第7話・休日に届く贈り物

 勤務先への突然の訪問からしばらく、伸也は瑞希の前には現れなかった。ただ、シフトが休みの日には必ず玄関のチャイムが鳴り、KAJIコーポレーションの本社ビルから近い百貨店の包装紙に包まれた贈り物が届くようになった。拓也の為の子供服や玩具だけでなく、瑞希用の洋服など。以前に瑞希が好んで買っていたショップの、彼女の好きなテイストの物ばかりで、伸也が意外とよく覚えてくれていることを知った。


「こちらにサインか印鑑をお願いします」

「はい……」


 100均で購入した印鑑を指定された欄に押していると、休日の度に顔を合わせるようになった配達員が、瑞希の肩越しに部屋の中を覗き見したのに気付いた。この古ぼけたアパートへ立て続けに百貨店から荷物が届いている状態に、何事かとつい興味が湧いてしまう気持ちも分からないでもない。

 瑞希自身も、これまでは全く縁の無かった上品な包装紙に包まれた荷物に、もしかして誤配達じゃないかと毎回念入りに送り状を確認してしまうくらいなのだから。


 今回も送り状に記載された名前をしっかりと確かめてから荷物を受け取ると、両手で抱えて部屋の中に持ち運ぶ。

 忙しい彼のことだ、これは直接に買いに行ったってことはないのは分かってる。秘書的な人に要望を伝えて任せただけかもしれない。でも毎回添えられているメッセージカードの文字は、間違いなく伸也の物で、瑞希は受け取る度にクローゼットの引き出しへ大事に仕舞った。カード1枚書くのだって、忙しい伸也には結構な手間なはずだ。


 実家を出てからは一切自分の洋服を買うことが無かった瑞希には、花やアクセサリー類よりもよっぽど嬉しく実用的な贈り物だった。26の時に着ていた服を子持ちの28才が着るには厳しい物もあって、同じ服を交互に着て誤魔化す日々だったから。年齢的にはたった2才しか変わってなくても、子供がいるかいないかではワードローブは大幅に替わってしまう。


 伸也からのプレゼントが最初に届いた時は、さすがに受け取るのを躊躇った。無条件で人から物を貰うことにはそこまで慣れてはいない。それに、彼にも事情があったとは言え、ずっと連絡なく放置されたことで瑞希の人生は大きく変えられてしまったのだから。簡単に許し、なびく訳にはいかない。

 そんな頑なな瑞希の考えを分かっているのか、最初に受け取ったカードには再会を喜ぶ言葉と共に、「拓也への養育費の一部とでも思って、気にせず受け取って欲しい」と記されていた。


 ――まあ、養育費なら受け取る権利はある訳だし。受け取ることで、伸也も少しは気が済むんだったら……。


 遠慮という言葉は、分娩台の上にすっぱりと置いてきた。


 2年ぶりに再会した夜に受け取った婚姻届も認知届のどちらも、まだ瑞希の手元にあった。拓也の将来を思えば認知はして貰いたいが、今の伸也が背負っているものの大きさを考えると躊躇ってしまう。


 先日、恵美から「ビジネス誌で安達社長がインタビュー受けてたよ」と言われ、その躊躇いはさらに強くなっていた。今の彼にとって、拓也の存在はただの隠し子だ。CEOに就任したばかりの伸也には背負う荷が重すぎるのではないだろうか。自分達の存在は、彼の足手まといになってしまわないだろうか。


「ぶっぶー」


 届いたばかりの車の玩具を握り締めて、拓也は朝からご機嫌そうだ。フローリングの上を豪快に車を走らせて回っている。いつの間に、車は走らせて遊ぶ物だと覚えたんだろう? つい最近まで玩具は口に入れるか、投げるかだったのに、ちゃんと上手に遊べるようになっていることに驚く。


 子供の成長は早い。あっという間に拓也は大きくなっていく。だからこそ先送りせず、伸也とちゃんと話し合わなければと少しばかり焦りを感じる。それでも、まだ認知も入籍もしていなくても、父親である伸也と再び会えたことは、徐々に心の支えとなりつつあった。


 妊娠検査薬が陽性ラインを示した時から、生きていく上での何もかもを一人で決めてきた。初めての出産も、初めての子育ても。誰にも相談できないことばかりだった。

 離れていった人、消えていった縁、逃げるように去った地元とは関係が戻る日が来るとは思えない。ガラリと変わってしまった周りの人間関係。


 ――でも、伸也だけは戻って来てくれた。


 伸也にそっくりな息子をぎゅっと抱き寄せる。遊んで貰えるとでも思ったのか、拓也は持っていた玩具を瑞希の目の前に掲げて見せる。得意げな顔を見れば、新しい玩具をとても気に入っているのがよく分かる。


「マーマ。ぶっぶー」

「うん、カッコいいの貰えて良かったねー」


 これまでの伸也から息子へのプレゼントの中には、瑞希が知らないキャラクターの物もいくつかあった。見る余裕も買うお金も無かったから後回しにしていたら、気付いた時にはTVの無い生活にも慣れていた。生まれた時からTVとは無縁の拓也だが、それでも届いたヌイグルミを気に入って、保育園にも連れて行きたがるくらいだった。


 異様に気に入られたキャラが何なのか気になりだして、スマホを使って調べてみたら、やはりというか教育テレビで人気のあるキャラらしい。初見の幼児の心をあっさり掴んでしまうなんて……おそるべし、Eテレ。


 子供の車遊びに少し付き合った後、プレゼントのお礼のメールを伸也へと送る。ずっと停止されたままだった携帯番号を帰国後に復活させたという話は真実で、瑞希がアドレスに記録したままだった番号もメアドもちゃんと使えるようになっていた。これまで何度掛けても鳴らなかった呼び出し音が、今はちゃんと鳴るようになっているし、送った瞬間に届いてしまう自動のリターンメールも無い。


 5分もしない内に届いた返信を確認してから、瑞希は焦ったように部屋の中を見回す。昨日までの連勤の影響を受けて散らかった室内を慌てて片付け始める。


『午後に時間が取れそうだから、瑞希と拓也に会いたい』


 取り繕うところもない殺風景な部屋でも、散らかる時は散らかる。伸也と再会した夜はそれほど荒れていなかったことは奇跡かもしれない。

 床に散乱した玩具を篭に放り込み、畳んで積み上げられていた洗濯物をクローゼットに収納していく。雑に重ねていた布団を丁寧に畳み直すと、拓也が喜んで登って遊び始め、一瞬で雪崩を起こしていた。


「拓也。後でお客さんが来るから、あまりぐちゃぐちゃにしないでー」


 新しい遊びを見つけた子供のことを背中で気にしつつ、瑞希は狭いキッチンスペースに立って、作業途中だった総菜の作り置きと下拵えにとりかかる。休日にちゃんと準備しておかないと、仕事から帰った後に地獄を見ることになるのだ。勤務時の自分を助けてくれるのは、休日の自分だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る