事でしょう?ここの桜の馬場の事を殿が雅と申されたので、なんか聞き覚えのある言葉だなあと思っただけで御座います」

「下らない」

そう言い捨て、信長はさっさと別の場所に歩いて行ってしまった。

「あの態度」

「お方様が麓の天守のお話をするので、居心地が悪かったのでしょう」

付き添っていた良之はくすくすと笑っている。

「別に特別な意味はないのに考え過ぎだわ。ところで殿は奇妙な恰好でしたね」

「腰に巻いている虎革の事で御座りますか。あれは常に何処にでも座れる様にと、殿が工夫をされて」

「そうなのですか、殿らしいですね」

近頃、家臣らは信長をお屋形様から殿と呼び変えていた。良之もそれに習って殿と呼んでいる。

「それに粗末な衣服で」

「普請現場ですので、どの役職にある者でも、皆、同じように労働用の皮衣を身に着けております」

そう良之にいわれ、自分と良之、美月の正装を見比べた。

「わたしたちだけ浮いてません?」

「大丈夫です。見学に来る者は、正装している方が大半ですので、殿は、お方様が恥をかかない様にと、こういった衣を用意して下さったのですから」

今朝、着替える時に、こちらをお召し下さいと、侍女から渡された物を着用していた。もっぱら着方がわからず、数人の手を借りたのだが。

「あちらに人がたくさん集まってますね」

美月がいう方を見ると、御所の中心部に、大勢の人が群がっていた。

「見物客です。殿は、御所の普請の様子を市中の人々に公開しているのです。私たちも参りましょう」

良之に促されるまま、人だかりの方へ歩を進めた。人を縫う様に歩いていると、嫌でも人の会話が耳に入る。

「織田信長公はお若いのに素晴らしい。長きに渡った戦乱の世も、ようやく終息するやも知れぬ」

女性の声だった。信長を褒められて、あおいは少し嬉しい気分になっていた。

「何を申される、信長は、尾張の田舎では世間から大うつけと中傷され、廃嫡寸前だったらしい。神仏も恐れぬ男で、此度の普請の際も、事もあろうに、石像に縄を巻いて、市中を引き摺り回して御所に運んだらしい」

「まあ、恐ろしい」

あおいは、むしたれ越しに声のする方を見た。三十過ぎくらいの貴族と思われる女性がふたりで立っていた。そのうちのひとりが、あおいの視線に気づいてこちらを見た。あおいは浅く頭を下げると前を向いた。

「お方様、吊り下げ橋の中央におられるのが殿です」

良之が指さした方を見ると、信長は橋の中央に立ち、腕組みをしていた。工事開始から二ヵ

あおいは、現場一帯、見物客らを見渡した。すぐ後ろには白人の宣教師がふたり並んで立っていた。珍しい光景に少し驚いていると、宣教師が良之に頭を下げた。面識があるのだろうか、良之も頭を下げ、何やら話をしている。

(知り合い?)

そう思っていると、ひとりの男があおいに近づいて来た。人の気配に気づき、あおいが目を向けると、男はにやにやと笑っていた。その恰好から、この普請に携わる者だろうと推測できた。

「ふふふ」

男は小さく笑っている。危険を感じたあおいが後ろを振り返ると、良之は身振り手振りで、宣教師に何やら説明している。その様子を美月は食い入るように見ていた。

「どうしよう良之」

あおいは直ぐに男に視線を戻すと、男は、あおいのすぐ傍まで来ていた。垂れた布越しに、あおいの顔をジロジロと見つめ、

「どれ、お顔を拝ませて貰うか」

といって男は、あおいの、むしたれを指先で上げた。

「お辞め下さい」

そう、あおいがいった時である、男の身体が見えない力に引っ張られる様にして、あおいから離された。

「無礼者」

そこには信長がいた。

男の顔が一瞬にして青ざめたと思った瞬間、首が宙を舞った。信長が刎ねたのだ。頭が地面に落ちて仰向けになると、聴取の奇声が響き渡った。

その真横に、首のない胴体が仰向けに倒れ、どくどくと赤い血が流れ出た。

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